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じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

カトマンズ 点景

2015-12-27 20:16:06 | ネパール旅日記 2015

なんて事無い写真ですが・・・


野菜売りだけが並ぶ路地


ヒンドゥー教の寺院 必ず辻に有って前は広場になる


ネパールでは味の素もキッコーマンも見掛けない


ネパールの女性ははとにかく赤が好きなんですね


由緒有りそうな寺院の屋根の飾り物 鳩の糞だらけ


礼拝はブジャと言い毎日欠かさない らしい


ヒンドゥー寺院 中でイベントをやっていた


テンプー 乗り合い路線三輪車 何処でも停まる


有名なヒンドゥー寺院だが反物売りが占領してる


国が違えばセンスも様々 クルタと言う らしい

観光客に馴染みのカトマンズと言えば「タメル地区」である。
自分は三度目、延べ日数10日のカトマンズ滞在でようやく色々な通りと観光名所の位置関係が把握できた。
何故にそれほど手間取ったのかと言うと、地図を片手に歩いたとしても自分の現在地が分からなくなり地図が役に立たなくなるのだ。
まっ、ハンディーGPSやスマホと言う手も有りそうだけれど、少なくても自分使ったNセルのシムではスマホも満足な道案内はしてくれなかった。
何故現在地が分からなくなるのか? 最大の理由は地名や通りの表示が無い事である。
仮に有ったとしてもネパール語で全く読めないのだ。
ヒンドゥー寺院が有るとそこはチョークと言って寺院の広場を中心に辻を成している。
とても特徴的な場所なのでそれを起点にしたいのだが、チョークは似た様な物が数多く有り、ややこしく、なのに地名や寺院名の表示殆ど見つからないのだ。

更に分かり難くしている理由は、似たような雰囲気の狭い路地が交錯しており、自分は真っ直ぐ歩いて来たつもりが微妙に曲がっていたりして方角を失うのだ。
迷いに迷った自分はとうとう街中で地図とコンパスを使って歩く事にしてやっとタメル地区とその周辺を攻略した。

とは言うものの覚えてしまえば狭い街で、タメル地区などは路地と路地をつなぐ枝道を駆使して何処へでも行けるようになるのだが。

カトマンズの人口密集度は凄い。
とくに中心部では人とバイクと車とが狭い路地に集中して二進も三進も行かなくなりクラクションの雨霰、などと言うのは珍しく無い。
山間部ののんびりした雰囲気からは想像できない喧噪と猥雑と・・・とにかく自分はあまりの人の多さに息苦しくなる。
毎日が祭り・・・そんな感じに自分は思えた。







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ヤギ料理(再UP)

2015-12-27 18:41:36 | ネパール旅日記 2015


直ぐに閲覧停止になる因縁の記事
ヤギのネパール式調理方法の解説です
画像は鮮明にならないように加工しました!!!


Rajuk家でヤギ肉のダルバートを御馳走になった。
これは本当に本当の御馳走であって、地元住民でも祝い事などの時しか食べないものなのだ。
それをトレッキングで通りすがりのジャパニーズに御馳走してくれたRaju一家・・・感謝であります。
いや、食べごろの仔山羊は一頭7000Rsだと言う事でして、ネパールの労働者の月収の半分近くになる訳です。
一頭売ったならそれなりの収入になるのに私に御馳走してくれた訳ですから、本当に感謝の念に堪えません。



5頭のヤギが朝の餌を食んでいる

他のヤギが餌をむさぼる中で一頭だけ、ぶら下がっている餌から顔を背けていた。
しかも小刻みに震えているではないか。
自分はすぐにピンと来た・・・ああ、今夜のごちそうはこの仔山羊か、と。
動物の勘だろうとしか思えない現象なのだが、こいつを喰おうと品定めした瞬間から怯え出すのだ。
不思議な事だが、まるで言葉が分かるかのように怯え出すのだ。


山に餌を食べに行く時とは雰囲気が違うのか?

