自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

辰巳峠で出会った“民話”です

2016年08月26日 17時19分46秒 | 日記

蟹のふんどし

 

むかあし、むかしのこと。

 佐治のあるところに若い衆がいました。若い衆は縁あって、遠い所の浜の方から嫁をもらいました。おとなしく、よく気のつく嫁で下。二人は若い衆の父親、母親と一緒に仲良く暮らしていました。

 ある冬の日のことでした。嫁の実家(さと)から便りがきました。

「一度、浜の方へ来てください。娘と一緒に婿殿も来てください。ご馳走をたくさん作って、みんなで待っております。」

さあ、若い衆ははじめて、嫁の実家の遠い浜の方へ行くことになりました。若い衆は、この佐治の村から、よそへ行くのははじめてだったので、父親も母親もおおあわてでした。

「ふだん、よそへ行ったこともないのに、よその礼儀作法というのは、どうすりゃあ、ええかなあ」

若い衆も心配になりました。下手なことをして、行儀が悪いと笑われては困る。うまいことやらないと、困る、と思い、親たちは、嫁がちょいとごはんを炊いている間、ないしょでにわか仕込みの礼儀作法を若い衆に教えました。

「嫁の家に行きゃあな、この頃のことだけえ蟹ちゅうむんがご馳走に出るだらあ、と思うだがないや、蟹を食う時には先にふんどしをはずして、それからよばれるむんだぜ」

「なにー蟹をよばれる時にゃあ、先に、ふんどしをはずしてよばれるむんだか?」

若い衆はびっくりしました。そして、

「それは、ちぃと、はずかしいなあ」

といいました。しかし、親は、

「それが礼儀作法というむんだがないや。ちゃあんと、はずせえょ」と叱りました。そして、母親がいいました。

「そいから、お茶が出た時にゃあ、なんぼう湯が熱うても、フウフウいわせて口で吹くむんじゃねえだぜ。みっともねえけえなあいや。その時にゃあ、漬物こうこうをちいと、箸ではさみ込んでなあいや、ぼっちりと、まぜくりょうりゃ、さめるけえ、そげえするがいいだぜ」

若い衆はいいました。

「わかった、わかった」

そうして、その日の朝、早く、若い衆と嫁は出かけ、日暮れに嫁の実家に着きました。嫁の母親は大喜びで、婿殿にいいました。

「さあさあ、長旅う、歩いてくたびれとるだけえ、まあ、なんだらあと、先に湯に入ってごっされよう」

若い衆は風呂に入ろうとしましたが、

「おうっ!あっつっつっ………」

風呂の湯は熱くて、とても入れたものではありません。若い衆は風呂場から飛び出すと、台所の漬物樽から大根の漬物を二、三本、取り出して、風呂場に戻りました。

「湯が熱けりゃあ、漬物こうこうを入れてまぜくれえちゅうだけぇ」

といいながら、漬物大根を、湯の中にぶち込んで、ぐるぐる、かき回しました。そして、どうにか入れるように湯がぬるくなり、若い衆は、

「いい、あんべえ」

と湯につかりました。そこへ、嫁が来て、湯の中の漬物大根を見て、びっくり。それから急いで、若い衆を風呂から上がらせて、漬物のぬかを湯で洗いました。

「やれやれ、いい湯だったわいや」

若い衆はけろっとしていいました。

 さあ、いよいよ、晩ごはんです。座敷には嫁の父親、母親、親戚が並び、立派なお膳が出ています。若い衆がよくよく見ると、やっぱり大きな蟹がのっていました。

「これだ、これだ、いわれたやあにせにゃあいけんがよう」

とひとりごとをいいながら、立ち上がり、自分のふんどしをはずし、ていねいにたたんで、お膳の横に置きました。そして、にこにこと蟹に箸をつけました。

 (民話:“佐治谷はなし”より)

 

 どこの地の民話でも、なかなか“味”があるものです。読めば、楽しく、心が豊かになります。


蒜山再訪

2016年08月25日 17時51分03秒 | 日記

 前回(8月8日~10日)娘と孫を連れて行った時、コクワガタの雌雄を二番福山へ連れ帰った。「ばあちゃん、逃がしてやろうよ」と孫が言ったが、「福山で飼って、また逃がしに来るよ」と答えた祖母だったので、その約束を守るためと、再度避暑に訪れた。やはり蒜山での生活は、2泊3日だったが快適であった。

