と、言うと閲覧しに来る人が笛やしないかと言う、唯それだけのタイトルであります。
いや、嘘じゃ無いんですぜ・・・今日明日という予定は無いですがそんなに遠く無い将来お迎えは来ると確信しております。
あれです・・・昨日このブログに書いて、でもオチが決まらずに下書きにしてしまった記事のテーマが寿命と言いますか、まっ、死だった訳であります。
下書きでは、吉田兼好が言ったとされる「命長ければ辱多し」を引きまして、長生きも考えもんだよな、とやった訳であります。
で、序でに吉田拓郎の・・・
生きてゆくのは ああ みっともないさ
あいつが死んだときも おいらは 飲んだくれてた
あいつが死んだときも おいらは 飲んだくれてた
と、歌詞の引用で生きていくのがみっともないことだと思った人は多いのである、と書いた次第であります。
で、兼好さんは続けて「長くとも四十路にたらぬほどに死なんこそ、めやすかるべけれ」と言った訳でして、700〜800年も昔の人でも長生きなんてろくなものじゃ無いと教えている訳であります。
あれ、大きな声では言えませんが兼好法師はなんだかんだで70〜80歳くらい生きたらしいんでそこん所は一寸ナニなんですが、まっ、いいでしょう。
と、いう事で死生観について書きたくてナニしたんですがどーにも纏まらなくて挫折した次第であります。
いや、ソコソコの年月を生きた来し方を振り返ると恥ずかしい事ばかりが思い出される訳でして、この先ダラダラと生きてしまったら死ぬ頃には恥ずかしさに埋もれていく羽目になりはしないかと行く末を按じた訳であります。
で、話に盛り込みたかったのは、人は忘れる事で生きていられる、って事なんですが・・・今日はバイトは2時半に終わったんですが筋トレをしてから帰宅したので遅くなりまして、PCを開いたのが5時少し前だった訳であります。
なのでもう風呂が沸いちまいまして、続きを書く時間は無くなりました。
と、いう事で、尻切れ御免、でおしまいです。
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