自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

2010年最後の日(大晦日)

2010年12月31日 17時03分46秒 | インポート

 早朝の庭には薄っすらと雪が残っていた。でも、空はすっきりと晴れ渡っていた。「天気予報が外れて、暖かくなるのかなあ」と思っていたが、風は冷たく気温は上がらなかった。

 大晦日で明日からの新年3ヶ日に備え、おせち料理の準備。寒い朝に負けずに「黒豆を炊くから」と言われて、七輪に豆炭を熾す。準備中に「エアコンの掃除に来ました」と、デオデオから。「年末押し迫っているので、年明けでいいですよ」と遠慮したが、「綺麗に掃除されて新年を迎えるほうがいいですよ」と晦日に掃除に来られた。2台の掃除に、昼前までかかっていた。

 黒豆を炊き、昨日搗いた豆餅とミカン餅を切った。そして娘の嫁ぎ先へ送っておいた。

 昼過ぎに電話がかかり、「鯛と蛸を貰ったから事務局まで取りに来て」と。折角の好意をありがたくいただいて事務局へ取りに行くと、大きな鯛一匹と蛸を1匹いただいた。鯛はウロコを取り、内臓も外してあった。蛸も内臓は処理されていた。生きが良いので早速調理。鯛は3枚に下ろし、あらは冷凍にしておいた。身は半身は息子にやり、半身は我が家に。蛸は「生」だったので滅多にできない「刺身」にするために、脚(手かな?)を処理。生きのよさが分るくらい、吸盤が吸い付いてくる。皮と吸盤をはずして、所謂「丸棒」状態に。息子を始めとしてご近所さまへおすそ分け。年の終わりに、珍しいもの(?)を食べていただけよう。

 処理が済んだのが15時過ぎ、次の仕事として娘の旦那を迎えに福山駅へ行った。が、何と人と車の多いこと。迎車待機スペースは満車で、近くの路地まで溢れていた。「さすがに年末」と、変な感心。

 あとは夜の「紅白歌合戦」だろうが、私の趣味に合わない。それは、最近の若手の歌手や歌が嫌いだから(本当は分らない)である。穏やかに暮れていきそうな2010年だが、雲の流れは速い。本当に「目まぐるしく変わる天気」である。明日は、どんな一年のスタートとなるだろうか。「初日の出」を見ることは出来るだろうか。


年末恒例行事

2010年12月30日 22時51分55秒 | インポート

 朝から餅つき。これまで使っていた餅つき機は「搗く」だけだったが、庭にクドを設えて薪を焚きもち米を蒸していたが、薪の蓄えもなくなったし「クド」を設えるのも面倒になったので、今年は「蒸す・搗く」の餅つき機を購入した。

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 2升の米を蒸すのにかかる時間は凡そ45分、搗くのにかかる時間が15分とか。計60分を要するとの説明。もち米は昨日から洗って水に浸けておいた。

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 丁度二日前に娘が孫を連れて帰省しているので、昨年に続き2度目の餅つきを体験させた。

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 白い普通の餅や豆餅、餡餅・みかん餅を搗き終わったのは14時を回っていた。後片付けは後刻にして、次の予定へ走った。

 毎年、年末にはNPO法人宇宙少年団「備後ローズスター分団」で年忘れ餅つき会を開催している。15時前に着いたが、すでに数人が来ていた。計画では「10時から日没まで」ということだったが、まだ餅つきはされていなかった。先着7名は適当に食べ、飲んでいた。餅つき担当の金尾リーダーは、いつも臼や杵など一式を持参される。この会で「初めて杵で搗いた」というリーダーも結構いる。

 もう一人「調理担当」の瀧口リーダーが準備したカンパチの刺身は美味かった。また、アラを使っての雑煮も美味だった。「17時までに帰宅しよう」と考えて参加したが、清水リーダーから「年越し用の手打ちソバ」をいただいた。ほぼ入れ替わりで北野リーダーが来られたが、焼酎1升とワインを3本持参されていた。「これでは日没には終われないだろう」と思いつつ、事務局を後にした。先にメール添付で送ってあった「しおり」の原稿はプリントアウトされて皆さんの点検を受けていたが、何もクレームはなかった。年明けに印刷に行く予定である。

 これで年末の恒例行事は終了した。

 「山崎直子宇宙飛行士講演会」について、毎日新聞に続いて中国新聞・太陽新聞で記事として掲載されていた。年明け早々には、参加申込みの往復はがきの整理に行かなければなるまい。


