狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

世の中には二種類の人間がいる。それは下らないジョークを許容する人間と下らないジョークを許容しない人間だ。

2020年02月23日 22時56分08秒 | 知人、友人に関する日記
 本日2月23日は、藤原道隆の娘である定子が一条天皇に入内した日で、グーテンベルク聖書の印刷が開始された日で、アラモの戦いが始まった日で、キューバがアメリカ合衆国にグァンタナモ米軍基地の永久租借を承認した日で、日韓議定書が締結された日で、グレン・シーボーグらが94番元素のプルトニウムを世界で初めて合成した日で、竹槍事件が起こった日で、硫黄島の戦いで米兵が擂鉢山山頂に星条旗を掲揚した日で、シリアでバアス党左派が軍事クーデターを起こした日です。

 本日の倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は十二度。最低気温は六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。








 友人B宅での酒宴にお呼ばれした時のこと。
 友人Aが突然言いました。

 友人A「小粋でエッチなクイズを発表しま~す!」
 友人B「いえ~い!」
 私・狐「いえ~い!」
 友人A「日本人と結婚して日本に移住した日本語がまったく話せない奥さん。
      肉屋で豚のもも肉が欲しかったのでスカートを少し上げて自分の太腿を示したら分かってもらえました。
      別の日、鶏の胸肉が欲しかったので少し胸元を出しておっぱいを示したら分かってもらえました。
      そして、ある日、極太ソーセージが欲しくなって説明に困った奥さんは旦那さんを肉屋に連れて行きました。
      どうやってソーセージを買ったのでしょう?」
 友人B「……」
 私・狐「……」
 友人A「答えは……、旦那さんに日本語でやり取りしてもらえばよい」
 友人B「いえ~い! エッチなことを想像しちゃったよ。どきどき」
 私・狐「いえ~い! エッチなことを想像しちゃったよ。どきどき」



 友人A「少しだけ怖い小粋なアメリカンジョークを発表しま~す!」
 友人B「いえ~い!」
 私・狐「いえ~い!」
 友人A「ジョージは町で一番の美人のキャシーの心を射止めて彼女と結婚を約束した。
      その晩、ジョージは両親に大喜びで結婚の報告をした。
      すると父親の顔が突然曇る。
      そして父親は寝室へ戻ってしまった。
      ジョージは慌てて父の後を追う。
      そして寝室で父親に事情を聞いた。
      父親は苦虫を噛み潰したかのような表情で言った。
      『実は……、父さんは昔、一度だけ浮気をしたことがあるんだ……。
       キャシーはその時にできた子供なんだよ……。
       だからお前はキャシーとは異母兄妹ってことになるんだ』
      父親の告白を聞いたジョージが項垂れていると、二人の会話をドアの外で聞いていた母親が部屋に入って来るなりジョージに言った。
      『そのことなら全然心配は要らないわよ』」
 友人B「……」
 私・狐「……」
 友人B「いえ~い! ちょっとだけ怖い。どきどき」
 私・狐「いえ~い! ちょっとだけ怖い。どきどき」



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真実はもとから存在している。偽物は誰かが作らなければ存在しない。

2020年02月23日 19時17分53秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラットフォームの八幡 和郎氏の『クルーズ船内大量感染に日本側の責任なしが判明』と題した記事の転載であります。



     『クルーズ船内大量感染に日本側の責任なしが判明』


 「ダイヤモンド・プリンセス」で起きた新型コロナウイルスの集団感染について、日本側になにがしかの責任があるという「可能性」があるとすれば、横浜に着いて日本の検疫が始まるまでは感染は例外的だったのに、それ以降あって急に感染が増えたという場合だけである。

