昨25日、松江市八雲町にある「安部栄四郎自宅」と「安部栄四郎記念館」を訪問した。これまでに2度訪問しているが、今回は分団リーダー3名と分団長が「行きたい」とのことだったので、YAC八雲分団の方を介して見学を申し込み、記念館とともに見学が実現した。現在は安部信一郎さんが跡を継いでおいでで、彼に自宅を見せていただいたわけである。
福山を10時に出発し、R314を北へ向かって走った。途中備後落合で美味しい「ソフトクリーム」を食べ、昼食は横田町のスーパーで摂った。「14時に伺う」と約束していたので、その後はひたすら走った。足立美術館のある広瀬町から山越えをして、14時少し前に安部家についた。2Fの応接間に通されて色々とお話を伺ったが、祖父である栄四郎さんの蒐集には素晴らしいものが多かった。昭和34年に建てられたという母屋は豪壮で、総檜作り。大黒柱は「欅」であった。その年の暮れ12月22日に棟方志功さんが来られて、無地の襖などに素晴らしい絵を残されたとのこと。「新築祝いの意味があったのだろう」と、信一郎さんは言われた。棟方志功さんの絵は、自宅の他に記念館に展示してあるとのことだったので、その後記念館へ移動した。
数年前に自宅前を通っていた国道もバイパスが作られたので、周囲が随分静かになったという。「自宅も記念館も撮影禁止」とのことだったので、棟方志功さんの絵は全く撮影できなかった。1Fと2Fの展示場を見てフロント・ロビーへ戻ると、大きな内障子に「蝶のグラデュエーション」ガ形を変えて貼ってあり、その中に昆虫が2点貼り付けてあった。「カメムシ」と「ハチ」である。
「切り絵」という手法で作られていたが、本物そっくりであった。紙は信一郎さんの漉いたもののようだった。私に真似ができないかなあ…と思って、カメラに収めた。ところで、今は紙漉きも大変らしい。紙の原料となる「楮・雁皮・三椏」などが近隣では手に入らず、「高知から入手している」とのことだった。また“ノリ”として必要不可欠な“トロロアオイ”という植物さえも、栽培している人が近隣にいないらしい。紙漉きをする前にしなければならないことが多すぎるようだった。
その後お暇をして、本日の宿「ゆうあい熊野館」へ移動した。10年くらい前になるか、初めて松江で「宇宙教育指導者セミナー」を開催した時に、一日目の終わりに懇親会をした場所である。チェックインには少々早かったので、すぐ近くの「熊野大社」へ参った。歴史ある大きな神社で、大鳥居の前に謂れが書かれた「看板」があった。
コンクリート造りの大鳥居も大きく、どっしりとしていた。
鳥居を潜り、朱塗りの橋を渡ると正面に本殿が見えてきた。
かなり広い空間を取って、本殿は鎮座していた。
吊り下げられた“大しめ縄”にも、力を感じた。また、本殿裏の社叢林にも畏怖の念を持たざるを得なかった。樹木の巨大さに圧倒された。境内に咲いていた「ツワブキ」も、何となく元気に溢れて居るように見えた。
暫らく境内を散策していると、「連理の榊」が目についた。「連理」になること自体が“奇跡”に近いのに、この境内には2か所連理の樹木があった。
そして、その隣には有名な“和歌”を刻んだ石が据えられていた。正に「熊野大社」であった。
休憩所には、神々の歴史を分かりやすく絵画にした大額が置いてあった。
境内の外を歩きながら宿へ戻ったが、途中に「さざれ石」が展示されているのをみた。「石灰角礫岩」と説明にあったが、「君が代=国家」にうたわれた「さざれ石」である。
そういえば、先に開催されたラグビーのワールドカップ日本代表チームの中の外国人たちは、この君が代を歌詞の意味とともに理解できるまで練習されたとのことで、実に大きな声で歌われていた。素晴らしいことである、とそう思った。宿での夜は早く更け行き、二日目に備えて早めに寝た。
二日目は帰るのみ、なので、大山を経由して地道を走ることにした。八雲から大山の麓までは広域農道を走ったが、平日だからかスムーズに走行できた。桝水高原へ行き、ゲレンデ前で小休止。斜面に「マツムシソウ」の可憐な花が咲いていた。ゲレンデ部分はススキの原で、白い穂が風に揺れていた。
その後コーヒータイムを済ませて、桝水から御机まで高原道路を走ったが、鍵掛峠辺りでは多くの観光客の車で渋滞した。御机の原風景を写真に撮ろうというので、大山南壁が見える場所に移動して、一枚シャッターを切った。結果的には2枚になったが…。
帰路にある“滝山公園”を見て、日南邑で昼食を摂り、事務局へ着いたのは15時を回っていた。
楽しめた二日間だった。久し振りにゆっくり過ごし、命の洗濯となったような気がした。事故なく、無事に帰れて、万々歳である。