自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

「参加体験型自然体験学習の進め方」研修会

2018年11月27日 17時56分19秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先週の土曜日(24日)、10時半から16時半までの日程で標記の「参加体験型自然体験学習の進め方」の研修会に参加した。会場は「広島県立福山少年自然の家」で、市内から興味・関心のある方々が参加した。ポカポカ陽気の一日で、正に“小春日和”だった。午前中は研修室での講義だったが、今回の研修の内容は「フィールドのポテンシャルを活かした参加体験型自然体験学習を体験し、その体験を振り返りながら、体験学習のプログラムの作り方の理論を学んでいきます。」というもので、具体的には

① 参加体験型自然体験学習~体験編:五感を使った自然体験プログラムを体験してみます。

② 参加体験型自然体験学習~理論編:自然体験学習の意図開きをしながら、学習プログラムの校正や作り方のポイントを紐解いていきます。

というものである。講師は“NPO法人ひろしま自然学校”の志賀誠治さん。

 午前中の座学では、写真に見られるような内容の講座であった。一枚目の方が志賀さんである。

    

一枚目から順に見ていくと、3枚目がまとめの写真となる。項目を一コマ一コマ追いながら、復習をしている現状である。

 正午前に講義を終えて、参加者は各自が持参した昼食弁当などを施設の食堂で頂いた。午後は12時40分頃に施設の玄関前に集合し、実際に野外での活動体験をした。最初は二人組になり「ブラインド・ウォーク」体験。具体的には相方が“アイマスク”で目隠しをし、もう一人が背や腕を持って無言で庭を案内するもの。途中にある段差や障害物などを避けながら、植木や構造物に触れさせる、という活動。相方を信じられなければ、この活動は巧く行かない。

 次は写真の様なガラス板を2枚使い、適当な間隔で広げて“万華鏡”で見るような状況を作り出すこと。

 私は鏡の前にヤシャブシの枯れた実を置き、その上にヤツデの花を置いて中央にガマズミの赤い実を一つ置いてみた。鏡の間隔の開き方で、対象物が変わって見える。なかなか面白く、楽しめる活動だった。その後も何種類かの活動を体験した後、最後は短冊に適当な歌(俳句)をひねる活動。その俳句を全くの他人が受け取り(誰の物か分からないままに)、色紙に絵を添え俳句を転写し(自筆で書く)、落款じみたものを添えておく。そして感想を述べた後で、俳句を詠んだ本人に手渡す、という活動。これもなかなか面白かったが、適当に済ませる参加者がいて味気なかった。

 最後に一日のまとめをして、お互いが感想などを出し合って終えた。

  

 常時、こうした活動が取り組めれば有意義な時間が過ごせるだろうが、なかなかこうはいくまい。それでも、この学びを今後の私の活動に生かしていきたいと思った一日の研修だった。


成田山新勝寺&佐原武家屋敷跡

2018年11月13日 11時03分35秒 | 日記

 11月初旬、娘家族の様子伺いを兼ねて千葉へ旅行した。猫を含めて、みんな元気だった。その時の写真を何枚かアップしておこう。

 旅立ちの日の福山城「伏見櫓と筋金御門」

 最初に出迎えてくれた猫、名前はシルバ。

        

成田山新勝寺

      

    

      

法隆寺の夢殿を模した六角堂。新勝寺は広大な敷地と歴史があるところ。樹木も種類が多くて、樹齢も年季が入っていた。

 3枚目は「ノササゲ」で、私も初めてお目にかかった植物。マメ科ノササゲ属に分類され、学名をDumasia  truncata  という。蔓性の多年草で、茎は針金状に長くのびる。葉は3出複葉で互生する。小葉は長卵形で質は薄く、裏面は白色を帯びる。頂小葉は長さ3~15㌢、幅2~6㌢ある。葉の脇から出る花序に15~20㍉の淡黄色の蝶形の花をつける。豆果は倒披針形で長さ2~5㌢あり毛はない。熟すと淡紫色になり、中に3~5個の種子がある。

         

      

 3枚目は昼食で立ち寄った「うなぎ屋」の2階から参道を見下ろしたところだが、一方通行とは言え車両が通行するとは…、いささか危険を感じた。4枚目は食した「うな重」である。美味しかったが、些か高かった。

 ここから「佐原武家屋敷跡」である。

    

 武家屋敷跡は各地で色々と訪れているが、ここは規模が小さかった。市教委の職員が出て観光客の対応をされていたが、のんびり回れてよかった。

 最後に訪れたのが「堀田家屋敷」だった。

説明には「旧堀田邸」(国指定重要文化財・旧堀田家住宅  国指定名勝・旧堀田正倫庭園)と表題があり、由緒の詳細が書かれていた。明治23年(1890)に竣工し、43年に湯殿が増築され、現在は、主屋や門番所、土蔵などの建物と庭園が残されています…と。撮ってきた写真を紹介しておく。