 といっても、船内では入港までバイキング方式の食事やエンターテインメントを続けていたのだから、そっちが原因とみるのが普通だが、それでも一抹の不安はあった。
 しかし、昨日、国立感染症研究所が「現場からの概況:ダイアモンドプリンセス号におけるCOVID-19症例」(2020年2月19日掲載)を発表し、暫定的な結論として、感染のほとんどは、日本政府による検疫が開始される以前に伝染していたが、乗組員などの感染のほか一部の乗客の感染がそれよりあとであることもあったとした。
 つまり、日本政府の対応に問題があったということは、この分析によればありえないということになる。
 発症日の判明している確定例の検討に基づいて評価すると、2月5日にクルーズ船で検疫が開始される前にCOVID-19の実質的な伝播が起こっていたことが分かる。
 確定患者数が減少傾向にあることは、検疫による介入が乗客間の伝播を減らすのに有効であったことを示唆している。
 乗客の大半が検疫期間を終える2月19日に近づくにつれ、感染伝播は乗員あるいは客室内で発生している傾向にある。
 特記されるべき点は、クルーズ船の性質上、全ての乗員乗客を個別に隔離することは不可能であったことである。
 客室数には限りがあり、乗員はクルーズ船の機能やサービスを維持するため任務を継続する必要があったからである。
 つまり、乗客へのサービスを停止するわけにいかないので乗員などが感染してしまったとか、二人部屋の人を別々の部屋に分るスペースがなかったので(分けたら夫婦などが離ればなれになるが)、同室の人が感染した例が少しあったということだ。
 岩田教授が言うような問題点はあったかもしれないが、それがゆえに大量の感染者を出したということは断じてないということだ。

 マスコミなどはこの点を世界に向かって発信してほしいものだが、一部のマスコミは検疫開始後の感染例が少数とはいえあったことのほうを大きく報じている。
 もちろん、感染があったことは感心したことでないが、医者やスタッフがインフルエンザにかかることもあれば入院中や外来者が感染することもそんなに珍しいことではない。
 乗客を外出禁止にして部屋に閉じ込めでもしない限りリスク・ゼロではありえない、そんななかで、スタッフと乗客に若干の感染者が出たとしてもそれほど騒ぐ話でもあるまい。
 ニュース価値があるのは、予想通り、大量の感染者が出たのは、横浜に入るまでの脳天気な体制だったということだ。
 それが、日本側の不手際で大変なことが起きたという誤解を世界に与えるとすればそれは国民全体が罰せられ被害を被ることになる。
 もし本当に日本側に落ち度があったなら正直に事実を公表すべきだが、こうして責任がないことが明らかになった以上は、日本人としては一致団結して濡れ衣を着せられないように抵抗すべきだ。
 しかし、科学的に責任がないことを立証しても、安倍政権に打撃を当たられることができるなら故意に歪曲しても、世界に対して日本を攻撃させるようなプレゼンテーションをしたいという人たちが多いことは承知しているから心配だ。
 また、大手製薬会社にお勤めの猪股弘明さんが、Facebookに以下のようなことを書いておられた。

   「感染症のプロ」から見れば非常識に映る行為もあったのかもしれないが、簡易な(そして不完全な)隔離程度であっても効果は出ているようだ。
   「発症」(熱発など)という意味では収束傾向にあるのに、突然、部外者が割り込んできて指揮系統を乱されたら、たまらんと思うよ。
   そりゃ重装備の対策がうてればうてるに越したことはないだろうけど、現場でできることなど限界がある。
   野戦病院的な治療状況では「最低限の対策で最大限の効果を」と考える方が現実的ではないかと思う。

 まことにもっともだと思う。
 クルーズ船でのこういう状況の発生は、世界史上初めての事態なのである。
 完璧を求めるべきでない。
 そして、結果を見る限り、岩田氏の問題点の指摘が正しいとしても、それが悲劇的な結果を生んだわけでなく、厚生労働省の対応はいまのところ合格点を出す程度にはうまくいっているというべきだろう。

                                 転載終わり。




 ほとんどの国はクルーズ船の入港を拒否しました。
 英国船籍であるクルーズ船の船内は英国が責任を負わなければなりません。
 日本は人道的な見地から入港を許可しました。
 人道的な見地から入港を許可した国が瑕疵の無い状態で非難されるのならば、全ての国が同様の事態に陥った時にはクルーズ船の入港を拒否することになります。
 評価は事実をもってなされるべきです。
 事実を歪めれば全てが歪みます。
 その結果は必ず最も弱い人達を直撃することになります。
 評価は事実をもってなされるべきです。



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牢獄の庭を歩く自由より、嵐の海だがどこまでも泳げる自由を私なら選ぶ。

2020年02月23日 17時30分15秒 | その他の日記
 以下の文は、現代ビジネスの御田寺 圭氏の『流行りの「草食男子叩き」「非モテ男叩き」が、あまりに理不尽なワケ 「男らしさ2.0」の強要にすぎない』と題した記事の転載であります。