仔山羊は時々山に餌を食べに連れて行かれる。
だから綱を付けられ引かれて行くのには慣れているはずなのに、この時には四股を踏ん張って引いて行かれまいとした。
これから何が起こるのか分かっているとしか思えない。


頸動脈にナイフを入れてる

首の所をスウっと切ると血がぴゅーっと飛ぶように出る。
それを素早く鍋に受け、逆さに振って出なくなる迄血を抜く。
この時点では未だ少し暴れるのでしっかり押さえていなければならない。


血が抜けたら頭部を切り離す

落とした頭は焚き火にくべて毛を焼き、食べる。
脳味噌は食べるが目玉は食べないらしい。


首を紐できつく縛る

首を紐で縛る理由は空気が漏れないようにするためだ。
空気を皮と肉の間に吹き込んで膨らまし毛を刈り易くするのだ。


ビニールホースを差し込んで空気を入れる

ここ迄の手順はフィリピンとほとんど同じなのだが、空気の入れ方が少し違う。
フィリピンではもう少し文化的で自転車の空気入れを使いもっとパンパンに膨らませる。


パンパンに膨らんだら空気穴を紐で縛る

空気を入れる時には皮下脂肪と皮の隙間が剥がれるようにしごいたり引っ張ったりする。空気が満遍なく入るようにするには少し技を使う。


熱湯を掛けて毛を抜き易くする

鶏でもそうだったが、毛を抜く時には熱湯を使う。
ヤギに熱湯を掛けてステンレスのコップの縁で削ぎ落とす。
ここもフィリピンと少し違い、彼方では安全剃刀を使っていた。
そして、細かい毛が残って面倒臭くなると火で炙って燃やしていた。


着色料で染めていた

ヤギを着色するのを見て皮を剥いで鞣すのか、と思ったけれどその後ぶつ切りにして皮ごと料理したので着色の意味は分からなかった。
しかしその後市場でヤギを見た時にも同様の色で染めてあったので、美味そうに見せる工夫なのかと思ったが、分からない。


まずは切り落とし易い腿から

肉を切り分けるのに一番大事な事は中身を傷つけて出さない事である。
未だ内蔵が入ったままなのでうっかり傷をつけて中身を出してしまうと肉が臭くなってしまうのだ。


四股が落とされた

脂がのって美味いのは肋のあたりなのだが仔山羊は小さくて食べる所が無い。
やはりもも肉が一番かも知れない。


中身は尻の穴から抜く

中身を抜いてから腹を切り開く。
細かい所になったらRajuがナイフを握った・・・上手だった。
大きいのは胃袋だ。


ヤギのポロポロ糞は既に腸の中で形ができているのだ

作家の椎名誠はヤギの豆のような丸い粒の糞を見てどうしてあんなきれいな丸になるのだろうと不思議だったらしい。
尻の穴から放り出される時に丸くなるのか、と思ったりもしたらしい。
ある時、モンゴルでヤギを解体して腸を見た時に既に丸い粒の糞を見て納得したと書いていた。
しかし、何故腸の中で丸くポロポロになるのか、その謎は解けていないと思うのだが。
自分の勘では腸の蠕動運動の仕業だと思うが、調べるよりも神秘のままにしておこうと思う。


ヤギの血に岩塩を加えて煎ったもの

ヤギの血を煎って食べるのは初めてだった。
フィリピンでは煮て固めて煮こごり状のままご飯に掛けて食べていた。
しかし、酒のツマミやおやつには煎って食べた方が美味しい。
良い事を覚えたので今度機会があったらフィリピンでやってみようと思う。


Rajuが肉を食べ易い大きさに切る

解体したヤギ肉は更に調理し易い大きさに切られる。
Rajuが器用に筋などを除けて切った。


Rajuパパがヤギ肉のカレーを作る

Rajuパパはトレッキングや登山隊のコックをして25年間、ネパールの殆ど全部のコースを歩き尽くしたと言う。
30年前のアンナプルナサーキットの話しを聞くと、未だロッジなど無くて全行程をテント泊で歩くエクスペディションだったのだとか。


煮豆とヤギ肉のダルバート

Rajuパパの作ったヤギ肉のカレーはとても美味かった。
昨晩御馳走になった鶏肉のカレーと全く同じ香辛料なのだが、肉がヤギなのでこくがあって美味かった。
仔山羊だったからか、ヤギ特有の匂いは皆無で、とても柔らかだった。

Rajuパパの弟が夕食の時にロキシーとチャンを瓶に一つもってやって来た。
ロキシーもチャンも各家庭の手作りなので家ごとに味が違うのだが、この時のチャンは絶品であった。
発泡していて僅かなスパークリング感覚と軽い酸味が旨かった。
ロキシーのアルコール度数が10度くらいでチャンは3~4%だろうか。
ロキシーはぬる燗で、チャンは冷やして飲むのが旨かった。

こんな体験は中々出来ないのでRajuに感謝であります。
ありがとうRaju、と言う事で・・・・


つづく









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朝の独り言(雑談)