          

ガラスは明治初期の板ガラスで、表面が波うっていて貴重なものである。3枚目は格子のみで、ガラスは嵌めてなかった。4枚目は「バナナ(芭蕉)」で、花が咲いた後の花軸が垂れ下がっていた。堀田家は「農事試験場」を運営されていたようで、その名残なのだろうか。6枚目は通常非公開の2階書斎にある床の間に続く違い棚であるが、上部の引き戸の絵が素晴らしかった。2階は通常非公開とのことだが、丁度運よく公開されていた。「階段横の壁には触れないようにお願いします」と、念を押されていた。貴重なのだろう。

 最後は「東海道新幹線」の終点の証である。レールはここで途切れ、北へは繋がっていない。北海道稚内でもJR線の終点を見た記憶があるが、レールの最終地点である。

 


閑谷学校と牛窓

2018年11月09日 20時35分55秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日(9日)、岡山の友人に誘われて何十年かぶりに閑谷学校へ行った。天気予報では「雨天」とのことだったが運良く晴れて、閑谷学校を十分に堪能することができた。とはいえ、昭和44年に行った時と比べれば、環境も観光客対応も随分と変わっていた。

 「RSKバラ園の駐車場10時」との待ち合わせだったので、家を8時半に出た。家内の友人2名を誘い、4名で目的地へ向かった。週末金曜日だったが国道も山陽道も快調に走り、9時40分前には駐車場へ到着した。駐車場の西側には、「メタセコイヤ」が植えられていた。氷河期から今日まで生息していて、「生きている化石」とも呼ばれる。私も「メタセコイヤの化石」を見たことがある。随分大きな樹で、根元周りには実が沢山落ちていた。拾って手のひらで振ると、種がかなり集まる。

 友人の車に同乗して、一路国道2号線を東に走った。閑谷学校(正式には“旧閑谷学校”という=国の特別史跡)は、岡山県備前市閑谷の山に囲まれた地形の中にある。「世界最古の庶民のための公立学校」とのことだが、講堂は国宝であり、閑谷学校は「日本遺産 第1号」に認定されている。駐車場を取り巻くモミジは紅葉し、素晴らしい景色に圧倒される。

            

 講堂のある敷地内に入るにはこの正門からだったが、今は迂回しなければならない。正門奥に見える紅葉した樹木が、TVで報道される「楷の木」である。

      

 「楷の木」は「ランシンボク<爛心木>」という。ウルシ科ランシンボク属に分類され、学名を Pistacia  chinensis と標記される。別名を“カイ”と言い、「楷」の字を当てる。中國の山東省曲阜の孔子廟に植えられている木として有名である。日本には、大正時代に渡来した。高さ20~25mになる。葉は偶数又は奇数1回羽状複葉で、小葉は5~6対。秋には美しく紅葉する。雌雄異株である。

 講堂外周や廊下等には観光客が多く、見学するのも大変だった。講堂内は昔のままで、照明は全くなかった。

       

 講堂などの施設を囲う石垣にも特徴がある。

    

 かまぼこ状に構築されてあるが、石垣下部を掘り下げた時の説明板が、「旧閑谷学校 石塀」である。

 石垣の前で、本日同行した家内と友人2名の記念写真である。

   

 講堂奥への道を辿ると、「学房跡」と「資料館」がある。私が初めてここを訪れた時、その場所には「和気高校閑谷分校」があり、その後「教育センター」のような施設になっていたと記憶しているが、さて正しい記憶だろうか。写真はその説明板と、裏庭のモミジである。

  

 さて、楷の木に挟まれた石段を上ると「聖廟」がある。閑谷学校では最も重要な施設とされる。孔子廟、西御堂とも呼ばれ、中央の最も高いところに配されている。奥の大成殿には孔子像が安置され、毎年10月には儒学の祖、孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われるとか。写真はその説明と内部の廟である。

  

 一通り見学を済ませるころには小雨がパラついたので、テント村(?)で「甘酒」を頂いた。丁度良い熱さで、甘くて美味しかった。米と麹でできた甘酒とのことだった。その後、昼食を摂るために牛窓までのドライブ。牛窓では、フェリー乗り場近くの港が見えるレストランで海鮮料理を頂いた。周りはヨットやクルーザーが多く見受けられた。有料のマリーナのようだった。食後、「牛窓オリーブ園」へ。随分前に、家内の母親を連れて、竹久夢二生家やこのオリーブ園に来たことを思い出した。屋上の展望台からの景色であるが、1枚目は「前島」展望であり、2枚目は恐らく塩田跡地に設置されたソーラパネル(太陽光発電所)である。随分と大きな規模の発電設備だ。 

  

 その後、記念写真を撮って丘を下り、一路RSKバラ園駐車場へと帰ってきた。ここで友人と別れて往路と同じ道を経由して自宅へと走った。無事に帰宅出来て安堵した。