自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

一月最後の日

2019年01月31日 16時30分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は1月31日(木)で、1月の最終日。天候も昨日まで暖冬だったが、今日は雨天。結構な降水量があり、昨年7月の豪雨以来のまとまった雨となった。今でも、トタン屋根を叩く雨音が強い。

 2019年になって今日が31日目で、1月最終日となる。私の誕生日は26日だったので、齢一つを上乗せした。1946年生まれの73歳、まだまだ元気で頑張りたいと思っている。それでも昨今は体の衰えを感じる始末で、畑作業をすると筋肉痛となる。今朝TVを見ていると「筋肉貯金」との表現があったが、内容を見ていて「なるほど」と思った。「筋肉貯金」が出来るように、体のエクササイズが必要なのだ。

 今日の雨は、朝から降り続いている。気温も上がらず、室内に居ても暖房が必要である。天気が良ければ“福山市グラウンド・ゴルフ場”へ行って、コースを回るだけで適度な運動になるのだが、室内にいるとエアコンをかけてTVを見ているだけで、全く運動にはならない。寒さのせいか、気温が上がらないからか、野鳥も飛んでこない。こんな状況で一日が暮れていく。

 来月10日~11日の予定で、JAXA東京事務所でYACの活動委員会が開催される。当初の予定では、10日の17時にホテル集合だったが、一時間遅らせて「18時ホテル集合」となった。慌てて旅行社へメールを入れて、10日の往路の新幹線チケットを福山駅発12:59から13:59に取り直した。幸いに席は空いていたようで、「往路のチケットはokです」との連絡が入ったので安心した。この会議も今年度の最後の会議のようで、これで任期満了となるはずだ。あとは、「宇宙教育指導者セミナー」で使用するテキストの改訂作業中なので、4月か5月頃に「校正」のための編集委員会が開催されるようなので、その会が終われば「無罪放免」となるはずだ。2003年11月以来、実に16年間もボランティアとして頑張ってきたものだ。「自分で自分を誉めてやりたい」という心境である。

 


作楽神社 その2

2019年01月23日 10時18分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 陽気が良くなればもう一度訪れたい「作楽神社」、備忘録代わりに書いておこう。

 中国道院庄ICで下りれば、ものの5分とかからない位置にある。神社境内は広大すぎて管理が行き届いていないエリアも見受けられるが、遠望できるし、見どころも多い。手元にある「作楽神社の栞」を捲ってみよう。

 正面が拝殿であり、本殿は拝殿裏に位置する。

鎮座地:岡山県津山市神戸433  神社名:作楽神社  

祭神:(正祀)後醍醐天皇 (配祀)児嶋高徳公

例祭日:4月22日

社殿・主要建物:本殿(流造)・拝殿(入母屋流唐破風向拝付)・附属舎(切妻造左右各1棟)・渡廊下(曲線造左右各1棟)・宝物殿・神楽殿・社務所・透塀

境内地:9418坪25(31134・709㎡)

創立年月日:明治2年11月27日

旧社格:県社(明治10年3月列格)

境内神社:護桜神社・水神祠

 何と、広大な敷地内(境内)にこれだけの建物が鎮座する。歴史も古いし、祭神が「後醍醐天皇」とは。

 記念碑・文学碑も多い。

東大門桜樹址:東山天皇の貞亨5年(1688)に長尾勝明が建碑した。「院庄」と題して高徳の狐忠が漢文で綴られている。児島高徳が桜樹を削った館の大門跡にある。

院庄六百年の涙雨:井上剣花坊。昭和七年、鶴城吟社建立。

建武中興六百年記念碑:昭和八年の建武中興六百年祭を記念するもの。

弓とらず太刀さへ佩かずなりにけり案山子の前を行くもはづかし(道家大門):昭和十六年に墓所に建てられたが、のち、旧邸宅あとに写した。

児島高徳像:浦上善次製の備前焼陶像。昭和四十年、津山ライオンズクラブ寄進。

美作院庄十字詞之跡:明治百年記念に柴田正が寄進した。

野村完六歌碑:「とびひとつまぢかにまひて美作や高き山はら雪にくれゆく」。昭和四十三年建碑。

噴中義桜十字詞之碑塔:戦艦大和の建造者である海軍技術中将庭田尚三を会長とする忠桜会が昭和四十六年に建碑した。後醍醐天皇御製や斎藤監物の漢詩、道家大門の和歌を刻む。

