竹簡を保存するために、試験管の中に何かの液体を入れ、そこに篆書体で書かれた竹簡を一本づつ入れてありました。
最近人気があると言われる『キングダム』に登場してくる『楚』の遺跡から発掘されたものです。
秦の始皇帝によって統一される前の篆書体なので、『大篆』のひとつとなるわけです。
戦国時代を乗り越え秦が統一したのは、重さや長さの単位だけでなく、諸国で使われていた文字乗り越え統一も行なったのです。
統一される前の色々なく国で使われていた篆書体を『大篆』と呼び、秦で使われていた篆書体を『小篆』と呼びます。
ここでラッキーだったのは、秦で使われていた文字が『周』の流れをくむ文字だったのはことです。
周時代に広い中原に広がった金文は、様々な場所で様々に変化していったのですが、秦で発達した金文は、周で使われていた金文の主流から大きく外れてはいなかったと言うことです。
結果としてそれは統一のしやすさにもつながったわけです。
象形文字から甲骨文字、金文、そして篆書体と変わりましたが、表意文字であった為に、統一するのはそう難しくはなかった統一も思われます。
つまり『象』は🐘のことであって、それを『ゾウ』と発音しようが『ブタ』と発音しようが『ウマ』と発音しようが、『象』は🐘なのです。
これは現在我々が日常でつかっている漢字も基本的に同じなのです。
『馬』は🐎であって『ウマ』と呼ぼうが『バ』と呼ぼうが『マ』と呼ぼうが『馬』と言う漢字を見れば、漢字圏の人は皆🐎を思い描くことができるのです。
しかし竹簡は細いですね〜
書くのに細い筆を使って、役人がちまちまと書いていたのでしょうね。
仕事量が増えると速書きにしたくなるのは自然の流れでしょう。
秦が滅びて漢代になっても『小篆』は使われ続けるのですが、これも表意文字であるが故です。
漢代にはこの篆書体が隷書体になっていきます。
篆書体は書くのに時間かかりますからね〜
これは日本人の大好きな隷書体『曹全碑』
篆書体を筆で書くときは、筆に墨をたっぷりと含ませて、運筆速度を一定にして渇筆にならないようにして書くのが基本ですが、隷書体は縦横の筆勢の変化をつけながら渇筆も出すと面白さが出てきます。
もちろんじっくり書く隷書体も面白いのですが、当時の役人の気持ちに想いを馳せると、篆書体より速く書いたほうが、その発展性の自然さにより沿った物になるのではないかと思うのです。
さて、そんな隷書体ですが、人間の業というかさがらというか、まだ速く書けるようにしくなっていくわけです。
そして生まれたのが、行書体。
さらに草書体、、、、
行き着くところまで行きついか感がありますね(笑)
しかし公文書としてのかっちり感は、隷書体にはかないません。
というわけで、隷書体から楷書体が生まれたと言われています。
漢字の歴史を辿ると
甲骨文字→金文→篆書体→隷書体→行書→草書
↓
楷書
となるわけです。
漢字三千年の歴史、お分りいただけましたでしょうか?
そうそう、昨日はハシゴしたんでした!
二件目の展覧会はまた次に〜