南太平洋では台風が発生しているが、この地方は32℃を超える暑さである。今日は午後「山野発電所の取水堰」の見学に行った。小田川にあるこの取水堰は、発電所から直線距離で5km位離れている。戦時中、当時の朝鮮からの徴用工などを使ってトンネルなどを掘削し、導水路を作ったとのことであるが、大変な工事だったに違いない。導水路のほとんどはトンネルになっているようだが、聞くところではトンネルは高さが人一人分ほどとのことだった。昔から「山野発電所」は場所も含めて知ってはいたが、取水堰は知らなかった。今回、宇宙少年団の活動で「山野発電所の見学」を企画したので、ついでに・・とリーダー有志が参加した。場所は色々と調べて、大体の場所は把握できた。ところが、先月の雨で「山野~油木」の地方道ががけ崩れで通れないとのことだったので、山野側からは行けないので油木側から南下した。取水堰近くには“青瀧”という集落があり、3軒余りの住宅が存在している。もともとは“上野”という地域で、子ども達が多くいたころは「上野小学校」があったが、今は廃校となっている。
その集落を過ぎた辺りで、地方道は「進入禁止」となっていた。分岐の橋の上に駐車して、徒歩で現場へ向かった。凡そ200m位歩くと草が刈ってあり、鎖が掛けてあった。その脇から入ることにした。入ると、写真にある看板が目についたので読んでみた。
読めるように、歴史ある場所だったようだ。小田川沿いと言っても当時は今のような道はなかっただろうから、 隠遁生活をするには最適だったかも知れない。その看板を後にして先に進んだが、通路両脇には木々が茂り、山側には「硯石層群の石灰礫岩」が見られた。写真は多く見られた「オニグルミ」である。ブドウのように房状の実が分かる。
先に進むと、取水堰の全容が見えてきた。
見て分かるように小田川全体を堰き止めてあるが、ダムのような施設ではない。裏側(上流側)の様子も載せておこう。この時期は降雨も少なく、流量も少ないが、堰き止めて得た水は二次沈砂池を過ぎるところで小田川本流に返されている。
取水堰の左岸側には一次沈砂池があり、ここから二次沈砂池まではトンネルとなっていた。
二次沈砂池には建物もあり一応施設らしくは見えるが、誰も「山野発電所の取水堰」とは思わないであろう。看板も表示もない。だからか、これまで何度か地方道を通過しているが、気づきもしなかった。二次沈砂池では、先述したように凡そ半分くらいの水量で河川水が本流に戻されている。残りは「発電用の水」として、地下トンネルで 発電所へ導水されている。写真は全景と最初のトンネルからの出口である。
下側の写真の左側水路(?)は、二次沈砂池を流れる水がオーバーフローしたとき用の 水路である。
取り立てて取水堰の説明板があるわけではなく、関係者がいて説明を受ければ理解も早かろうが、個人が見て勝手に納得した次第である。それにしてもこれだけの施設を戦前~戦中に構築するには、大変なエネルギーが要ったことだろう。帰路は岡山県側を経て豊松のログハウスへ寄り、小休憩の後帰宅した。初めて訪れた施設に感激し、自然を楽しんだ半日であった。