      『流行りの「草食男子叩き」「非モテ男叩き」が、あまりに理不尽なワケ「男らしさ2.0」の強要にすぎない』


    変化した「草食系」のイメージ

 近頃、ジェンダー論者やフェミニストの間で「草食男子」を批判的に再評価する流れがあるようだ。
 現代ビジネスでも、福島大学教育推進機構特任准教授の前川直哉氏が「草食男子」を批判する小論「『草食系男子』は、どうすればジェンダー平等への第一歩を踏み出せるか」を発表し、大きな話題となった。
 「草食(系)男子」とは、もともとはコラムニストの深澤真紀氏が2006年に提唱したことばであるとされる。
 当初は「必ずしも恋愛に縁がないわけではなく、清潔感があり好印象でモテそうにも見えるが、しかし女性にがっつかない男性」のことを指しており、旧来の「男らしさ」や「抑圧的で家父長的なふるまい」からの脱却、という肯定的なニュアンスが含まれていた。
 その後じわじわと認知度が高まり、2009年には流行語大賞トップテンにも選出されている。

 哲学者の森岡正博氏は2011年、草食男子の登場について「男性優位のジェンダーロールを、男性が自発的に解体することを企図する『フェミニズムの勝利』である」として、肯定的に評価している。

     〈草食系男子という男性たちがまとまって登場したことは、フェミニズムの勝利だと捉えてよいと私は考えている。
     なぜなら、草食系男子は、みずからが規範を産出して女性を制圧し保護するという意味での「男らしさ」を窮屈に感じ、その呪縛から自分で降りようとしている男性たちであるからだ。
     女性たちに糾弾されたからそうするというのではなく、自分たちの内発的な動機によってそうするわけだから、これこそがフェミニズムが望んでいた新たな男性像に近いのではないだろうか〉

 だが時を経るにつれてその意味は変容していき、考案者が肯定的なニュアンスで用いていた草食男子ということばにも次第にネガティブな文脈が付与され、「草食男子≒モテない男、恋愛に縁がない男、無気力な男」――つまりは「男らしくない男」という意味で用いられることがもっぱらとなってしまったようだ。
 
 たとえば、社会学系研究者の古谷有希子氏は2014年には草食男子のことを「わけのわからない負け犬男」であると述べている。
 前川氏も、森岡氏の肯定的な評価には同意せず、草食男子に対する批判を展開する。
 要約すれば、草食男子は自身に対する「男らしさ」の要求からは逃れようとするものの、一方で女性には「女らしさ」からの解放を許さない。それどころか、自分の生きやすさのために、むしろ積極的に女性に「女らしさ」を要求しており、いわば「美味しいとこ取り」をしようとしている――という主張である。

    草食男子は「美味しいとこ取り」か?

 まず検討したいのは、上記のような「草食男子は女性に対して(ことさらに)ジェンダーロールを要求している」という観察が妥当か否かである。
 前川氏がこうした主張の根拠としているのは、やはり森岡氏の共著『最後の恋は草食系男子が持ってくる』に収録されたたった4人の草食男子のインタビューであり、これをもって草食男子全体が「自分だけは都合よく男らしさから解放されて、女性にはジェンダーロールを温存しようとする、良いとこ取りを目論む人びとだ」と決めつけるのは、かなり飛躍した推定であると言えるだろう。

 たとえば、草食男子が流行語になった2009年の「男女共同参画社会に関する世論調査」を見ると、おそらく草食男子と呼ばれる人々の多くが含まれていたであろう、当時20~29歳の若年層男性のうち「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という質問項目に賛成した割合は34.3%である。
 一方、10年後の2019年、30歳代になった彼らに同様の質問をしたところ、賛成は28.2%にまで低下した。むしろ2019年には、同年代の女性の方がこの「性別役割分業」により多く賛成している(32.3%)。
 草食男子が流行語となった2009年の20歳代、そして現在30歳代となった「草食男子世代」の彼らは、他の世代の男性と比較しても「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という質問項目で賛成の割合が低い(40代男性の賛成38.5%と10%以上差がついているのが興味深い)。
 
 「草食男子が男尊女卑の構造を維持しようとし、美味しいとこ取りをしている」という前川氏の主張は、こうした統計的な傾向とは必ずしも一致しない。
 それはあたかも、客観的には犯罪件数が減少しているにもかかわらず、主観をもとに「凶悪犯罪が増えている」「社会全体が安全でなくなっている」と主張する人々のようである。