 23日の朝自宅を出たが、R182を北上して東城道の駅へ立ち寄った。その時、珍しいものを見た。駐車場へ止めて正面を見ると、急傾斜の崖にまるで蝿のように張り付いている建設機械が目に留まった。

「何だろう?」と凝視すると、斜面を削りながら上る機械である。先にはショベルが付いていて、虫のように這いずりながら崖を削っていた。拡大したのが2枚目だが、右側で足場に立っている人間を見ると、その傾斜が分かる。「怖いなあ…」と思いながら、「機械はここまで進歩したか」と変に納得。運転している人は大変だろうな。

 その後はいつものルートを山荘まで走り、昼前に到着したので早速“ブルーベリー”を収穫した。さらに庭に植えてある“ヤマボウシ”の実が熟れていたので収穫したが、“ヤマボウシ”は実が熟れると風に揺られて落下する。それも“果柄”をつけたまま。写真左が枝についている“ヤマボウシ”で、赤く熟すと甘い。右は落下したヤマボウシの実である。

 

 日が暮れた時期を見計らって、クワガタたちを採集したコナラの樹の根元に逃がしてやった。喜んでくれただろうか?

 二日目早朝、「野土路」へ水を汲みに行った。「平日の早朝だから、誰もいないだろう」と思いつつ現地へ着くと、軽四が2台停まっていた。運が良かったか、丁度汲み終えたところで2台はすぐに走り去った。今回はそんなに多くのボトルを用意してなかったので直ぐに汲み終えたが、途中で一人「先に汲ませてください」と割って入られた。聞くと「毎日、水筒に2本汲んでいく」とのこと。「冷たく美味しいので、仕事の合間に飲む」のだそうだ。勝山で材木関係の仕事に携わっているとのことだったが、毎日のエネルギーになっているようだ。

 山荘に帰宅後「ドライブに行こう」と、移動を始めた。特に〇〇へ、との思いはなかったが、「武蔵の郷:大原」を目指した。「地道をのんびりと走ろう」と人形峠経由で東へ、東へと走った。途中、辰巳峠で小休止したが、そこで観光案内の看板を撮影したところ、下部に“民話”が一話書かれていたので拡大撮影しておいた。

  

 ここ辰巳峠は凝灰岩中に植物化石が多産する場所だったが、マニアなどに掘り荒らされた結果現在は採掘禁止となって居る場所で、天然記念物指定がなされている。もう30年以上前になるか、福山の小学校理科教師を連れて採集に来たことがあるが、道路が狭くてマイクロバスさえ入れなかった。今は片側1車線の素晴らしい道が造られているが、谷には“栃”の大木が多く「栃谷」の呼称が残っている。化石採集に訪れた時の様子は全く残っていない。最初に訪れたのは「粟くらんど」である。ここは道の駅になっていて、当日も結構お客さんはお出でだった。昼食を摂ったが、私たち夫婦を入れて年配の夫婦が3組、昼食を摂っていた。食後早々に店をでて、「武蔵の郷」へ向かったが、距離的にはそんなに離れていないので、間なしに到着した。が、ここには観光客は全くと言っていいほどいなかった。「武蔵ブーム」は、とっくに過ぎ去ったのだろう。それでも、訪問した証として、写真を何枚か撮っておいた。

        

 最後の写真「武蔵生誕の地」の石碑、その奥に見えるお宅がそうらしいのだが、現在は住民がお出でで立ち入り禁止となっていた。色々な施設があったが、寂れていた。

 この近く、美作市の中心部辺りに家内の友人が住んでいる。「寿林寺」というお寺なのですぐわかるだろう、と訪れることにした。「短大時代からの古い友人」で、家内にとっては大切な人とのこと。昔、一度訪問した記憶があるが、まだ“ランドクルーザー”に乗っている頃だった。薄い記憶とカーナビの案内を頼りに南下したが、割と簡単に到着した。「日蓮宗」のお寺であった。写真は、友人を待つ山門前の家内である。