2015-12-27 08:33:24 | 日記的雑談


久しぶりに雪が降った・・・山は吹雪いていそうでマンモスうれP


いちごは この寒さの後に春が来るのよ と言った


キャベツは 雪か と呟いて葉を食いしばった


白菜は 我慢だな と自分に言い聞かせていた

野菜やイチゴがそんな事言う分けないじゃないかとせせら笑った貴方は正しい。
イチゴもキャベツも白菜も、完全に宮沢賢治で、雨にも風にも負けんとするタイプなのだ。
だが、しかし、還暦も過ぎ背中に背負うものが若さから老いに転じた私の目には、全てのものが侘びであり寂びとして映るのである・・・うむっ、朝飯は焼き海苔と塩鮭なんで悪いものは食べていないのだが、一寸脳に異常が有るみたいな朝ですね・・・書いててケツの穴がムズイ。

さて、昨夜アップした記事が朝になったら閲覧できなくなっていた・・・不適切な表現とやらが含まれているとのご指摘を頂いての事だった。
ナニぉ~不適切な表現だとぉ~・・・安倍晋太郎の馬鹿やろうとか、麻生太郎の口曲りと書いてもなぁ~んのお咎めも無いブログなのに、ナニが引っかかったんだろうか?
思い当たる単語は「屠☆殺」しか無いので試しにそれを適当に書き換えてUPしてみた・・・書き換えてから40分経過した今の所は大丈夫のようだが・・・もしもこの単語一つが引っかかったとすると、このブログの管理者って脳味噌薄いと思うんだがなぁ・・・今時の社会って、本質を見ない偽善がまかり通っちまうのはこんな所にも原因が有りはしないかと思ったりするんですけれども・・・なにっ? 記事は十分グロテスクで閲覧不可は当然と宣いますか? そーですかぁ・・・それなら宜しい・・・はっきり言って私の負けです。

そんな訳で山沿いの我が家地方ではパラパラの雪ですが山では本格的に降っているようでありまして、やっとスキーに行けそうな雰囲気です。
でも、圧雪してゲレンデ作るには最低30センチ必要らしいんで、今日は無理ですね・・・明日からですか?
楽しみであります・・・がぁ、一般労働者も既に正月休みか? それだと混むなぁ。
まっ、いいか・・・大雪、希望します!!!





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Raju宅ホームスティ

2015-12-26 14:11:32 | ネパール旅日記 2015

11月26~28日 カトマンズ~ニガリへ

8時30分、Rajuが迎えに来たので出発。
ホテルのあるタメル地区から徒歩で30分ほどでシティーバスパーク到着。
中継地のバネパ行きの乗り合いバスに乗る。
9時00出発。
バスに乗ったときは大した込み具合とは思わなかったが、走り出してバス停に停まる度に乗客が増え、そのうち立っている客は身動きが取れなくなるほどに詰め込まれた。
当然バスの屋根にも乗客が溢れている。

10時30分 バネパ着

バネパでバスを降りて乗り換えるのは分っていたが、段取りの説明が無くどうしていれば良いのか困った。
Rajuとの会話は英語だったがあまり良くは通じなかった。
それで随分と行き違いが有ったのだが、まっ、着いて来てしまった以上は仕方が無い。
着いて歩けばRajuの家には辿り着くだろうと詳細を知ることは諦めた。

結局バスターミナルの傍の茶店で2時間近くも座ったままだった。
Rajuは地元なので知り合いがたくさん居て彼らと話しをしていた。
こんなことならビールの一杯も引っ掛けたのに、と、思ったが、嫌みを言っても感じないので黙っていた。


バスターミナルの近くの二階の茶店からバネパの街角


ビルの三階からバネパの街の遠景


TATAの四輪駆動トラックの乗り合いジープ

1時半頃になりRajuが腰を上げ汚い小型トラックまで歩いてこれに乗ると言った。
バネパの街から30分も走ると舗装道路から脇道に入った。
そこから先はかつて経験したことが無いほどの悪路で、時には水の流れる川を走って行った。
アンナプルナサーキットのジープロードがハイウェイに思えるほどで、四輪駆動トラックは常にEXローでしか登れない道だった。
初めのうちは座っていた乗客が飛び跳ねる車で尻を打つのに耐え切れず全員立ち上がった。

2時間ほどで車が停まりRajuと自分だけが降りた。
他の乗客は登って行くのでは無く、下に見える集落に下って行くのだった。


ニガリ村の中心地は徒歩30分ほど下の集落

Rajuは2時間ほど歩く、と言っていたのだが、家迄2時間かかると言うことだったのだろう。
ジープを降りて10分も歩いたらRajuの家だった。
4軒の家が集まった集落は全員が親戚だそうだ。