作楽神社修復記念碑:昭和五十四年、修復期成会によって建碑された。

建武中興六百五十年記念碑:昭和五十九年、津山ライオンズクラブ寄進。

日原桜道漢詩碑:昭和六十年建碑。

天皇陛下御在位六十年記念碑:昭和六十一年建碑。

児島高徳忠義桜歌詞碑:平成三年建碑。

 これだけの碑を見て回るだけでも大変であるが、歌を読むのもまた楽しかろう。

 「作楽神社」の社名の謂れは「太平記」に遡るらしい。後醍醐天皇や児島高徳が関わっているようだが、栞によると「幕末になって、ここに神社を造立しようという声がおこり、国学者道家大門(どうけ・ひろかど1831~1890)らの建議により、藩主を経て朝廷の許可を受け、勅号の「作楽神社」という社名が下された。」こうして明治2年に神社創建となったのである、とある

 後醍醐天皇が隠岐の島に流される途中、守護職の館に御宿りになった。その時、備前の人児島高徳は天皇を賊から奪い勤王の義兵をあげようとして、船坂山や杉坂峠で一行を待ちかまえたがみな失敗に終わり、単身この館に忍び込もうと企てたが、これまた警戒厳重で成功せず、折から館の門前に春雨に濡れて美しく咲いていた桜の枝を削り、「天莫空勾践時非無范蠡(天勾践を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず)」と十字の詩を書いて立ち去った。翌朝、この詩を見つけた警固の賊兵はその意味が分からず、ひとり天皇のみ解したもうて、「ここにも忠義な家来がいたか」と、末頼もしく思召されたと謂う事から来ているようである。

 歌を載せよう。文部省唱歌「児島高徳」

1 船坂山や杉坂と  御あと慕ひて院の庄、 微衷(びちゅう)をいかで聞えんと、 桜の幹に十字の詩。 「天勾践を空しうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず。」

2 御心ならぬいでましの  御袖露けき朝戸出に、 誦(ずん)じて笑ますかしこさよ、 桜の幹の十字の詩。 「天勾践を空しうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず。」

 忠義桜(南条 歌美)

1 桜ほろ散る院の庄  遠き昔を偲ぶれば  幹を削りて高徳が  書いた至誠の詩(うた)がたみ

2 君のみ心安かれと  闇にまぎれてただ一人  刻む忠節筆の跡  めぐる懐古に涙湧く  「天勾践を空しうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず。」

3 風にさらされ雨に濡れ  文字はいつしか消えたれど  つきぬほまれの物語  永久(とわ)に輝く花のかげ

 

 「作楽神社」の境内を回っている時、右翼の宣伝カーの音が聞こえた。この地の歴史から、何となく……、納得したような思いがした。


新春恵方参り

2019年01月22日 20時51分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 JA福山市御幸支店恒例の「2019年 新春恵方参り」が今年も実施された。毎年参る神社は違うので、参加する者も新鮮さがある。“恵方”とは、「その年の干支によって定められる、最もよいとされる方角です。その方向に歳徳神(としとくじん)がいるものとされ、本来の初詣も恵方参りが原点とされています。節分には恵方の方角を向いて巻き寿司をかぶると縁起が良いと言われています。」と説明される。今回は、美作・院庄にある「作楽神社(さくらじんじゃ)」を正式参拝した。「作楽神社」は福山市から見て、今年の恵方に当たる東北東に位置している。作楽神社を簡単に記すと、「鎌倉から室町時代にかけて美作国守護の館(院庄館)があった地に、明治2年、津山藩主により創建されました。隠岐に流される途中にお泊りになった縁で、後醍醐天皇とその忠臣児島高徳をお祀りしています。」とあった。

 7時20分までに集合場所へ行き、貸し切りの大型観光バスに乗った。地元御幸からR182を南下して福山東ICから山陽自動車道に入り岡山JCで岡山道へ、途中高梁SAでトイレ休憩の後北房JCで中国自動車道へ。院庄ICで下りると直ぐに作楽神社に到着した。

        

