八時に外に出て朝飯を食ってきました。
アメリカンブレックファスト・・・100ペソ。
フライドエッグ目玉・トースト二枚は、バターとジャム付き。
ハムかベーコンかソーセージが選べるんですが、昨日はベーコンで今日はハムにしてみました。
そして、フライドホテとがわりと大盛りで、マグカップに一杯のコーヒーか紅茶、であります。
上記が300円は安いか高いか?
自分の気持ち的には、コレは昔なら150円だよな、と、言う事で、高く感じる訳です。
ただ今、九時半過ぎであります。
一時間半程も朝飯を食べていた感じでありますが、ホントはトイレに行きたくなって戻ってこなければ昼間で外を眺めて暇つぶしをしようともくろんでいた訳です。
いや、今朝は店の一等席で、外に向かって右側の、雨の吹き込まない良い席が取れたもんですから、朝飯の後はビールを一本頼んで、フレンチフライをつまみに粘ろうと思った訳です・・・でも、お呼びが来ちまったんでは仕方が有りません。
この店はあんましきれいな店ではなく、フィリピンに馴れていない奇麗好きの外国人には入り難い店であります。
なのでお客はフィリピンに沈没した外国人の、ほとんど全部がアメリカの老人であります。
私の勝手な推測なんですけれども、かつてクラークが米軍の前線基地であった頃にこの地に馴染んだ思い出を背負って、年金暮らしになった再度訪れて深みに嵌まった人じゃないか?なんて想像している訳です。
で、それらの老白人には共通項が有りまして、皆さん家族持ちであるという事です。
推定で70歳くらいの爺様に30~35歳くらいのフィリピーナの女房がいて、もれなく10歳を頭に3人くらいの子供がくっついている訳です。
で、その子供はどこから見ても爺様の血ではなくて原住民のそれなので、子連れのフィリピーナと連れ添ったと見るのが妥当だと思う訳です。
コレを巻き戻してみると、爺様は60歳くらいで当地に足を運び気に入って住み着き、当時20歳~25歳くらいのバーの娘と出会い燃え上がりくっ付いた・・・で、軍人の年金なんでそこそこボリュームが有るんで、物価の安いフィリピンで暮らしている、と。
で、序でに邪推すると、何故に自分子孫は残さないのか?
たぶん、本国には別れたのかそのままなのかは別にして、アメリカ人の子供がいるのでありましょう。
で、別れていてもいなくても、こっちで正式に結婚しちまうと、後で別れても最後まで面倒を見なくてはならない法律がアメリカに有るらしく、ましてや子供なんか居たら結婚してなくても絶対に認知し、養育しなくてはならない法律も有るらしいので、子供には用心している・・・らしい。
いや、正式の結婚とは申しましたが、これがまたアレでして、元々戸籍のしっかりしていない国なのでどうにでもなっちまう訳です。
アレです・・・州を変えたらまた結婚できますから。
で、余談ですが、もう失効してアレですけど、私はフィリピン国籍の運転免許証を持っていました・・・特別なお金も出さずに簡単に取れました、が、今はどうか分かりません。
雨で、トライクもカバーを被って走ります
このカラーリングのホテルって、ドーですか?
ローカルな雨の朝の風景
日本で家に居る時、朝飯を食いに階下に降りるのと全く同じで、ホテルのそばのローカル飯屋に行く訳です。
環境の違いに目をつむればやってる事は何も変わらない訳です。
此所なんですよねぇ~・・・自問自答しつつ葛藤する所は。
還暦オヤジ・・・年甲斐も無くフィリピン一の歓楽街と言われる待ちに来ちまって、エライ所に来ちまったなぁ~と、しみじみ反省しつつも、しかし、飛行機は明後日だし、宿代も前金で入れちまっている以上動くと損するし・・・困ったもんです。
いや、このホテルは歓楽街の場末でして、メイン会場までは歩いて10分・・・1キロ程有る訳です・・・なので静かでは有るんですが、ナンであれ、とにかく暇です。
アメリカンブレックファスト・・・100ペソ。
フライドエッグ目玉・トースト二枚は、バターとジャム付き。
ハムかベーコンかソーセージが選べるんですが、昨日はベーコンで今日はハムにしてみました。
そして、フライドホテとがわりと大盛りで、マグカップに一杯のコーヒーか紅茶、であります。
上記が300円は安いか高いか?