 山門から入ると、素晴らしい松と枝垂桜を見ることができる。前回来た時は、この枝垂桜が満開であった。短い時間だったが、家内と彼女、交歓ができて喜んだことだろう。お寺を辞して、美作ICから高速に乗り、中国道・米子道と走り、湯原ICで地道へ下りて山荘へ帰った。

 山荘の東の雑木林中には色んな木が生えているが、その中の一つ“シバグリ”である。

写真上部の蔓のような植物は「ツルウメモドキ」である。何やかやと三日ほど滞在したが、今日の昼前に山荘を出て帰路に着いた。根雨の町で「手打ちそば」を食べて、あとはひたすら自宅へと。福山の気温は34℃、また「暑い、暑い」を繰り返すことになるなあ。

 

 


バレエの発表会

2016年08月21日 21時06分52秒 | 日記

 「福山バレエアカデミー第6回発表会」が、リーデンローズ大ホールで開催された。今週の始めに「来ていただけますか?」と言われていたので、一応「見に行かせてください」と答えておいた。今日は小畠でG・Gの大会があって、開演時間までに行けるかどうかが不明だったので、「15時には難しいかもしれない」と伝えておいたところ「15時からの“オープニング、白鳥の湖”が目玉なので、是非」と返事が来ていた。G・G大会で自分たちのゲームが終了し次第、帰宅して準備をした。14時すぎに家を出て、45分頃に会場である「リーデンローズ=ふくやま芸術文化ホール」に着いた。開演に間に合った。入場チケットを持っていなかったので、誘ってくれた教え子の母親を呼んでもらってチケットを受け取り、指定された席に着いた。その時母親が言われたことは、「“白鳥の湖”を見てくれなかったら、娘が怒るところでしたよ」だった。間に合って良かった、良かった!である。

 これで何度目となるだろうか。バレエという芸術が分かっているわけではないが、その大変さは何となく理解できているつもり。今日は開演から終演まで指定された席で観たが、少々お尻が痛くなった。4時間弱の時間だったような気がする。内容は、オープニングが「白鳥の湖:第2幕より」で、第一部は「小品集:1)エル・チョクロ;2)くるみ割り人形より金平糖のパ・ド・ドゥ;3)眠れる森の美女より妖精の踊り;4)サタネラよりグラン・パ・ド・ドゥ;5)花のワルツなど15演目」、第二部「ドン・キホーテ:第3幕より」、そして最後に第三部「コッペリア:第3幕より」だった。

 演じる方々は、プログラムが変わる度に衣装を着替える。衣装代は個人持ちと聞いているが、それだけでも大変だねえ。でも、楽しく観ることができて「満足、満足」である。記念に、写真を3枚載せておくが、バレエの発表会の雰囲気が分かるだろうか? 3枚目には「紙吹雪」が沢山舞っているが、その様子も分かるだろう。

    


中学校の同期会

2016年08月15日 20時05分57秒 | 日記

 「片山中学校昭和36年卒業 55周年同期会」の案内を受け取ったのは5月末。「今回を最後にします」とあったので、「参加する」旨の返信を出しておいた。14日の夕刻から、会場は「呉森沢ホテル」。宿泊も同じホテルを予約し、昨日14時頃に家を出た。2時間強を見て移動したが、全線開通している“東広島~呉道路”(無料)を利用して行ったところ、2時間弱で到着した。ホテルでチェックイン後部屋で小休止し、17時に会場受付へ赴いた。すでに多くの同期生がいたが、なかなか顔と名前が一致しなかった。5月に高校の同期会(京都)で会っている仲間はすぐに分かったが、記憶に残っていない同期も多かった。それでもホテルでの一次会:二次会と経過すると、昔を思い出して回顧録の花が咲いた。

 案内には「17時半までには受付を済ませてください」とあったが、皆さんはそれより早くに集まったようで、若干早めの開会となった。

 会に先立ち、全体の記念写真が撮影された。

 大勢の参加者がテーブルにつき、司会の中本君の指示で事が進んだ。

    

 まず物故者(同期と恩師)を追悼して「黙祷1分間」の後、開会の辞を大年君が述べた。その後、本日出席くださった恩師2名(久志岡省三先生:住吉隆義先生)それぞれにご挨拶頂き、心ばかりの記念品を贈呈した。