 むろん、草食男子の中にも性別役割分業に肯定的な男性はいるかもしれない。
 しかしだからといって、より女性に対して抑圧的な「肉食男子」や、社会の意思決定に関わる高齢男性の女性差別意識をさしおいて、草食男子の内面を優先的に批判することが、差別の解消により大きく貢献するとは思えない。

    「草食叩き」から「非モテ叩き」へ

 もうひとつ指摘したいのは、近年起こっている(そしてジェンダー論者にしばしば見られる)「草食男子」と「非モテ男」の混同、あるいは合流という問題である。 
 冒頭でも述べたとおり、草食男子ということばは当初「女性と縁がないわけではないが、がっつかない(なんならイケメンの)男性」という程度の意味だったが、次第に「オクテな男」さらには「モテない男」「女性に相手にされない男」といったネガティブな意味へとスライドしていった。
 同時に、社会からの「非モテ男」に対する攻撃はエスカレートしていった。
 彼らを揶揄する一般の女性だけでなく、ジェンダーを論ずる識者の中にも、対象が非モテ男であれば平気で口さがない言葉を投げかける者が少なからずみられる。
 そうした状況の中で、モテない者がモテないなりに頑張って女性にアプローチをしようと試みることは、ときに「加害行為」「セクハラ」などと非難されるようになった。
 さらにそのひとつの帰結として、「そんなに女にモテないことがつらいのなら、男同士で集まってバーベキューでもしていろ(そもそも女性や女性のケアを求めようとするな)」といった言説が、フェミニズムの文脈で大きく支持と共感を集めるようにもなった。
 
 たとえば社会学者・ジェンダー研究者の澁谷知美氏は、「非モテ男」に対して次のように述べている。

    誰からも承認されないのがそんなに苦しいんなら同じような男同士集まってバーベキューでもしたらいいのでは。
    「それじゃだめだ。女が相手じゃないとだめなんだ」と言うのなら、解消したいのは「誰からも承認されない苦しみ」などではなく別の感情だよな
https://t.co/VY5ahidzoB
     — 澁谷知美 (@shibuya1972) December 12, 2018

 一方で前川氏は、前出の小論のなかでこう述べた。

    〈このように論じると、「なぜ男性である自分がフェミニズムの味方をしなくてはならないのか」「なぜ自分の幸福だけを追求してはいけないのか、社会的公正やジェンダー平等にどれほどの価値があるのか」と反論する人もおられることでしょう。
    (中略)何より、社会的公正と自身の生きやすさの追求は、決して矛盾するものではなく、両立できるものです。
    女性が生きづらさや困難を語り、ジェンダー平等を訴える声は、「草食系男子」のあなたを攻撃する声ではありません〉

 いまや「非モテ男」とニアイコールになった「草食男子」に対して、「そんなにモテないのが苦しいなら、男同士で互助会でも形成して、私たちから見えないところで細々と生きろ」という(攻撃的な)「不可視化要請」を向けてきたのは、ほかでもないジェンダー論者であったことを忘れてはならない。

    男なら「強者の義務を果たせ」?

 もっとも、草食男子=非モテ男性のなかには、こうした「不可視化要請」に抵抗するどころか素直に応じ、実践する者も少なくなかった。実際に、明治安田生活福祉研究所による調査(2016)では、交際経験のない20代男性は2013年と比較して1.7倍の53.3%にものぼっている。
 彼らにとって不幸中の幸いだったのは、女性に縁のない男同士でつるんで暮らすことは、想像していたほど絶望的な営みではなく、それなりに楽しいものであったことだ。
 「草食」としての道を歩むと決心した男たちのうち、けっして少なくない数が、その生き方に適応することができた。
 「女性に害をなさないし、積極的に関わりもしないが、しかし女性からの社会的要求にも協力しない(こっちはこっちで楽しくやりますから、あとはご自由に)」という個人主義的な態度が、まさに現代の草食男子の本懐となりつつある(近年アメリカで登場し、多くの賛同者を抱えるようになった「MGTOW」という思想的潮流は、まさにこのような生き方をよりラディカルに実践するものだと言える)。
 彼ら草食男子たちは異性からの承認を求めず、そしてジェンダーロールにとらわれず個人の幸せを追求できるし、女性はそうした「降りた男性」たちを視界に入れなくてもよくなる。これでお互いにWin-Win――「草食男子物語」はすばらしいハッピーエンドを迎えた――かのように思えた。だが、そうではなかったようだ。
 