 境内地はとてつもなく広く、現在の社殿は大正15年再建のものであり、のち昭和の大修理が行われ、54年に竣工したとある。約1万坪の境内には文学碑なども多く、地方文化の宝庫、民族精神の拠点となっている、とのことである。最初の写真は「作楽神社の由緒書」である。敷地内に入るには大きな石造りの鳥居をくぐる。鳥居の先に駐車場がある。参拝には最初に手水で身を清め、本殿に向かう。本殿前にも大鳥居がある。吹きっ晒しの拝殿で祝詞を頂いた。これまでの祝詞とは趣も若干違っていて、時間的にも短く済んだ。冷え切った体をお神酒で清め、正式参拝は終わった。

境内内を散策したが色々な石碑があり、見て回るには時間が短すぎた。少し紹介しておこう。

                

 今年は2日に、呉市にある「大和ミュージアム」を訪れた。孫に「もう一度行って、ちゃんと勉強したい」とせがまれたからである。それが記憶に残り、最初の2枚に目が行った。何と「戦艦大和」の設計に関わった人がこの地にいたようである。3枚目・4枚目は出雲の熊野神社にもあったが、「さざれ石」である。4枚目がその説明だが、やはり石灰質礫岩であった。5枚目は、児島高徳に関するもので、6枚目・7枚目はこの神社に関するものである。最後の8枚目には「後醍醐天皇御製」の歌が刻まれている。なかなか読みずらいので、分かりやすく書いておこう。

「あはれとは汝も見るらむ我が民を思ふ心は今もかはらず  よそにのみ思ひぞやりし思ひきや民のかまどをかくて見むとは」と、彫られている。

 神社を後にして、つぎの寄り道「道の駅久米の里」でお買い物。皆さんが買い物をしている間に、私は「ガンダム」を撮りに行った。結構な大きさがあったが、人が乗りこめる大きさではなかった。でも、道の駅を訪れる子ども達には人気があるかも知れない。

 その後、本日の昼食場所「湯郷温泉“にしき園”」へ。ここでは昼食と空いた時間に温泉へ入ることができた。ロビーには蔦と和紙を使ったオブジェが置いてあった。

    

 食事は一見豪華そうだったが、味は今一つ。炊き込みご飯としゃぶしゃぶは美味しかった。食後温泉に入ったが、湯温は若干高めだった。真昼間の入浴で客は皆無、湯船独り占めで入ったが、出る時に一人お客がやって来た。その後ロビーでコーヒーを飲もうとしたが、セルフサービスで一杯200円。若干高めだがその他にはないので、仕方なくセルフで購入した。休憩時間中に美作にお住いの家内の友人が訪ねて来られたので、車内で10数分歓談した。日蓮宗のお寺の方で、本当に久しぶりの再会。積もる話も多かったが、何せ時間が無いので中途半端な再会となった。でも、今回の恵方参りでの昼食場所が湯郷温泉だったので、叶った再会が出来たのだ。これも作楽神社にお参りした成果かも知れないなあ。

 最後の訪問は「いちご狩り」で「30分食べ放題」だったが、何せ口数が多すぎた。通路を並んで食べに歩いたが、後ろを行くと熟れているイチゴにありつけない。それでも20数個を食べただろうか。店舗のイチゴと違って熟したイチゴは甘くて美味しかった。皆さん、後先しながら美味しく食べられたことだろう。

 17時には帰宅していた。日程通りの移動で、運転手さんはさぞ頑張られたことだろう。添乗された農協の方曰く、「来年も実施します。お誘いの上ご参加ください」とのことだった。満足の一日だった。

 

 


宇宙少年団1月活動「ブローチなどを作る」

2019年01月21日 18時49分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

 20日(日)、宇宙少年団(YAC)の1月活動日。12時半からの受付には参加者が三々五々と集まってきたが、昨今のニュースで報じられているように「インフルエンザ」に罹患した子どももいて、参加者は半数にとどまった。ただ、参加者が少なかった分だけ、作業や制作物に余裕も生まれ親子で十分に楽しめたようだ。

 今回のモノ作りは、①「木彫りの魚のブローチ」と②「木の実を使ったアクセサリー」で、材料は全てリーダーが準備した。木彫をさせると予想以上の時間がかかるので、①は色付けをするだけの形を作っておいた。

