お 元気 だより

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なんでも ・  どうぞ!!

シルバー講座 (^_^.)

2011年09月19日 | 日記
9月16日安来シルバー講座で今回は松江開府400年祭で「皆さんの松江」を
訪問、散策させて頂き致しました。

今日この頃は、残暑が厳しい・厳しい酷暑・猛暑の連日でしたが、
当日(16日)は、暑くても曇天で前日よりは少し楽な一日ウォーキング日でした。
  この近くでバスを下車、雑賀町方面に散策スタート。

 安産・病気平癒の守護神 売豆紀神社

        床几山々頂
  
  洞光寺山門

  チョット! 5丁目1番地じゃーないですか~???

午前中は床几山・雑賀町周辺をウォーキング、昼食は伊勢宮町「博多」で海鮮を食べ、
午後は大手前駐車場で下車、松江歴史館内を見学し殿町・塩見縄手周辺を散策・ウォーキングが
本日の日程でした。(昼間の伊勢宮町は道に迷いそうと言うお方も???(^。^))
「私は、勿論お昼の方が大丈夫で・す・ヨ(^。^)」

    歴史館にて   商売繁昌 満員御礼で~す

    松平不眛公ゆかりの古庵

松江市は年間を通じてイベントをやっていますので、皆さんはどこに行かれましたか?
多々行事に参加したり、色々と行かれたことと推察を致します。 

松江のことは皆さん方が良くご存知ですので気がひけますが、
マァ! 「ちょっこし」「チョンボシ」言わしちゃってごしなはいませね。

松江の歴史は1600年関が原の功により、初代藩主堀尾公が出雲・隠岐両国
24万石で広瀬・月山富田城に入る所からはじまり、「武」から「治」の時代に
変革期になり、山城では政治・経済状況が悪く感じ、1607年に松江城建築を開始、
4年後(1611年)城下町が完成しました。(で、今年が開府400年祭です)

そのニ十数年後三代目忠晴さんが34歳で亡くなり、跡継ぎがなく堀尾家はお家断絶と
なりましたが、今の『水の都』と呼ばれる城下町松江の礎を堀尾吉晴は築きました。

続いて若狭小浜の京極忠高が来られて治水など熱心にされましたが、
45歳でお亡くなりになり、これまた嗣子がなく一代わずか三年で藩主が替わりました。

次に藩主になったのが、松平越前家の松平出羽守直政で、この殿様あまり良い殿様では、
なかったようですが、松江松平家は廃藩置県で藩がなくなるまで以後十代230年以上に
わたり続いていくことになります。

直政は家康公の次男結城秀康の三男で徳川家康の孫になり、それゆえ数々の特権を
持って松江に入ってきたと言われています。
さて、皆様もよーくご存知・おなじみの「不昧公の七代治郷」は引き継いだ藩政開拓に
成功し、一時期8万両の蓄財に成功しますが、かねてたからの趣味であった「茶道」に
のめりこみ、散財をはじめ藩財政を傾けることになります。

ですが、「雲州蔵帳」「古今名物類聚」などの資料の作成を始め、現在のお菓子どころ、
お茶どころといった松江の文化の基礎を形作った不昧公の功績は後世に続いていき
大きなものがあると思います。

まるで、「信長が餅を撞き、秀吉が餅をこね、家康が餅を食べる」と言われた戦国時勢に
似ていると思いませんか?

松江市の皆さん!! 間違えていたらお手数ですが御一報、
ご指導・ご鞭撻を宜しくお願い致します。 

【余 談】
松江市は県庁所在地の中で最も人口が少なかったですが、この度東出雲町と
合併し山口市を抜いて、「県庁所在地人口最下位」「返 上」しました。

高齢者率も65歳以上、一位秋田・二位島根、85歳以上、一位高知・二位島根と
今年トップを返上しました。
当たり前のことですが、平均年齢は男45.4歳で二位・女49.7歳で一位・
全体は47.8歳で二位と言う、全都道府県結果がでていました。
長寿県は37年連続トップだった沖縄県を抜いて島根県が一位になりました。

※先日から(15日~21日)老人週間でーす。(平成13年~)
(敬老ではなく ・ 老人 ですか~
「敬老週間の方が聞こえがいいですよね!!」  


じゃ~!! 皆さ~ん お元気でお過しくださいね ~ !!    
コメント
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