自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

2014年最後の日

2014年12月31日 19時18分31秒 | 日記
 本日で2014年が暮れる。時間としては、あと5時間を切っている。TVでは恒例の「NHK紅白歌合戦」が流されているが、昨今見る気がしない。歌手名は分からないし、歌も分からない。したがって一人、別室でブログを書いている。
 今日は何時もよりゆっくりと時間が流れたが、それでもやることは多かった。午前中は孫にラジオを作らせた。ハンダ付けは初めてのようで恐る恐る、のようだった。結果的には私がやってしまったみたいになった。AMとFMの切り替えられるラジオだったが、電波強度の問題から我が家ではAMしか受信できなかった。それもRCCだけである。千葉へ持ち帰ると、結構受信できそうである。昼過ぎまで嬉しそうにスイッチを入れて放送を聴いていたが、今は飽きたようでTVを見ている。
 午後から天候も崩れて雨が降り始めたが、灯油ストーブの“しん”の取り替えを行った。良く燃えるようにとしんを出しすぎたようで、消火時点で消えにくくなってしまった。強制的に消しているが、今入っている灯油が空になったら調整しなおそう。
 一年の反省をするまでもなく、次の年への課題が増える。遊びも仕事も、今年は中途半端になってしまった。「思いはしても実質が伴わなかった」今年を忘れて、「実質が伴う活動・行動」を目標にしよう。
 穏やかに暮れた2014年、2015年の夜明けはどんなな状況だろうか。

真鯛

2014年12月30日 09時22分13秒 | 日記
 昨夜のことだ、夕食を済ませた19時頃、親戚が「鯛を捌いて」と言ってきた。以前、大きな“鰤”を捌いてやったことがあるので、再度の依頼である。早速流しの周りを片付けて、作業の準備に入った。大きな真鯛で、50cm位はあっただろう(写真)。

 前回鰤を頼まれた時に思ったが、持っている出刃包丁の刃渡りが短い。「長いものを買わなければ」と思ってはいたが、そのままにして毀れた刃を研いだままだった。今回も同じく、包丁の小ささを感じた。鱗も大きく、取っているときに鱗で指の腹を切った。「から揚げにすれば旨いだろうな」なんて思いながら、鱗を剥がした。内臓は思ったよりは小さかったが、脂が物凄くのっていた。卵のうを持っていたので雌なのだが、卵はまだ熟してなく若い魚体だったようだ。3枚に下ろしたがさすがに骨は硬く、頭を割ることは出来なかった。「あら炊きにすれば、美味しいだろうなあ」と思いつつ、私の包丁では適わないので諦めた。2時間くらいかかっただろうか、何とか希望通りに捌けたので「良かった、良かった」であった。
 22時16分着の「のぞみ」で娘と孫が来るので、福山駅まで迎えに出た。「駐車場は空いているだろうか」なんて気にしながら行ったが、がら空きだった。29日の夜遅い時間だというのに、駅構内には多くの人がいた。学生風の若者が多かったが、何をしているのだろうか?時間が過ぎた頃に、親子二人連れがやってきた。元気な姿なので安心した。正月3日には帰るとのことで、6日間の滞在である。年末年始は、賑やかな時間が過ごせることだろう。玄関に入るとレオの様子が違う。久々会う娘と孫に挨拶しているのか、「ニャー にゃあー」とすり寄っていた。

餅つき

2014年12月28日 16時24分27秒 | 日記
 毎年この時期になると「餅つき」をする。言い習わしでは「9日餅は搗くな」と言う。何でも「9が苦に通じるから」だとか。故に29日には餅つきをしない。娘の嫁ぎ先や息子の家庭にもおすそわけをするから、年内に届くようにと27日に搗き、今日宅急便で送った。
 昨日は午前9時から作業を始めて、片付けを含めて終わったのは15時が近かった。凡そ6時間の作業となった。
 昔ながらの「杵と臼」ではなくて、ここ2年は「蒸す・搗く」の器械でやっている。2升のもち米を蒸すのに40分以上時間がかかり、搗くのに10分強かかるので、凡そ一時間を必要とする。時間がかかる訳だ。白の丸餅は丸めれば出来上がりだが、豆餅や海苔などを搗きこんだ餅は“海鼠”のように延ばすので、一日置いて固まりかけた頃に食べやすい厚さに切らねばならない。今朝はそれをカットするところから始まった。全部切り終えた後、ナイロン袋に詰めて宅急便で発送した。明日の20時から21時の間に着くように送ったから、正月には間に合うだろう。
 夕方、お節料理用の食材を買いに出たが、何と人の多いこと。それでも買いそろえる事が出来たので、後は除夜の鐘を待つだけだ。明日は墓参に行って、“サカキ”を立てておこう。

