なんちゃって、本当はとても落ち着ける良い時間でして午前中の方が脳みそは回るような気がするんで考えもまとまるんであります。
いや、朝一は軽い仕事でして初めての依頼の現場を下見して来たわけであります。
が、しかし、先方さんのご希望価格と自分の見積もりに大きな落差があるんでお断りすることにしました。
なんと申しましようか、そんなにガツガツ仕事をする気もない自分に狙いをつけたのは「安い・早い・そこそこ」の内の「安い」を当てにしたものと思いますがこの現場は手の抜き様が無いと見たので相当のお代を頂かないとやれないと踏んだ次第であります。
過去、仕事が少なかった頃、無理して受けて酷い目にあって居るので安請け合いは苦労の元ということを学んだのであります、なんちゃって。
我が家地方は先ほど雷鳴を伴った強い雨が降ったんですが、なんだか台風の後は梅雨末期に戻ったような天気が続いております。
日照りが続いていたので台風がもたらした雨を喜んだのでありますが、ここに来て私は天に向かって度が過ぎるぞ、と怒り気味であります。
庭のカサブランカは雨に負けそうです
庭のオニユリ 名前の通り強いです
なんと申しましようか、肉体労働が激しい時ってのは自分の中の文化教養部分がとても薄くなり物事を深く考えなくなるわけであります。
で、食うとか寝るってことに真剣になるわけでして適度に疲労した日の夜は寝つきも良く、また朝まで目が覚めないってのも、これは身体を維持するために脳みそもぐっすり眠るのであろう、なんてことを思うのであります。
で、そんなことから推し量ると、生存のための本能に根ざす原始的な部分ってのは脳みそに負担を掛けないけれども、後付けで入ったアレコレは意外と負荷が重いのか、なんてことを思うんですが、まっ、いいでしょう。
ただいま「動物学から見た男と女」って本を再読しているところなんですが、これを読むと人間が動物として本能のままに生きた場合の社会は壮絶と言いますか、オスとメスの奔放な交わりにより今とは違った世の中だったろうなと思うんであります。
なんとなれば、法律だの道徳だの世間の目なんてのは人間の本性である動物としての性質を制限しているわけで、言って見れば本能を無視した社会の都合優先だと思うのであります。
あれです、自分が子供の頃って心の病なんてのは特殊だったわけですが今時は普通にどこにでもあるんですけれども、動物としての本能と社会で生存するための条件に落差があり過ぎるなんてことが病気を増やす、なんてのは無いのでしょうか?
で、精神的なものを考える時、自分の根本は仏教的な考え方なんですけれども、どーしても納得できない部分があるわけです。
で、違和感は全て本能に根ざすものであり、生存して繁殖しなければと言う命題との兼ね合いを考えると仏教もなんだかなぁ〜と思うんであります。
あれです、政治もとどのつまりはここでして、民百姓を飢えさせずってことが根底にあるわけでして、食えなくて餓死する危機などに晒されると争いが勃発するわけです。
さて、適当に思いつきをつ吐いていますが、言いたいことは「社会は人を狂わせる」と言いたいのであります。
私の好きな養老孟司は「ああすればこうなる」で社会を組み立てているけれども、その手法が人間本来の性質からかけ離れた世の中を作り、馴染めない人が増えている、みたいなことを語っているわけであります。
しかし、今の社会がおかしいと言っても支えているのは貧乏人も含めた普通の大衆な訳でして、脳内で組み立てた社会を動かそうとするのも、それに引きずられてあくせくするのも本能なのかも知れないと思う今日この頃・・・支離滅裂のうちに昼飯タイムになりましたので、んじゃ。
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