 その後乾杯の音頭で会食が始まり、テーブルを行き来しながら懇親を図った。

 オードブル形式の会だったが、“飲み放題”とのことだったので、料理よりもアルコールに重きが置かれたか、料理の品数は少なかったような気がした…。2時間余の会の半ばに「ハワイコールズ」という団体の演奏があったが、同期の仲間が主宰している団体であった。

      

 演奏の終わりころには、ハワイアン演奏で「校歌」の合唱があったが、半世紀以上の時が流れていても不思議なことに覚えているものだ。みんな、大声で元気に合唱していた。

 同期会参加者は全て70歳を超えているが、元気なおじいちゃん・おばあちゃん。老人の会合に違いないが、時間が経つにつれて中学時代に逆戻り。当時の思い出を語り合いながら、頭の中は当時の情景が巡り回っている。「見た目は年寄りだが、気持ちは中学生だなあ」なんて言いながら、目が当時にかえって笑っている。55年前が、会場の中に存在していた。「今回が最後だなんて言わないで、2~3年後にまたやろうよ」と言う参加者もいた。「同期会」とは、時間が巻戻せる「タイムカプセル」なんだ。「遠くから見ても、中村君だとすぐ分かったよ。昔と同じだもの」とはお世辞だろうが、みんなそう思っていたのだろうなあ。

 最後に「万歳三唱」があり、閉会の言葉で「同期会」はお開きとなった。

 その後「有志だけでの二次会」が持たれたが、参加者は極端に少なくなっていた。二次会での食べ物は一次会の残りに「乾物」が少々付け足されていた。“カラオケ”も準備され、歌うのが好きなものが張り切って歌っていた。「中村は何故歌わんのか」と言われたが、アルコールが入っているときに歌うと声がしんどいので止めていたのだが、最後に全員での合唱だけには参加した。「三次会に繰り出そう」と誘われたが、アルコールは好きではないので遠慮し、部屋に戻ってオリンピックを見ながら寝ていた。

 卒業以来ほとんど会ったことの無かった同期にも会えて、楽しい時間が過ごせた同期会であった。

 今朝は5時過ぎに起き、6時45分から朝食を摂ったが、名古屋近くから来ていた同期は早めに朝食を済ませ、チェックアウトして帰って行った。私も朝食後帰宅の準備をして、7時半頃にチェックアウトし帰路についた。15日(月)だったが、皆さんお盆の休みのようで車は少なかった。阿賀から“呉~東広島道路”を利用して山陽道に入り、三原久井ICで地道に入り、府中市を経由して帰ったが、凡そ2時間弱だった。今年の大きな計画の二つ目が終わった。外は曇り空だが、気温は高い。雨が恋しい…と、そんな気持ちである。

 


暑くて「避暑」に=蒜山行

2016年08月10日 20時33分58秒 | 日記

 毎日暑くて…、表現を「暑い」から「熱い」に変えたくなるような、そんな気象。娘(孫の母)がやって来たので、8日の昼前から暑さ対策として避暑地「蒜山」へ。いつもの「地道ルート」で行ったが、蒜山の凌ぎやすいこと。夕方から涼しさが増し、夜はエアコンなくても肌寒さを感じる位。さすが、“西の軽井沢”と称されるだけある。

 山荘へ着くと一番に始めるのが「草刈り」。汗をかきながら山荘周囲の草刈りをした。南側の山荘にも女性が二人でお出でだったが、山荘の持ち主の方が来られて「テラスの下にくぼみが沢山あるのですが、見ていただけません?」と。行くと「ウスバカゲロウの幼虫の穴」だった。所謂「アリジゴク」だった。説明しても分からないようだったので、「心配いりません」と話をすると安心されたみたいだった。

 草刈り終了後「快湯館へ行こう」となったので、汗で濡れたまま快湯館へ。8日は男女ともにお客さんが多かった。中でも子連れの方が多く、遊ぶ子どもに閉口した。山荘に戻ったら「バーベキューをしよう」とのこと、用具を準備していたら「炭」がなかったので、コメリへ買いに行った。涼しいテラスで、4人でゆっくりバーベキューを楽しんだ。夜、外に出て見ると「夏の星座」などの星空が煌めいていて、「天の川」がくっきりと見えていた。

