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愛される

2009年04月16日 22時02分03秒 | 生活、雑事、思考など
これは「考えるカエル」さんの「アイ…」のトラックバックです。
<”無条件に愛されている”と感じたことがない…ような気がする。
コメントしようとしましたが、ちょっと。
そこでここに私の思いを書こう。

このブログを読んで、かわいそうだと思った。
私は独身で結婚相手がいないが、愛されていないと思ったことがない。
狭義では両親の愛情を十分に受けている点がある。
でも「愛」に関しては、私はそんなちっちゃな事はどうでもいいと思っている。

何故、今、生きていて、自分の命があると思います?
生きているのは「神」の愛があるからです。
全人類に、全世界の人々に神の愛が注がれています。
もし神の愛がなかったら、すぐにこの世はなくなってしまいますよ。
生きているのは必要だから生きているのです。
生き死には神の領分であって、自分では決められないことです。
だから、自殺はどんな理由であれ、死後は最低のところに落ちて行きます。

天の気がわかりませんか?
気を感じることのできる方は、天から矢の如く、痛いほどに降り注がれている気を感じる筈です。
意識を天に向けて、神を受け入れられれば、誰でもこれに気づくでしょう。
これが神の愛です。
私たちに生きる力を与えてくれているのです。

神がわからない人は本当に不幸だと思う。
幸せもこれを基準としないからわからない。

人は神ではありません。
宗教はそれぞれに信仰しているのが一人の人物の場合がある。
その人は神ではありません。
聖人です。
確かに聖人は、我々凡夫からみたら神にみえるかもしれませんが、所詮人なんです。
ここを間違えちゃいけません。
神はその上に位置しています。
我々は神の分身ですから、個々に、自分のタマシイの奥底に光輝く神がいます。
本当は誰に頼らないでも自力でそこまで辿り着くのですが、途中迷路に迷い込んだり、色々なことがありますから、明師が必要となります。
ちょっと、面倒くさい話になってきたので、やめますが、心の拠り所をどこにおくかで、愛の根本概念も変わっていくということです。
更に言うと「愛」は迷いの一つということも付け加えておきましょう。

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3 コメント

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難しい話 (月よのもぐら)
2009-04-16 22:58:29
神に関するコメント、私もまったく同感です。そして、自ら見出せない者がすがるのが宗教なのでしょう。
 愛に関しては、求めるものでなく与えるものであると思っています。それこそが至福を感じるときなのではないでしょうか。
 私は、大病をしたためにいつ死んでいいという気持ちがありますが、今生かされていることはまだやるべきことがあるからだと思います。
 そのやるべきこととは?? それを見つけることが人生の目的なのではないでしょうか。
九識心王真如の都 (しゃらく。)
2009-04-16 23:48:43
皆さんが「神」と呼んでいる、唯一絶対の存在。
それは、私はこの大宇宙を貫く「法」だと思っています。
宇宙を貫く根源の一法
それを悟った人が「覚者」いわゆる「仏」です。

人は神にはなれません。
仏になることはできます。
死んだら成仏する訳ではありません。
成仏とは、生命の奥底にもともと備わっている「仏の生命」を開くことなのです。

仏の「慈悲」とは、抜苦与楽。
人々の苦しみを抜き、安楽を与える。

自分自身が仏の境涯を啓くために信仰は必要なのだと思います。
私もいつ死んでもいい (毎日がYukiYuki)
2009-04-17 14:29:05
私は元々、自殺志向だったのですが、生きていれば何かあるかなと自殺をやめました。
そのうち、あるところへ入って指導され、生きる意味などを知りました。
月よのもぐらさんは、大病をしたためにいつ死んでいいという気持ちがあります、とおっしゃってますが、私の兄も肝臓で死にかけて、生かされていることがわかったそうです。
私もいつ死んでもいいと思ってます。修行もそこそこやりましたが、私には無理でした。未だ、そこまで行けないと悟り、現実の荒波にもまれようと今の仕事を始めました。

宗教に関しては、本当は必要ないと思います。自分を捨て、神の御心のままに生きられる人ならば、その人はかなり高い境地に至る筈です。
すべてを受け入れられれば、悪因縁が消え、最後は解脱出来ます。
宗教にすがるのではなく、神にすがるべきです。
自分の欲のために宗教団体に金を貢いでいる人がいますが、笑っちゃいます。
神にすがるのは、欲をなくすことですから。欲は必ず迷いにつながり、これは連鎖的にいくらでも出てきます。
世の中の宗教とは皆さん、どうとらえているのだろう?
修業はすべてを神にゆだねます。故に死ぬこともあります。体もとてもきついものです。これをやっている人は何人か知っています。その確固たる意志は本当に固い。
私は駄目でした。体力も気力もついていけませんでした。
今の私は燃えカスのようなもので、せめて社会の底辺で生きている人に接し、高学歴でない人や主婦たちの気持ちがわかるようになろうと一緒に仕事をしてます。私の父も社会でしいたげられて来たのに、私と兄を大学に入れてくれた。その父の気持ちがわかりたい事もあります。
何にもしないより、何かやった方が絶対良い。人間の幅が広がりますから。

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