青空の向こう

日常の出来事や旅の事など少しずつ

叔父の誕生日

2021-06-26 01:17:13 | 日記
6月25日は母の弟の誕生日でした。47歳という若さで肺がんで亡くなりましたが、私を

可愛がってくれていた叔父でした。

バスの運転手をしていて、路線バスに乗務して我が家の前を通る時には、時間を知らせて家

の前で待つように言われ、終点まで乗せて行ってくれたこともありました。終点のJR九州の

駅でアイスを買ってもらいましたね。

バスに車掌さんも乗務していた時代で、田舎だから出来たことでしょうね。今の時代では、

あり得ないことだと思います。

中学校の修学旅行で南九州へ行った時も来ていて、8クラスあったのでバスは違いましたが

一緒でした。母が叔父の分のお弁当も作ったので渡した記憶があります。母と叔父は兄弟の

中でも本当に仲良しでした。

お酒は全然飲まないのですが、ヘビースモーカーでピースを毎日2~3箱吸っていました。

当時はがんの告知はしない時代でしたが、入院してほかの患者さんを見ていたら解ってきま

すよね。それに、入院と同時に全く吸わなくなったそうで、早い時期から気づいていたのか

もしれません。東京の三越で買って送ったパジャマを喜んで着ていたと、後になって母から

聞きました。面白い人だったので看護婦さんの人気者だったそうです。

京都のお土産で渡した西陣織のネクタイが締めやすいとお気に入りで大切にしていたそうで

叔父の嫁の弟が遺品でもらわれたとか。

私が帰郷して結婚する頃には全身にがん転移していて、目も見えなくなっていたようです。

寝たきり状態で結婚式にも参列できなかったので、隣の市にある病院へ花嫁姿で訪問しまし

た。化粧が崩れるから絶対に泣かないで下さいと着付けの方から注意されて。

亡くなる日の朝5時過ぎに背中がゾクゾクして目を覚ましました。母から7時過ぎに危篤の

連絡を受けて病院に駆けつけたら、朝5時過ぎに吐血したそうで、知らせに来たんだよと言

われました。そんな事ってあるんですね。私は早くに父を交通事故で亡くしているので、よ

っぽど心配だったのかな?

定年したら個人タクシーの運転手になって、皆を旅行に連れて行くと言っていました。

亡くなった後、お世話になった国立病院の看護婦さんが個人的にお線香を上げさせて下さい

と何人も訪問して頂いたそうで、慕われていたのだと思います。

時々、会いたいな~と思います。

コメント (6)
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