じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ダナキューへ No.7

2013-12-13 14:07:17 | ネパール旅日記 2013
 チャムチェの朝は寒くは無いのだが、アンナプルナ下しの風が冷たかった。

 村の道路は早朝から、もっと上のチャメやマナンと言う、選挙の投票所のある大きな街へ向かう人達でごった返していた。
ある人は徒歩で、またある人はバイクに二人乗りで、そして、ジープも人と荷物を詰め込めるだけ詰め込んで出発していた。

 トレッカーはそんなに早立ちはしない。
一日に歩く距離は多くても20キロも行かないし、まだ高度に身体を慣らして行く段階なので標高差もそれ程上げないようにわざと刻んで行く。

 チャムチェの村の北側には見事な岩山が有って、自分の見立てでは一枚岩のスラブに見えた。
これほど見事な岩でも誰も登っていないと思うのだが、ヒマラヤまで来てこんな無名の訳の分からない岩に登ろうと言う人は居ないだろう。
自分はクライミングはヘボの初心者なのでチャムチェの岩は見ただけでギブアップなのだが、美しかったり迫力のある岩を見ると攻略法を考えてみたりはする訳で、マルチピッチで一日掛りで丁度良い感じか、などと勝手に想像して見た。
しかし、後で知った事なのだが、自分が歩いた範囲では標高が上がる程に岩は脆くなり、ピサンピークでは5000mより上では板状に割れている岩を手で剥がす事が出来た。
山群や山塊によって違うのかも知れないが、あの脆さでは危なくて登れない。
また、標高が低い所では直射日光を浴びた岩は暑くて触れない事も有った。
たぶん、色々な要素が絡み合ってヒマラヤの岩場は遊びには向かないのかも知れない、などと思って見たが。

 7時20分チャムチェ(1430m)出発 目的地はダラパ二(1860m)

 朝食はパンケーキにミルクティーだった。
昨夜から腹が緩くなり出発前、念入りに何度もトイレに行った。

 今日の午前中はジープロードの歩き通しで埃を随分吸った。
ジープロードは埃っぽい上に隠れる日陰が無いので亜熱帯の陽射しを浴びて歩く。
だから喉が渇くのだが、こう言う道には程良い所に「峠の茶店」があって、30RP程で紅茶が飲める。(ネパールの1ルピーはほぼ1円で換算して良い)
自分は元々水を飲まない方なのだが、口の中の砂気を流す為に紅茶を良く飲んだ。
しかし、低い所で30RPの紅茶も標高が上がるに連れて高くなり、アンナプルナサーキットの最高点、5416mのトロン・ラ・パスの茶店では普通のカップが100RPで、自分が飲んだ大カップは300RPだった。

 ダラパニには11時10分に着いてしまった。
距離的にも標高差的にもダラパニで停まるのが普通なのだが、スープヌードルの昼飯を食べ、12時20分にダナキューへ向けて出発。
スープヌードルとはインスタントラーメンのことで、ネパール人の味覚と違って馴染みの味に近く、ネパールに来て一番美味いと思った物だった。
日頃はインスタント食品を嫌っている自分であったが、この時からインスタントラーメンを偉大な食べ物であると認める事にした。

 道は時にアンナプルナの山塊を見上げるようにして歩く。
ラムジュンでもアンナプルナでも山が見える度に圧倒され、その迫力に唸りながら、俺には無理だは、と溜息を漏らす。
山を眺めつつ、もしも登るとすればルートはどうなるのかと考えてみるのだが、どこにも隙が無いのだ。
ドルジに「この山はどこから登るんだ?」と問うと、こちらからは登れない、ノーマルルートは裏側で、ベースキャンプに着いてから一ヶ月程掛けてアタックすると言った。
そうか、やはりこちら側からは無理かと納得し、何故かほっとする。

 ドルジもナーランも明日はキツいからダナキューに行ってしまうと後が楽で良いと言いつつ歩くのだが、ダラパニからダナキューまでの標高差は440mあり、しかも、登り返しがあって辛かった。

 ダナキューには1時40分に着いた。
ドルジが勝って知ったる馴染みの宿と言う感じて入ったのは、例によって由緒有りそうな旧い宿だった。
客は自分らの一行だけだった。

 谷間の集落で日の出が遅く日の入りが早い、寒い村だった。
しかし、シャワールームにはガスで使える給湯器があって、100RPで熱い湯を浴びる事が出来た。
ここでも二日間着た衣類と、7日間はき続けているズボンを洗った。