さすがにプロは違うなあ

2010年12月29日 19時54分14秒 | インポート

 “デッセ中山”の中山さんが「来年のカレンダー」を持参して、訪問された。ありがたいことである。「今、時間あります?」と聞いたところ、「少しならいいですよ。で、何?」と。丁度スキャナーが動かなくなっていたので、スキャナーを見てもらった。「スキャナーが動かんのです。ソフトをダウンロードしなければならないみたいで」と伝えた。これまで何度も試みたが、巧く行かなかった。「そうでしょう」と言いつつパソコンを操作。私がダウンロードを試行した同じソフトをダウンロードしたが、あちらこちらも同じように操作されていた。私にはまったく分らない世界。

 「これで大丈夫です。で、こんなことされたことがありますか」と言いつつ、PDFからスキャナーを立ち上げる操作を教えてくださった。「これを使うと、PDFで送られてきた書類をそのままスキャンしてデータとして残せるので、ペーパーが不要になるのですよ」と。なるほど、「このようにすれば情報はデータでHDへ残せばよいのだ」ということを理解した。

 電気店を経営されているが、さすがにプロ。技術も頭の中も違う。あらためて違いを悟った。今日は中山さんに「感謝!」である。新しくスキャナーを購入しなくて済んだもの。


年末恒例反省会

2010年12月29日 10時19分53秒 | インポート

 教師になって8年目の頃、「基礎理科の会」という任意の「理科教育研究会」を立ち上げた。そのときから「事務局長」として会の運営にあたり、校長就任で「会長」職についたが、私が辞職して間なしに市教委から解散させられた会である。その後は「市教委主導の教科研」として現在に至るが、年末の反省会だけ合同での開催となっている。以前は任意団体で、所謂「同好の志」の集まりだったから内容も濃く、多方面にわたっての研修が出来ていたが、今はそうはいかないようだ。

 毎年晦日の28日18時から、場所は「白楽」という料理屋は決まりである。

 今回はOB7名、現職6名の合計13名の参加。最近に無く少ない参加であった。75歳を超えた方2名、70歳を超えた方1名が私の先輩であるが、みなさん元気である。中には昨年末「息子達が赴任しているから」と、10日間バンコクへ旅された方もお出でになった。「12月31日にバンコクを発ったが、福岡空港へ着くときには元日になり、機上から見えた初日のでは素晴らしかった」と、感想を述べておられた。

 18時から21時過ぎまでの3時間余、和気藹々と時間が過ごせるのは理科教育に「命をかけた」(言いすぎかも)同好の志の集まりだからか。あのまま「任意団体としての基礎理科の会」が存続していれば、今よりは成果もあがっただろうに・・・と思うのは私だけだろうか。

 辞職後は「環境教育」に取り組み、今は「宇宙教育」に関わっている。「理科教育」からは離れて久しい。これからも「戻ること」は、恐らくないだろう。「現況報告を」と乞われて「山崎直子宇宙飛行士講演会」のお知らせと「はやぶさ」についての知りうる範囲での話をさせていただいた。

 9時半前に会を閉じ皆さんは二次会へ消えていったが、私は娘と孫が来るので福山駅へ迎えに行った。22時17分着の「のぞみ」で帰ってきたが、大勢の客が下車。迎車スペースは車・車と、車が溢れていた。「ああ、年末だ」を実感した一こまであった。


風の強い一日

2010年12月27日 16時00分55秒 | インポート

 朝一番の電話で「広瀬は雪が降っていて、コースは真っ白。今日は行けまい。」とTさん。その内容をIさんに伝えると「広瀬じゃなくても、ナビックでもあるでしょうに」、「Tさんに言って」と。間に立って嫁さんは電話をかかえて仲介役。ナビックに電話をかけて確認すると「今日はオープンしています」とのこと。結局「ナビックランド」へ行くことにして待機。Yさんが9時半に来られ、Iさんはその後来られたのでエブリーで弁当を購入した。Tさんとはここで待ち合わせをしていたので、10時前に出発。行き先は笠岡、神島のナビックランド。風が強く、海は波立っていた。天気予報では、波は1.5mの予報だったが確かに高かった。ただ波頭の白波は見えなかった。

 先客が6名居られたが、車を見ると「倉敷ナンバー」。近くの人たちだったのだろうか。

 昼食前に2ゲーム、昼食後4ゲームをしたが汗はかかなかった。ここではガス(持ち込み)が使えるので便利がいい。今日も湯を沸かして、生味噌のインスタント味噌汁を食べることができた。また気温が低かったので、お茶を沸かすこともできた。

 2010年の「打ち納め」だったが、成績は置いておいて「楽しめた」半日だった。

 帰路、竹田を通ったが「寒桜」が少しだけ咲いていた。例年ならもっと花が多いと言うが、今年は天候不順だったのだろう。それでも薄ピンク色の可憐な花弁が誇らしげだった。また笠岡・茂平は無花果の産地だが、今年伸びて実をつけた枝を剪定されていた。無花果も、実は新しい枝に付くのだ。

 9名で行った「2010年打ち納め会」、和気藹々と楽しく過ごせたひと時であった。