自分の気持ち的には、コレは昔なら150円だよな、と、言う事で、高く感じる訳です。
ただ今、九時半過ぎであります。
一時間半程も朝飯を食べていた感じでありますが、ホントはトイレに行きたくなって戻ってこなければ昼間で外を眺めて暇つぶしをしようともくろんでいた訳です。
いや、今朝は店の一等席で、外に向かって右側の、雨の吹き込まない良い席が取れたもんですから、朝飯の後はビールを一本頼んで、フレンチフライをつまみに粘ろうと思った訳です・・・でも、お呼びが来ちまったんでは仕方が有りません。
この店はあんましきれいな店ではなく、フィリピンに馴れていない奇麗好きの外国人には入り難い店であります。
なのでお客はフィリピンに沈没した外国人の、ほとんど全部がアメリカの老人であります。
私の勝手な推測なんですけれども、かつてクラークが米軍の前線基地であった頃にこの地に馴染んだ思い出を背負って、年金暮らしになった再度訪れて深みに嵌まった人じゃないか?なんて想像している訳です。
で、それらの老白人には共通項が有りまして、皆さん家族持ちであるという事です。
推定で70歳くらいの爺様に30~35歳くらいのフィリピーナの女房がいて、もれなく10歳を頭に3人くらいの子供がくっついている訳です。
で、その子供はどこから見ても爺様の血ではなくて原住民のそれなので、子連れのフィリピーナと連れ添ったと見るのが妥当だと思う訳です。
コレを巻き戻してみると、爺様は60歳くらいで当地に足を運び気に入って住み着き、当時20歳~25歳くらいのバーの娘と出会い燃え上がりくっ付いた・・・で、軍人の年金なんでそこそこボリュームが有るんで、物価の安いフィリピンで暮らしている、と。
で、序でに邪推すると、何故に自分子孫は残さないのか?
たぶん、本国には別れたのかそのままなのかは別にして、アメリカ人の子供がいるのでありましょう。
で、別れていてもいなくても、こっちで正式に結婚しちまうと、後で別れても最後まで面倒を見なくてはならない法律がアメリカに有るらしく、ましてや子供なんか居たら結婚してなくても絶対に認知し、養育しなくてはならない法律も有るらしいので、子供には用心している・・・らしい。
いや、正式の結婚とは申しましたが、これがまたアレでして、元々戸籍のしっかりしていない国なのでどうにでもなっちまう訳です。
アレです・・・州を変えたらまた結婚できますから。
で、余談ですが、もう失効してアレですけど、私はフィリピン国籍の運転免許証を持っていました・・・特別なお金も出さずに簡単に取れました、が、今はどうか分かりません。
雨で、トライクもカバーを被って走ります
このカラーリングのホテルって、ドーですか?
ローカルな雨の朝の風景
日本で家に居る時、朝飯を食いに階下に降りるのと全く同じで、ホテルのそばのローカル飯屋に行く訳です。
環境の違いに目をつむればやってる事は何も変わらない訳です。
此所なんですよねぇ~・・・自問自答しつつ葛藤する所は。
還暦オヤジ・・・年甲斐も無くフィリピン一の歓楽街と言われる待ちに来ちまって、エライ所に来ちまったなぁ~と、しみじみ反省しつつも、しかし、飛行機は明後日だし、宿代も前金で入れちまっている以上動くと損するし・・・困ったもんです。
いや、このホテルは歓楽街の場末でして、メイン会場までは歩いて10分・・・1キロ程有る訳です・・・なので静かでは有るんですが、ナンであれ、とにかく暇です。
あれっ?もう帰国が迫っているんですか?読み落としてしまったのでしょうか?フィリピン行きのメインイベントが何かあったのでは?
いえいえ、明後日のチケットはマニラからセブまでのものでして、天気予報を見るとビサヤ地方は晴れているんでそっちへ行こうと思うのであります。
メインイベントのバギオの先の棚田は大雨でお預けのようです。