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奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

東大寺で盧舎那仏開眼供養会が行われた年は?・・(^_-)-☆

2025-03-27 21:00:36 | 日記
こんばんは‥(^_-)-☆



今日の奈良は、20℃と暖かい日になりましたね。

奈良は、最高気温26℃と昨日越えで暖かくなりましたね。

寒さの性かしんどいが、心持ち寒くなったり暖かくなるので、暖かい日には少しづつ散歩を増やそうと思います・・(^_-)-☆

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の18回目の問題です。

2 奈良県の歴史に関する事柄について最も適当なものを選びなさい。

(10) 朱鳥元年(686)に謀反の罪で死を賜り、のちに二上山に葬られた皇子は誰か。 

ア.舎人親王   イ.草壁皇子   ウ.大津皇子   エ.刑部親王 

(11) 飛鳥・藤原地域の歴史に関わる皇族のうち、天智天皇の子供でない人物は誰か。 

ア.大友皇子   イ.元明天皇   ウ.持統天皇  エ.文武天皇

 (12) 東大寺で盧舎那仏開眼供養会が行われた年はどれか。 

 ア.和銅元年(708) イ.養老4年(720) ウ.天平15年(743) エ.天平勝宝4年(752)

(10)母の大田皇女は、天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉にあたり、順当にいけば皇后になりえたが、○○が4歳頃の時に死去し、姉の大来皇女も斎宮とされたため、○○には後ろ盾が乏しかった。

そのため、異母兄の草壁皇子が681年に皇太子となった。

天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に自邸にて自害した。

弟に大来皇女が作った歌
  • うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む
ヒントは二上山に墓(近年では二上山山麓の鳥谷口古墳)のある皇子はこの人だけです。

(11)草壁皇子(天武天皇の皇子)の第一皇子として誕生。

朱鳥元年に祖父である天武天皇が崩御、時を置いて草壁皇子が皇位につくものと思われたが、草壁皇子は持統天皇3年4月13日に薨御する。

その男児である軽皇子は幼く、即位はおろか、皇太子とすることもはばかられ、また草壁皇子の兄弟には適齢の親王が存命であった。

この時点では後継は正式には決まらなかったため、天武天皇の皇后である鸕野讚良皇女が即位する(持統天皇)。

ヒントは、草壁皇子の子供です。

(12)東大寺大仏は、聖武天皇により743年に造像が発願された。

実際の造像は745年から準備が開始され、天平勝宝4年に開眼供養会が実施された。

現存する大部分が再建であり、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。

この歳から奈良のお水取りも始まりました。

ヒントは、準備が開始された後ですよね。

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

(10) ウ  (11) エ  (12) エ 
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