私の丑年は 我省錢 であります。
省錢のために全ての無駄を排、また廃する所存でありますが、これをマジで考えて行き着いたのは「死ぬ」でありますが、どーなんでありましようか?
いや、ここで解ったように「程々ってものが」と言ってしまったら話は終わりであります。
なんとなれば、私の程々とあなたの程々は多分違う・・・タンスの中や畳の下に敷き詰めた諭吉の数、すなわち分母が違うわけであります。
簡単な話であります・・・晩飯に一匹の尾頭付きを食うとしても、私の一匹がメザシである時、貴方様の家ではハマチの丸焼きと言う世界を思い浮かべてください。
どーですか? 現実の節約や質素の度合いは完全に気分の問題でして、突き詰めるなら飯も食わずに死ぬしかないし、程々にやるにしても線引きなどできないのであります。
なにっ? ハマチは丸焼きで食わない? まっ、いいでしょう。
さて、我が家の今朝はとても寒く、炊事場は氷が張るほどでありました。
しかし節約のために暖房のタイマーも使わず寒さに震え、ラジオ体操をして体を温めつつコンロにかけた湯が沸いて部屋が暖まるのを待つわけであります・・・少し嘘ですけど。
翻って貴方様のお宅は如何でありましょうか?
へっ? 集中暖房で夜中も家全体がぬくぬくですとな?
まっ、そこまでしてなくてもタイマーで部屋を暖めて起きるくらいのことはしていると思うんであります。
なっ、なんですとぉ〜!!!
朝起きたら熾火を起こして火鉢に炭を足す、ですか?
それって、かなり特別な贅沢と思うんですが、まっ、いいでしょう。
で、現実的な省錢や節約って結局は「身の丈」ってところに落ち着くわけで、貧乏だと四の五の言う暇も無いのであります。
と、言うことは、節約や節制ってのは持ってる人が言うことであって有無を言わさず強いられるのは「我慢」だと思うのであります。
ところで、あなた様は学問を尊いものと本気で思っていますか?
されば問う!!! 何故に学問は尊いのでありましようか?
笑っちゃダメです!!! ここが肝なんですから。
いや、立身出世がドーでも良ければほとんど不要なんですがそれは社会が許してくれません。
そこなんですよね・・・じつは最大の問題は自分にあるのでは無く社会にあるわけでして、学問が尊い社会は不自然なのであります。
いや、話を早くするために端折りますが人が採集生活から栽培に移った時に富の蓄積は始まったんですが貨幣経済が金本位制度を廃止した時から富の再分配のからくりが歪んじまったわけであります。
いやいや、これは現代社会が抱える構造的詐欺の話なので結構難しく、詳細は省きますが、乱暴に書きますと・・・金本位制度にはタガと言いますか、枠があったんですけれども金融というインチキ手法で無限に富を作り出すために悪巧みした一味がそれを廃止したわけであります。
いや、その結果ドーなっているかは只今の実態のない株高や金融の世界を見れば解るのでそれぞれに解釈していただければ幸いであります。
まっ、寄り道ついでに言うとアメリカのトランプさんとバイデンの戦いはこの話と無縁では無く、言って見れば実業が由来の富を押すトランプさんと金融という虚業で銭を産もうとする構造の戦いなのであります・・・ほんとかな?
と、言いつつまたまた余談で恐縮ですが、悪魔の手先的国際金融資本と戦うトランプさんって触れ込みなんですが、何故かトランプ政権下でこそアメリカの株高は絶好調なんですよね。
ここんところ、私の中で消化できないのがアレなんですが専門家じゃないので忘れたことにします。
さて、話が長くなると迷子になるのは私の最大の美点でもありますがそろそろ締めに行きたいと思います。
いや、今時はアフリカの槍を持った民族でもパプァニューギニアの原住民でも銭が無いと生きていけないわけであります。
と、言うことは、最早地球に生きるには資本家になるか労働者になるか、若しくは人以外の生き物に転生するしか術は無いと思うのであります。
いや、再再再余談でナニなんですが・・・インフラ整備の正体って考えたことはありますか?
あれです・・・今時の日本国あたりで電気・ガス・水道その他を整備する本音はお上が愚民を統治するための政策なんですぜ。
今時はどんなド田舎でも電気があってプロパンガスと、水道は簡易でも引いているわけですが、それの支払いは銭が必要であります。
薪を拾って飯を焚かれたり井戸水で生活されると使用料と共に税金と称する年貢も集められないのでインフラ整備はお上の親切では無く銭集めの罠なのであります。
全てのインフラや政治主導の便利な暮らしの裏は愚民に銭を稼がせ、延いてはそれを召し上げるために施されているんですぜ、しかも原資も民百姓の年貢であります。
と、言うことで貧乏は巧妙に仕組まれた社会の罠にはまっているわけでありますが、下々の者の対抗手段は精々が節約、しかないのであります。
しかし、持たざる者の節約は無駄を省いた結果ではなく、無い袖は振れないから生まれた必然でして、それ、ただの貧乏暮らしだと思うのであります。
と、いうことで節約や節制というのは持ってる人だけに許される贅沢でして貧乏人は貪欲に求めるのが真っ当な考えと私ゃ思うのであります。
さらに決定的なことを宣うと、本当の貧乏人は節約する以前に足りないのでありまして、そんなことは考えもしないのであります。
ああ、今日はなんだか上手く落とせそうな雰囲気が出てきて安心しました。
いや、社会が、と文句を言ってもそこに暮らしている以上ドーしようも無いべ、と言うのは正論であります。
なので、たとえ労働者に甘んじるとしても禄高の高いお家に仕官できるようにと勉学に励むのは生き残りの術としては真っ当であります。
と、いうことで、丑年にあたり我省錢と思ったわけですが、元来の貧乏には省くべきところも見あらず、実効性は低いとの判断から、昨年並みで良いことにしようという結論に至った次第であります。
いや、読んで損したという気持ちはわかりますがそこはそれ、まだ松の内でありますから納めていただいて・・・なんちゃって。
たぶん何を言いたいのかわかってもらえていないと思いますので本筋だけ書きますと・・・。
節約ってのは持ってる人の精神的贅沢なのだということであります。
捨てる物の無い人には断捨離や節約って有り得ないと、たった一言で済む話に尾ひれをつけすぎた私でありました、と。
とても説得力がありました!
全体、面白かったです。
こんなに書けることもスゴいなあと思いました。
インフラ整備と失業保険と公務員のからくりは通産省から来た教授に教わった受け売りであります。
でも、面白いと言っていただけると素直に嬉しいであります!!!