 谷間の村は一日に二度風が吹く。
日が昇り岩山が温められると上昇気流が沸き山風が吹き、冷えるとそこへ吹き込む谷風が吹く。
谷風は雪山から吹き下ろし河に沿って走るのでことの外冷たい。
だからダナキューは2300mとさして高くも無い標高なのに寒い。
午後3時頃に干した洗濯物は薄手のシャツ以外は乾かずに、朝には凍り付いていた。

 日が陰ってからはフリースを着込み厚手のダウンジャケットにダウンパンツを履いてもまだ寒くて、宿で唯一火の気のあるキッチンに籠り切っていた。
ここで山間部のネパール人の暮らしぶりを始めて見たのだが、何故か昔から知っていたような気がした。
囲炉裏と竃の違いは有っても、遠い昔の日本の田舎と大して違わない雰囲気に気持ちが和んだ。

 宿の主人はすぐ隣りの学校の校長先生だと紹介された。
学校と聞いて、エレメンタリーかと尋ねると、プライマリーだと笑って言った。
そうか、英国式の英語かと感心して、やはり英語はインド流で古いイギリス英語の影響を受けているのかと尋ねると、そんな事は無いが役所言葉や昔からの言葉にはその影響が色濃く残っていると教えてくれた。
観光客が接するネパール人の英語は耳から覚えた英語なのでミックスで、ネパール英語だと言い、貴方の英語は日本式英語かと言われた。
いや,私の英語はクイーンズイングリッシュであり正統派だと言うと一同頷いて黙ってしまった。
笑いが欲しい所だったのだが、ネパール人はあまり笑わない人が多いようだった。

 晩飯にはベジタブルピザを頼んでみたのだが、予想に違わぬ物でミルクティーで流し込まないと喉を通らなかった。
海外で食べ物に困った事は一度も無く、何でも食べられると自負していただけにネパールの山間地の食べ物に対するショックは大きかった。
その昔は、少し長く海外に出かける時にはフリカケや梅干し、ごはんですよなどを持って歩いた物だったが何度も手付かずで持ち帰った経験から今は何も持たなくなった。
キャンプ用のフリーズドライを15食分持っているのだが、ホテル泊の道中でそれを食べてしまう事は出来ないし、困った。
その後、フライドエッグにライスの組み合わせに気が付き、またオニオンスープが大抵の宿でそこそこ行ける事を発見し、オニオンスープにライスを入れておじやにして食べる事を考案し、なんとか凌いだ。

 余談だが、欧米人は常日頃から大して美味い物を食べていないのか、マカロニ系のとんでも無いパスタと言う名の食べ物を、ケチャップだらけにして食べていた。
知り合ったポーランド人に「それ美味いのか?」と尋ねると、不味くは無いと言ったので試してみたが、元来マカロニがあまり好きでもない自分には食べられなかった。

 他の人のアンナプルナトレッキング紀行を読んでもそれ程酷い食事とは書いてい無いのだが、自分が繊細過ぎるのだろうか?

 夜、竃の前で暖をとりながら話し込んでいるとドルジがコップに注がれた殆ど透明な液体を差し出した。
見た瞬間に酒だろうと見当はついたが、なんだそれ?と恍けて聞くと、ロキシーと答えた。
俺の見える所で酒は飲まない約束では有ったが、しかし、勤務時間外であり、しかも、本来は自分がいるはずではない場所なので咎めずに受け取った。
飲んでみろと言うので酒は飲まないと言うと、酒と言う程の物では無く、どちらかと言うと薬のような物だと言った。
ほら始まった、飲兵衛の言い訳は万国共通だった。
序でに自分が、疲労回復にも効くんだろうと言うと、明日はパワフルになるぞと調子に乗って行った。
恐る恐る一口飲んでみたら、割と美味かった。
微かな甘みとアルコールを感じ、まるで麦焼酎をかなり薄く水で割ったような風味だった。
元来嫌いな方ではないのだが、ここで飲んでしまってはドルジの思うツボに嵌る。
しかし、手にしてしまった一杯は飲み干すのが礼儀だろうと言う事で仕方なく飲んだ。
すると、ナラバードルがすかさずお替わりを注いでしまった。
だがそれは呑まずにナーランに手渡した。
ナーランはヒンドゥー教徒なので酒は呑まないはずなのだが、やはりネパール人だった。
家に帰ったら絶対に呑まないんだが、山は寒いし疲れるから薬として呑むのだと言って美味そうに呑んだ。

 PM7時30分 消灯 窓の外は風が強く干した洗濯物が気がかりだった。


 
 

 


コメント
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