 9日、13時から14時まで「サントリー工場」の見学予約をしていたので、12時前に昼食を済ませて鳥取県の工場へ行った。今年の2月頃に一度行ったが、今回は40名定員が一杯であった。鏡ヶ成の西の稜線(斜面)に設けられた工場で、わざわざ既存の道路を付け替えてまで建設されたものである。

  “玄関前で記念写真”であるが、この施設は入り口に自動ドアが2か所あり、外側のドアが完全に閉じないと内側のドアは開かない機構になっている。受付のあるエントランスにはパネル写真が2種類掲示してあり、下側のパネル前で記念に撮影。

      

 2枚のパネルを別々に撮影すると、このようになる。

  下側は先の2枚である。上側は“冬の大山”である。

  待合コーナーで待つ親子と祖母。家族で参加してくる方々が多かったように見受けた。

 2Fの研修室で大まかな話を聴き、その後ペットボトルを制作する工場とか、水を詰める工場とか、検査する工場とか、2Fのガラス窓越しに見学したが、ほぼ無人に近いくらいオートメーション化されていた。室内の見学を済ませて、次に向かったのは「雪室」だった。工場の辺りは冬期豪雪地帯で、2~3m位の積雪がある。その雪を回収して「室」に入れ、夏場に利用しているとか。その雪室の様子であるが、室温は2℃だった。天井を見ると、水滴がついていた。

  

 「夕食は“ガンバリウス”で」と言うことで予約を入れると、「17時半から」との回答。凡そ3時間ほどの時間つぶしで、大山山麓をウロウロとドライブ。まず“鏡ヶ成”経由で大山道路の「鍵掛峠」へ。ここから見る“大山南壁”の景色が素晴らしいが、前面の“ブナ林”が紅葉する時期が最も映える。

        

 ここの駐車場は、秋のシーズンには駐車できないくらいの人が集まる。3枚目の写真は「国指定 大山鳥獣保護区」の説明看板であるが、その下に咲いている野草の写真が4枚目である。この植物は「マメ科ヌスビトハギ属ヌスビトハギ」であり、花期が終わり実が付くと“人の足形”に似るところからこの名が付いたみたいである。その後、桝水原を通って「大山ミルクランド」へ。その駐車場から撮った「伯耆大山=別名伯耆富士」である。

    さらに店舗前の広場から日本海方向を見たのが2枚目で、遥か遠くに「夜見が浜~島根半島」が見えている、半島の先には「美保ヶ関灯台」があるはずだが、霞んで確認できなかった。次に

写真博物館へ行ったが、「火曜日は休館日」で入れなかった。ついでに駐車場から見る大山を撮影。一枚目は私と家内、2枚目は伯耆富士である。

    

 木陰を作っていた樹木(3枚目)は“カラスザンショウ”(ミカン科イヌザンショウ属)で、この辺りではよく見かける樹木である。

 10日、本日は「暑いけど、福山へ…」と帰宅する日。支度を済ませて荷物を車に積んで、山荘を完全に施錠した後の写真である。

   

帰路、道の駅「風の家」前にある、「ひまわり畑」。奥の観光客が出入りして記念撮影。「ひまわりを見物される方は、道の駅の駐車場へ止めてください」との看板を無視し、隣りの「ローソン」の駐車場が大いに利用されている。でも、もしかするとそのおかげで、売り上げが少々伸びているかも知れないね。

    

 花の直径が10~15cm位の小型のひまわりだが、これだけ咲きそろうと綺麗である。「見事!」と、感嘆符!!。

 最後に立ち寄ったのは「俣野川発電所」関連施設。

  

 映像を見ながら説明を聞いたが、なかなか興味を引く。30年くらい前に「地下発電所」の見学をさせたが、今は前日に予約を入れると「地下発電所の1F」が見学できるシステムとのこと。次回は是非予約を入れて、地下発電所の見学をしてみたい。この発電所は「揚水発電所」で、中国電力管内にはここの他に「成羽川発電所がある」とのことであった。孫は2回目の見学だが、何か心や頭に残っていれば嬉しいのだが…。

 日南邑で昼食を摂り、後は一路自宅へ帰った。「福山は暑い!」が、素直な感想である。