写真のようなものを制作できるように準備されていたので、参加者は思い思いの形の魚を手にして、あとは自由に色づけをした。

1  2  3   4  5  6

1)はカシの実の殻斗を繋いで“イモムシ”を作った物と、ムクロジの実と羽を使って“羽子板の羽根”を作った物。2)は各種ブローチの見本で、3)、4)は色付けをするだけにした魚の形、である。3)は色々な魚の形で、4)は基本は「ニモ」(クマノミの仲間)である。5)は木の実でムクロジ(黒い実)とセンダン(色づけられた腕輪状のもの)、6)は6色に色づけたセンダンの実である。

 これらの準備物を使って、見本のようなものを自分なりに色づけながら製作するのである。親子参加なので親が協力する所もあるのだが、親は親で製作する者もお出でだった。指導するリーダー以外のリーダー達も、最高の物を作ろうと必死の様子であった。製作に要する時間は2時間を予定しての活動であったが、“魚の色付けは塗って乾かし”を繰り返し、最終的に納得すればニスをかけてまた乾燥、という作業の繰り返しであった。アクセサリーはゴム状の糸に木の実を通して、思い思いの彩や大きさに繋ぐという作業で、こちらはそんなには難しくはなかったようである。活動時の様子が分かるように、写真に記録しておいた。

      

 自分の想いを作品に記録するかのように、一心不乱に取り組む姿勢、日常の生活の中に十分生かして欲しいと思った。また、家庭で今日の出来事として、親子で存分に話し合って欲しいとも思った。

 最後の写真は本日の成果である。

 自分の作品を十分に仲間たちに披露する時間が取れず、申し訳なかったと反省する。「自分が頑張ったところ」とか「難しかったところ」「工夫したところ」などが交流できれば、なお成果が上がったことだろう。次の活動に生かしたいと思う…。

 


「宇宙教育指導者セミナー in 武雄

2019年01月14日 17時47分35秒 | 日記・エッセイ・コラム

 1月13日に開催される「宇宙教育指導者セミナー」での講義のために、12日の12時45分福山発の「のぞみ」に乗車した。開催される「佐賀県立宇宙科学館」での前日打ち合わせが17時から…とのことで、間に合うように発った。天候に恵まれての移動で車窓からの景色は良かったが、時間つぶしで文庫本を読んでいたので景色の流れには無頓着。でも北九州工業地域辺りで、記念の一枚を撮っておいた。

  

 博多駅で「みどり」という特急に乗り換えての移動だったが、初めての路線であった。「みどり」に乗り換えるために移動したホームで、呉からの講師;臼井さんとばったり出くわした。同じ列車の同じ車両に乗り、一路「武雄温泉駅」へ。随分前になるがNPO法人日本宇宙少年団備後ローズスター分団の活動で訪れた「吉野ケ里遺跡」辺りを通過したが、車窓には拡がる「麦畑」が眺望できた。

   

 一面の麦畑、春には緑が豊かな景色が楽しめそうに思えた。同行の臼井さんと会話していると時間の経過は早い、列車は「武雄温泉駅」に滑り込んだ。鳥栖駅辺りから長崎までの新幹線工事が進んでいるようで、至る所でその進捗状況が伺えた。写真は宿泊先のホテルの部屋から見えた工事現場(橋脚)の一部である。左に見える建物は「武雄市役所」だが、聞けば市役所の駐車場は無料で止められるとか、「便利さ」を思った。

 

 チェックイン後、会場の「佐賀県立宇宙科学館」へ移動したが、今日泊まる部屋を写しておいた。清潔感が伺える部屋だった。

 会場を見たが、少し狭い工作室。参加者が多くないので、このスペースで十分なのだろう。閉館時刻前だったので館内は閑散としていたが、「月へ」という特別展が開催されていると聞いた。1階フロアーには「ジェミニ宇宙船」のレプリカが展示されていた。館長にお会いして、関係者と簡単な打ち合わせの後、ホテルに引き返した。この施設の館長さんは、随分前に私たち宇宙少年団の主催で開催した「宇宙講演会」で講師をお願いした方だった。福山市で最大の施設「リーデンローズ大ホール」で開催したが、多くの関係者や市民がお出でになっていた。JAXA筑波宇宙センターから展示品を借用しての講演会だったが、盛況だったことを覚えている。今でも「あの講師は素晴らしかった」と関係者は話している。そんな方だったが、お住まいは成田市とかで、単身赴任中とのことだった。夕食はご一緒しての会食で、昔の話や現在の様子など楽しく時間が過ごせた。JAXA宇宙教育センターの生みの親の一人である(もう一人は的川泰宣先生)。2時間余の会食だったが、飲みながら、食いながら懐かしい話題を含めて歓談出来たことは良かったが、部屋はことのほか暑かった。