Rajuの家からの眺めは絶景だった

周囲は森林で目の前には一面菜の花畑が広がっていたのでRajuが言うほど高い所ではないと思いつつ手元の高度計を見ると2000mだった。
Rajuは3800mとか言っていたのだが、高いと寒いし寝付きも悪くなるので間違いで良かった。
棚田風に見えるのはすべて菜の花畑で、この一帯は菜種油の産地なのだとか。
草が豊富だからか、ヤギと乳牛が多く飼われていて、ネパールの農村としては豊かな雰囲気の村だった。


Rajuの家 中は土間だが靴は脱いで入る


入って右側が竃 左側が鶏とヤギの寝床 二階が寝室

家は石積みで壁は泥で固められていた。
床は土間で、二階の寝室も床は土間だった。
日本でも竃は土間にあるし、寒い地方では土間の脇に鶏や牛馬の部屋や寝床が設けられるのは普通だったが二階の床が土間と言うのは驚きだった。
板の上にわざわざ泥を塗ったのは何故なのか?と、想像してみた。
それは竃の煙対策ではないかと思うのだ。
竃からの煙の凄まじさは知らない人の想像を遥かに超える。
何でもかんでも煙で燻して煤だらけ脂だらけにしてしまうのだ。
そして、煙は少しの隙間からでも侵入するので泥で密閉しない限り二階の部屋は薫製部屋になってしまい使い物にならない・・・この推理はどーだろうか?恐らく当たりだと思うのだが。



Rajuのお母さんが牛の乳を搾っていた

Rajuの家には数え切れないほどの鶏とヤギ5頭と乳牛2頭と水牛3頭と蜜蜂も飼っていた。
しかし、鶏一羽とヤギ一頭は私のために絞められたのだが。


奥の土壁の建物は牛舎


日没前、放し飼いの鶏が戻って来る 夜は籠に入れる


Rajuの従兄弟の少年が晩飯用の鶏を絞めた

私を歓迎する晩餐はチキンカレーに決まっていたらしく、夕暮れ時、少年が鳥籠に手を突っ込んで大きな雌鳥を引っ張り出し、首をチョン切って絞めた。
そして、鍋に沸いたお湯で手際よく羽根を抜き下準備をした。
アジアの子供は男女を問わず誰でも出来るが、この少年はとくに上手だった。


Rajuママがチキンカレーのダルバートを料理した

ダルバートは美味かった。
庭を駆け回り地面を掘ってはミミズや虫など食べている地鶏は筋肉質で歯ごたえが有り美味かった。
地鶏は硬いと言うけれども歳をとって硬くなった鶏とは違って弾力があるのだ。
だから、じっくりと噛んで食べるほど余計に美味いのだ。


鶏肉のカレーと煮豆のダルバート 美味でした

私は自前で持ち込んだビールをやりながら鶏をしゃぶった。
一筋の肉も付いていない鶏の骨を見てRaju父さんが「犬が可哀想だな」と言った。
日本では鶏の骨は縦に裂けるので犬にやらないなどと言うけれど、今迄鶏の骨を喉に刺した間抜けな犬は見たことが無い。
人間が食べ終わる頃合いを見計らって犬が土間に入って来て伏せていた。
骨を投げて貰うのを待っているのだが、気配を消して静かに待つのだった。

Raju宅には二泊お世話になって、翌日の晩餐はヤギの肉のダルバートと、地酒のチャンとロキシーを強かに呑んで騒いだ。
Rajuパパがネパール民謡を歌ったので自分は郷土の「大漁唄い込み」で返した。

一つ気になったのは、Rajuがどう言うつもりで家に招待したのかが読めなくて、どんなタイミングで幾ら出せば良いのか計りかねた事だった。
Rajuとの会話では Invite you だったのでご招待だと思って気楽にやって来たのだが、帰り道では殆ど口をきかず不機嫌なRajuの様子を見ると、何かが不満だったんだろうな、としか思えなかったのだ。

昨年も一昨年も、トレッキングやクライミングが終わると、ドルジもラムさんも自分を家に招待して御馳走してくれた。
ドルジなどはこれでもかと言うほどに酒も用意して歓待してくれた。
その時、ドルジの家迄のタクシー代もドルジが払ったし、ラムさんも招待だから、と、金銭的な事は何も言わなかった。
ドルジは、トレッキングやクライミングのガイドは旅の後にはゲストを家に招待するのが習わしなのだと言っていた。
そんな事が有ったので自分は金など払ったら逆に失礼だろうと思い控えていたのだが、どうもそう言う事では無かったのかも知れない。
二日目、暇を持て余して近くの丘に登った時、放し飼いになっていたヤギを見て、ぼそっと、あれ一頭7000Rsなんだ、と言ったは、夜に食べたヤギの請求だったのだろうかと、今にして思うのだが・・・まっ、一番高かったジープ代とビール代は自分が払ったと言う事で、不足だとは思っていないんですけれども。


