じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

アメリカ人が言いました

2012-03-31 16:46:46 | 日々の雑感
 アメリカのホームドラマでは家族が皆仲良く、正義感に溢れる強い父親を中心に、包容力溢れる母親と、賢い姉と、スポーツ好きの長男、そして甘えっ子で少し鈍い末娘が出て来る。
日曜日には祖父母の家に遊びに行き、末娘がおばあちゃんの膝に飛び乗って甘える。

で、おっさんはジョンに言いました・・・アメリカの家族ってウザッテェなぁ、と。
するとジョンは、日本に侍も歌麿も居ないのと一緒だよ、と、宣いました。
へえーっ、アレは普通じゃないんだ、と問うと、理想だからこそ描くんじゃ無いか、と。
そうだよなぁ、おっさんの周囲には星一徹のような家族も、寺内貫太郎一家も居なかったもんなぁ・・・だからドラマになるんだよなぁ、と。
チビ丸子の家だって、サザエさん家だって、在りそうだけれども無いよなぁ、と。

理想・・・希望・・・願望・・・やがて、失望・・・そして、諦め。
全ては、諦めからがホントーでありましよう・・・失望して諦めた時からが本番です。
求めなければ失わない・・・持っていなければ失わない・・・裸でいよ。(心の)
仏様は言いました・・・あきらめろ、と。
あきらめられれば苦にはならない・・・とらわれているから全ては苦になる。
あきらめ・・・政治も経済も、明日の世界へ理想なんて捨てなさい。
理想はどこから来るのか? 不満との対比から・・・不満を反転投影したら理想?
理想が適う事を願う願望を抱き続けるのが希望・・・あきらめと表裏。
あきらめたら、適当にしていれば良い・・・義務だの責任だの、社会にとらわれない。
理想・願望・希望で成り立っているのが娑婆・・・欲望社会。
社会にとらわれず、あきらめ、求めなければ苦は無くなる。

金が無ければ生きて行けない? 生きて行こうと望む・・・だから苦になる。
生きていたいと望んでも適わぬ時も在れば、願いもしなくて生き延びる時もある。
仏様が、そろそろだからと言えばお迎えが来るだろうし、まだだと言うなら来ない。
解らない明日なんてのは仏様に預けてしまえばよい。
最悪な日が巡って来たら、ついてないなと嘆き、良い日が巡って来たら素直に喜ぶ。
仏様に文句を言っても良い・・・辛かったら、仏様を心の底から罵倒して泣く。
楽しかったら、嬉しかったら、なんて運が良いんだと笑って過ごし仏様に手など合わせる。
幸運が身に余ったと思ったら喜捨などすれば良い・・・裸が一番。
明日を憂うな、今を見つめろ、すべては、仏様の采配だから。

今、あなたが不幸だとしたら、それは仏様のせいです・・・恨みなさい。
今、あなたが幸せなら、それは仏様の御陰です・・・手を合わせ喜捨しなさい。
日本が不景気なのも仏様のせい、野田が首相なのも仏様のせい。
仏様、なんて事をしやがると思うなら、罵声を浴びせ、恨み言の限りを言いなさい。
そして、幸でも不幸でも、とらわれない事です。
幸も不幸も現実を受け入れ、あきらめる事です。
社会にとらわれ、比較から生まれる実体の無い幸や不幸に惑わされない事です。
これをあきらめると言います。
人の知恵など取るに足らないものだと仏様は教えているのです。
浅知恵で解決する事など無いのだからあきらめろと説いているのです。
あきらめとは、解らないのだと言う事が明らかになると言う事なのです。

ドーですか? 筋は通っているでしょ? 思い付きで書き進めた割にはチャンとしてませんか?・・・へっ、どっかで聞いた話しだと? いや、オリジナルですけど。




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