 ホテルに帰って入浴などを済ませて休んだが、本日はホテルは満室とのことだった。外国の方々も多く宿泊されていたが、翌日(13日)に会場から佐賀温泉駅まで乗車したタクシーの運転手の言では、「博多辺りのホテルが高いので、宿泊だけはこちらへお出でのようです。湯布院とかへの観光客が結構おられます」とのことだった。「なるほど」と納得した。

 翌朝は6時半からの朝食に間に合うように6時に起床し、支度をして一階の食堂へ行った。臼井さんもお出でだったので二人で席に着いたが、朝食はバイキング形式。自分で食べる分を自分で取って席に着くシステム。二人で食べて居たら、同じ講師で九州大学の麻生先生ご夫妻もお出でになり、食べながらの会話となった。「明日の朝食時間は、宿泊客が多いので混雑します」とのことだったが、思うほどの混雑はなくスムースに朝食を摂ることができた。「8時15分にロビーに集まって、今後について話しましょう」とのことだったので、遅れないように出立の準備をしてロビーに下りた。私と臼井さん、麻生先生に大分高専の高橋先生の4名で「宇宙少年団の今後の方針」について意見を交わした。具体的な話は、来月お茶の水にある“JAXA東京事務所”で開催される「日本宇宙少年団 活動委員会」で詰めることにした。8時45分にホテルを出て会場へ向かった。博物館一階にある工作室が開場で、既に担当業者の職員はお出でだった。PPTなどの準備を済ませてセミナー開始時刻をまった。

 最初に臼井さんから「セミナー開催の趣旨」が説明され、次に当館館長の渡辺さんが「壮絶な宇宙飛行士のドラマ~宇宙飛行士とミッション!~」と題して、凡そ40分講話をされた。映像が面白くて、動画もあり、参加者は話に引き込まれていた。

    

 2番目の登壇が私で、「危機管理と安全教育~活動時の安全管理と責任~」「テキスト改訂の要点」と題して、「宇宙教育の趣旨やねらい」について講義し、「受講者がボランティアとして活動を指導する際、もっとも大切にしなければならないこと」として、「危機管理と安全教育」について70分余講義した。講義終了後5分余の休憩を挟んで3コマ目の講義「社会教育における衛星データの活用 その1」を12時半頃まで実施した。担当は大分高専の高橋先生で、専門分野である。

  

 左の写真は、「人の体温を読み取れるカメラの映像」で、このような方法を駆使して衛星から地上の温度が測定できることを伝えている場面である。午後の一番目も同じテーマで「その2」である。こちらは衛星データを教育活動に活用するというもので、参加者は説明を聞きながらパソコンを操作していた。

 最近のセミナーで一番人気がある講座である。教育現場で有機的に活用できれば、教育効果は十分に上がることだろう。全ての教科・領域で活用できるからである。

 最後のコマは「宇宙教育での『グライダー』の教材性を探る~科学的に考えるとは~」と題して、九州大学の麻生先生が講義された。映像等のPPTで詳細な説明をされた後、実際に紙製のグライダーを制作して羽の仕組みを理解するというもの。手製の「風洞」持参で、実際に実験を通して説明された。

  

そして、黙々とグライダーを制作する受講者であった。出来上がったものを室内で飛ばして色々と考えさせる取り組みだったようだが、私と臼井さんはセミナー終了時刻の17時前に中座し、タクシーで武雄温泉駅へ向かった。17時28分発の「みどり24号」に乗車するためであった。この列車に乗れないと次は1時間先となり、帰りが遅くなる。それで、関係者への挨拶なしで会場を後にした。

 セミナーで私が担当する講義は、実際に活動を指導する時には避けて通れない必要な内容である。それだけに短い時間(凡そ70分)で分かりやすく話すのは難しい。そのために、あとで詳細に読みこんでもらうためにテキストを作り、受講者に無料で配布してある。いつも、このようなセミナーが終わるたびに、「皆さん、テキストを読みこんでくださるだろうか」と期待する所である。今回も、そんな期待を残しながら、福山への帰路に着いた。福山着は20時を回っていたが、外は真っ暗。でも、九州で降っていた雨はなかった…。