笑顔の無い記念写真

招かれざる客であったのかと言う少し気まずい思いを残したままRaju宅を後にした。
帰り道はジープで上って来た道を3時間かけて歩いて下った。
無口に早足で歩くRajuを無視してマイペースで下り、時々見え無くなっていたがどうせ一本道だろうと気にせずに歩いた。

3時間ほどで幹線道路に出た。
しかし中々バスが来なくて1時間以上も道端で待って乗り合いトラックに乗った。

バネパでは街外れで降ろされ散々歩き、カトマンズ行きだと思って乗ったバスは空港の傍で降りる羽目なりまた乗り換えた。

バネパを8時に出てカトマンズのHANA HOTELに着いたのは既に4時を過ぎていた。
身体的よりも精神的に疲れたネパール国ネワール族の家ホームスティだったが、これは得難い体験であった事は間違いなく、Rajuには感謝でありました。

ヤギの晩餐 特別編へつづく





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朝の独り言(雑談)

2015-12-26 08:19:18 | 日記的雑談
山に雪が降らない・・・大多数の市民は雪なんか無い方が良いのでしょうけれども、ごく少数の雪を必要とする人には、こりやぁ参った!!!であります。
何の根拠も無いんですが、大概、なんぼ少ないったって12月25日迄には降るはずなんであります。

二酸化炭素原因説は認めないけれども、温暖化は認めざるを得ない事実で有りましょうか?
暖かい冬、に、寒い夏・・・足して割ったら平均的? ダメか。

只今お香をたいているんであります・・・と、言っても棒の線香タイプのショボイ奴なんですが、ミントの香なんでスゼ。
しかし、元が線香なんでミントの香も感じつつ、根は線香だよな、と言う代物であります。
家の者どもからは不評でありまして、衣類に染み込むから止めろと騒がれます。
衣類に染み込む? おぉ、望む所だ・・・抹香臭いのは趣味でありますから。

しかし、お香とコーヒーを普通にして来ましたが、近頃、合わねぇな、と、思うようになりまして、やっぱし抹茶だよなと・・・しかし、そう言うものは無いので番茶で済ませております。

落ち着くなぁ・・・香は好きであります。
いや、巷にいる香ちゃんも好きでしたけれども、それは遠い日の思い出として、今はお香の香が好きであります。
昔の香は近づいて匂いに接すと胸がドキドキしましたけれども、お香の香は気持ちが穏やかになります。
そして、気持ちが整ったら般若心経など口にしてみるもおかし、であります。
いや、意識してすることでは無いのでありますが、線香の香で気持ちが落ち着くと自然と出て来るんであります・・・そう、酔っぱらって八代亜紀の舟歌が口から出るのと同じように。

昨日から天気予報では、寒くなるぞ、寒波が来るぞ、仙台でも西部山沿いは雪だぞ、と何度も宣っていたんですけれども・・・雪なんか一滴も降ってネェです。
天気予報する奴ら、人を脅かすのが趣味なんですかね?
何百回もオオカミが来たぁ~とやられていても、つい聞いてしまう天気予報・・・ましてや無職の私ですから、天気が悪ければ家に居るだけ・・・もとい、天気の如何に関わらず家に居るだけなんですけれども、今日も明日も騙される。

今朝、メダカに餌をやりながらキャベツと白菜を見てたら、葉っぱの上の水滴が氷の玉になっていまして面白いと思ったんですけれども、まっ、撮ってもナニだなと言うんで写真は無いんですけれども・・・アレ、葉っぱって全体が凍っているんですね。
で、青い生きている葉っぱは陽が当たって溶けると何事も無かったように柔らかい普通の葉っぱに戻るんですね・・・知ってましたか? ほほぉ~知っていた? またぁ~?

年賀状・・・明日迄に出せば元日に届く、と、仙台中央郵便局の人がテレビで宣っていました。
明日迄かぁ・・・と、言うことは、作るのは今日と言うことですなぁ~。
いや、書くんじゃないんです・・・パソコンで作ってプリンターで印刷です。
皆様におかれましては賀状は、出しますか? 
私しゃ少数ですけれども出す訳です・・・多数出しても良いと思っているんですが、出す相手が居ませんので少数な訳です。
こうして経済活動から離れて振り返ると、如何に営業用の生活をしていたかが分る訳です。
友達付き合いしていても元が仕事関係だったのでそこから離れれば疎遠・・・当然ですけどね。

さて、下らないことで時間を無駄にしないで・・・年賀状からやっつけますか?

んじゃっ・・・。







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