志木駅 その8

2017-12-16 08:22:06 | 日記
陰線に伸びている「いこいの小径」は用水路に合流して柳瀬川に流れ込みます。柳瀬川の合流地点にあるのが「小橋の石橋供養塔」。

後ろに控えているのは工事用の砂山。愛子、砂子、眼、目。「まなこ」のお山です。石橋の供養塔いわく。かつて川越街道の裏街道の役割をしていた江戸道が江川堀(現在の志木市民体育館の場所にあった大堰溜を水源として、周辺の落水と合わせた大排水)を横断する地点に架けられた橋を小橋と呼んでいた。
宝暦九年。石橋の供養塔を立てました。造立にあたって近隣の四十四の村々から助成を頂きました。昔は、橋に霊魂が宿ると信じられていた。志木ロータリークラブより志木市に寄贈されたもの。平成23年12月。

私約。陽の志木市民体育館にあった大排水。大堰溜は、母体の胃袋に溜まったオリを流す排水、廃水、配水、背水です。
栄養のあるものを体の隅々まで行き渡らせる胃袋のお役目。最も栄養のあるオリモノを赤ちゃんに別けるのは当たり前の事です。陽の位置にあった大堰溜を渡る小橋は「端から端まで」。目で見る感覚で新陳代謝できていたしるしです。
その後、埋め立てられて体育館の体を育むになります。志木ニュータウンの「食った食った」のお腹の張りと合わせて妊娠受胎の袋。「こぶくろ」の子袋を宿したのよ。

河道の工事は、小橋の石橋供養塔。液の結びなおし。「きすい」の汽水。塩水と真水が合わさる場所の汽水で、人間像は背中腰で潮を吹く。塩は「えん」「しお」で艶聞=艶文。聞く=文。聞くように、文字で見るように、自身の「えん」を潮吹きします。性交の絶頂感。スポーツのいい汗かいた。お風呂のさっぱりした。至ってふつうの潮吹きを自製。性感帯の造りとなります。

柳瀬川の上流に富士山が見えます。母が子に噛み砕いたものを食べさせる。体の内側もいっしょです。噛み砕いた胃のもの。栄養のある血肉を赤ちゃんに別ける。もともと持っている分配心です。

みずほ台駅側の土手。194の電気通信?の箱があります。19は単腦。94は櫛、駆使、釧。髪(神)を梳く。駆使は使いに出す。鎞は「かんざし」「へら」。篦。「ひよめき」の囟は顖。胎児や新生児の頭蓋骨にある骨のすき間。194は体の隅々まで電気の信号を伝える神経玉の透しとなります。

柳瀬川の対岸は富士見市の水子地区。陰陽に別れています。陽の水子は形有り。陰の水子は形無し。形有りの水子以外は自覚できませんね。無自覚に流した水子も「愛の形」と呼べますか?。

榎町公園は東上線の真下。榎=木+夏。「なつ」の暑。懐=懷。捺は捺印。奈良の奈は柰。「からなし」の殻なし。唐なし。加羅なし。手偏に皇を宿すと加羅(加耶)の遺伝子の掛け合わせのオリもなくなります。
愛の形といって性器と性器を打ちつけます。新種を望み、出てきた奇形や病持ちの子を見て棄てます。また愛を誓い合って繰り返します。耶は邪の「よこしま」。
大きな悪意に私は負けないのよ。夏を制する者が恋の季節。既設。気節を制するのさ。


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