忘年会

2014年12月28日 08時48分26秒 | 日記
 「忘年会」、この響きは無職の身にはほぼ縁がない。今年も唯一の「忘年会」だった。
 例年のように12月28日に開催されるはずが、28日は日曜日とあって、前日27日の夕刻から恒例の場所「割烹“白楽”」での開催となった。私が現職を去った後に行政側が小中に「教科研究会」を発足させた。その時に“私的な(民間)研究会”は全て解散させたようだ。ところが「(解散したはずの)基礎理科の会」に所属していた方々が、年末の反省会(忘年会)はその名称を使って案内を出されている。
 思い起こせば「基礎理科の会」を発足させたのは1976年7月、理科教育を思う仲間が集まってのことだった。一人一人が会の構成員となり、立場を超えて喧々諤々「理科教育」について論じ合い、実践し合ったことが懐かしい。この地に「理科教育を考える」という母体を芽生えさせることが出来た、「私の唯一の成果である」と自負している。

 忘年会には15名が参加していたが、OBが7名で現職は8名だった。参加数から思えば少々少ないが、「集まろう」という意欲は評価したい。私たちが勤めていたころとは実態も環境も異なり、現場の大変さは分かっているつもりだが、それでも何かしら思うところはあるようでしきりに話をしているOBもいたが、時代の変遷は如何ともし難い。2時間余の時間歓談して解散したが、来年の今頃はどんな世の中になっていることだろうか。会場の「白楽」さんも一年に一度の出会いだが、今でも覚えていて下さるのにはあり難さを感じる。店の方々も3世代、元気で勤めてお出でだった。「今年は最後のお客さん」と言われたが、ここも長い付き合いとなっている。

 会を閉じて帰ろうとしたら「もう一軒、懐かしいところへ行こう」と誘われた。退職校長が良く集まる店だが、私が大学を卒業してこの地へ赴任した時、下宿先が決まるまで一週間以上お世話になった家だった。その当時の方々は既に亡くなり、今は亡き長男の嫁さんが「飲み屋」を開いてお出でである。これまでに何回か訪れたことのある店だが、不況なのかお客は居なかった。23時過ぎまでいて、タクシーに乗って帰宅した。タクシーから降りて自宅までの道、見上げると冬の星座が凍てた空気越しに煌めいていた。

日時を問わず

2014年12月26日 16時24分07秒 | 日記
 日本列島近辺は気象が悪いらしく、船舶の遭難が相次いでいる。先日は漁船が沈没し、命を落とされた人もいた。「魚が獲れ過ぎた」ような報道もあったが、さてどうだろうか? 昨日は貨物船が遭難したらしい。年末、悪いニュースばかりが目立っている。
 隣組で不幸があった。数えで86歳になる方が亡くなった。今週初めは元気だったように聞いたが、命とは儚いものらしい。「隣組」なので、葬儀のお手伝いがあった。昨夜は“通夜”で、今日が葬儀。長いこと施設に入ってお出でだったからか、会葬者は少なかった。葬儀のお手伝いとは、昨今は葬祭会館を使用するので「受付」だけである。したがって昨夜は「通夜での受付」で、本日は「葬儀の受付」だった。会葬者が少なかったのでそんなには忙しくなく、4~5人いれば事は済んだ。隣組として集まったのは11名。したがって多くは受付の後ろに座っているだけだが、交代要員として必要でもある。
 葬祭会館の代表者が言うには、「昨今は“家族葬”が増えているので、会館運営は大変だ」とのこと。何せ、収入にならないらしい。私たちの地域でも、新しくこられた方々はこうした付き合いが殆どない。確かに「近所づきあい」は面倒な部分があるのだろうが、緊急の場合はお隣さんを頼るしかなかろう。自然災害などでの避難時も、同じことが言える。
 これから年末年始にかけて、お亡くなりになる方も多かろう。これだけは日時を問わないので、仲間意識で対処する必要があるだろう。
 太陽が随分西空に沈みかけているようで、夕日が長く差し込んでいる。一日が「葬儀」で終わってしまった。天気予報では、明日も良い天気らしい。