 草食男子ということばが人口に膾炙して以降のおよそ10年間、さまざまな「男女格差」「女性差別」の問題がクローズアップされてきた。
 とりわけmetooムーブメント前後からは、「男性が自らを反省する」ことで女性へのジェンダー抑圧を克服するための社会運動が盛んになった。
 「有害な男らしさをなくそう」「男らしさから降りよう」といった潮流が起きたことは記憶に新しい。
 草食男子たちの「男らしさからの降り方」が槍玉に上がるようになったのは、そうした流れのなかでのことだ。
 「彼ら草食系男子は男同士の『ホモソーシャルな絆』にかまけてばかりで、たしかに加害やハラスメントはしないが、構造的なジェンダー強者側にいるという自覚が皆無だ。女性が生きやすいように社会を変えるという、『強者として果たすべき義務』を果たそうともしない」――と。

    ここ数年、「“草食系男子”のホモソーシャルな絆」が気にかかっている。
    あからさまな女性蔑視はない。暴力もない。だが「男同士でつるんでる方がラク」な彼らにジェンダー強者である自覚はなく、社会を変えようとももちろん考えない。
    — 前川直哉 (@maekawa_naoya) November 26, 2019


    これは「男らしさ2.0」ではないか

 ついこないだまで「男同士で集まってバーベキューでもしていろ」と遠ざけたはずの男たちに対して、なぜいまになってまたバッシングを始めたのか。
 結論からいえば、「遠くで草を食っているだけの男たちの姿が気に入らなかった」のではないか。
 いまジェンダー論者やフェミニストが草食男子に要求しているのは、女性にとって不利な社会構造を解消するための、女性に心地よい形にアップデートされた「新たな男らしさ」――いわば「男らしさ2.0」を身につけろというものだ。
 
 「すべての男は女性の地位向上のための改革に協力的であらねばならず、かつメリットのみを供出するようにふるまわねばならない」。
 これは「男らしさの解体」というよりも、むしろ「新たな男らしさの再構築」であるように見える。
 「既存の(有害な)男らしさ」からは降りろ、女性に対していつでも積極的に協力する責務を負え、ただしお前の苦しみはすべてお前自身の責任だ――このような要求を、まさにそのような男女間の力学そのものから降りたいと願う非モテ男子・草食男子に課すのは、それこそ「美味しいとこどり」ではないだろうか。
 「異性にモテなければ一人前ではない」という規範に抵抗するために、異性獲得競争そのものから降りた彼らを、「君たちはジェンダーロールの解体に非協力的だ」と詰ることは、端的に言って理不尽な要求だ。

 フェミニストはこれまで、男性に期待され、課せられるジェンダーロール――たとえば「女性にモテるよう努力せよ」「女性や家族を養え」「他者との競争に勝ち、より高い報酬や地位を得よ」といった規範――への違和感を男性が表明しても、「男は無意識の特権意識を持っているから苦しいだけだ」とか「勝手に男らしさを内面化している男の自己責任であり、女には一切責任はない」などと突き放し、矮小化してきたのではなかったのか。
 「男の苦しさ・生きづらさなど知ったことではない。男は生まれながらにして『強者』なのだから、女性の生きやすさ向上のための社会改革に協力しろ」という片務的な要求を、彼らが喜んで引き受けるとは思えない。
 果たして「美味しいとこ取り」をしようとしているのは、どちらなのだろう。


    「草食系」は本当に敵なのか?

 物事の「よい面」と「わるい面」は、たいてい表裏一体のものだ。
 「よい面」だけを抽出したり、「わるい面」だけを除外しようとすると、たいていは両方が同時に失われてしまう。
 草食男子というカテゴライズも同じだ。
 「魅力がない男性」「迷惑な男性」を一絡げに「草食系」のカテゴリに放り込んで、遠くの河原のバーベキュー会場に追放できた直後は、さぞかしせいせいしたことだろう。
 しかし、彼らは自分たちのポケットに入った財布も一緒に持って河原へ去ってしまった。
 あとになって彼らの持つリソースや協力がやはり必要だと気づいたからといって、いきなり呼びつけて「お前のポケットに入っている財布だけここに置いて、もう一度河原へ帰れ」と要求しても、「はい、わかりました!」と応じるわけがない。
 草食男子たちをいくら「社会的責任を果たさない連中だ」と攻撃したところで、彼らはむしろ、より堅く心を閉ざしてゆくだろう。
 自由のないところに責任はない。報いのないところに奉仕はない――それがこの無縁社会に生きる私たちが愛してやまない「リベラルで個人主義的な生き方」の鉄則なのだから。
 
 森岡氏はこのようなことも論じている。

    〈少なくとも、フェミニズムにとって、草食系男子たちは、敵対関係に立つべき存在ではなく、この社会のジェンダー秩序を変えていくために共闘することが可能な存在ではないかと私は思うのである。
     もしそれでも不服なら、草食系男子は、これまでの伝統的男性たちよりは、フェミニズムの視点からして「まだまし」な男性だと言えるのではないだろうか。
     草食系男子は、つきあっている女性とていねいにコミュニケーションを取り、一緒に話し合いながらいろんなことを決めていきたいと願っている。
     これはフェミニズムが男性たちに強く求めてきたことではなかったか。
     もちろん草食系男子が登場したことによって、社会のジェンダー構造や規範そのものがただちに解体されるわけではない。
     しかしだからと言って、草食系男子も男だから男性権力でしかない、とするのは偏見に捕らわれすぎているように私には思われる〉
 
 本来ならば、一緒に話し合って社会を変えていけた、共闘できたはずの人びとを遠ざけ、あとになって「お前は生まれながらの強者なのだから義務を果たせ」と新たなジェンダー規範を要求し、かと思えば「男の生きづらさは自己責任」などと男女の対立を煽りたて、相互理解の歩みを停滞させてきたのは、いったいだれなのか。
 それはほんとうに「草食男子」たちなのだろうか?

                                  転載終わり。




 「自分達は自由に自分達の責任で生きていくからその邪魔はしてくれるな! 責任を負うから責任を望む者を排除してくれるな!」というのがフェミニズムであったはず。
 そうであるにもかかわらず、今の日本のフェミニズムの主張は、「私達が嫌いなものは排除する。私達を姫様の如く扱え! 全ての規範は私達が決める!」という本来のフェミニズムとは真逆の主張をし本来のフェミニズムとは真逆の方向に突き進み、多くの人に罵詈雑言を浴びせ多くの表現物を叩き潰し多くの表現者を罵倒して活動停止に追い込もうとしています。
 女性の服装の是非を日本のフェミニズムが決め、女性の体形を日本のフェミニズムが決め、日本のフェミニズムが非であると判断した服装には罵詈雑言を浴びせ、日本のフェミニズムが非であると判断した体形の女性には罵倒を浴びせました。
 自由な服装を許さない。人の体形を勝手に是非する。人に自分達の価値観を強制する。フェミニズムを名乗りながらこのような行為を行っているのです。
 あまりにも情けなくみっともない。
 しかも、党派性をかなり強く帯びており政治活動化しています。
 このような連中が支援している政党が万が一にも政権を取ったならば、表現の自由は消滅する可能性があります。
 このような連中が支援している政党が万が一にも政権を取ったならば、あらゆる発言や表現が日本のフェミニズムの連中にお伺いを立てて合格の印が貰えないと発表できなくなるかもしれません。
 もう既に多くの表現物がこの連中の為に愚弄された挙句に破壊されました。
 多くのイベントが中止に追い込まれました。
 多くの表現者が罵倒を浴び人権無視の攻撃を受けました。

 もはや日本のフェミニズムの連中は自由の敵です。
 このような連中が支援している政党を応援することは、自由の敵である日本のフェミニズムの連中の勢力を拡大させることに繋がります。
 叩き潰すべきです。


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『瞳ちゃんは人見知り』第2巻/夏海ちょりすけ

2020年02月23日 11時28分06秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は、夏海ちょりすけの漫画『瞳ちゃんは人見知り』の第2巻を読んでいました。

 高校2年生の宇佐見君がある日出会ったのは、目つきが悪くて色々と大きくて迫力のある怖そうな後輩の女の子の瞳ちゃん。
 宇佐見君は、怒っているように見える瞳ちゃんを怖がっていたのだけれども、見た目とは違う彼女の一面を見て……。
 ハートフルな日常コメディであります。




 ……。
 うん。まあね。視線一つで吠えている犬を黙らせることが出来る人は猫には嫌われるよね。orz。
 何故か人から「怒ってる?」と不安そうに尋ねられることはあるよね。orz。
 何故かお子様に怖がられることってあるよね。orz。
 笑顔を練習しなければならない人っているよね。orz。




 面白かったですよ。
 続きが楽しみです。


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