広島 家族葬 広島 葬儀 安芸葬祭・エキキタホールのブログ

広島の家族葬 広島の葬儀
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取り組むブログです。
宜しくお願い申し上げます。

さあ…来年のスタートが始まりました

2009年12月31日 11時03分44秒 | 広島

朝早くから…

社員総出で自発的に大掃除開始…

7時30分から

K君・F君・K君と

事務所内の物をみな

外に出し…始まりました。

 

それはもう…活気に満ちてました。

 

私も2階にあがり…

不要な物から処分をしました。

 

神棚もきれいになり

来年の干支…寅の切り絵を額に入れ替え

いよいよ新年のスタートもほぼ完成しました。

 

来年は寅のように勇ましく…

みんなで頑張ります。

 

陰ながら応援して下さる多くの方に

感謝し…けがの無い・・・

幸せな年になりますように…

 

皆様も…幸多き年を

お迎えください。

 

 

 


さあ…頑張りましょう

2009年12月30日 18時07分46秒 | 広島

明日で今年の仕事納めです。

少し仕事の話をしますと…

いま亡くなられた方のご家族は…

1月3日に葬儀となります。

 

広島市の火葬場は…

明日の午後4時まで火葬受付をしますが

この時間に亡くなられましたら…

明日の火葬は行えません。

(死亡後…24時間経過しないと火葬できない法律のため)

 

毎年…かなりの方が

正月に…身内の死を経験されています。

こればかりは…仕方ないのですが…

 

新年明けましておめでとうございます…

の裏側では…

新年早々に…おめでたくない人も

たくさんおられるのです。

 

葬儀屋さんは…正月もなく

働きます。

 

これも…正月を頑張ってくれる

社員がいてくれるからです。

 

人の死に…正月も祭日も盆も

ありません。

 

私らは…

 

そのために…

頑張っています…

 


来年の10カ条…

2009年12月30日 08時16分59秒 | 広島

①・倒産しない

②・笑顔を忘れない

③・ストレスをためない

④・健康に留意する

⑤・いい仕事をする

⑥・与えられた環境に感謝する

⑦・社員に感謝する

⑧・有縁の人に感謝する

⑨・親に感謝する

⑩・どんなことがあっても…生きる

(順不同)


今年も残り…

2009年12月28日 09時22分33秒 | 広島

今日…私にとって

節目の28日…

心を入れ替え

スタートしましょう…

 

世間は明日から

休みのようですが・・・

私たちの業界には

仕事がない日はあっても

完全な休日はありません。

 

休みたい…

の気持ちは…

 

いまは…封印です。

 

構想もボチボチ完成に

近づいています。

 

会社の基本は変えませんが

うちの社員には…

今以上のモチベーションを高めてもらいます。

 

この厳しい時代…

乗り切るためのは…

今まで通りでは困るからです。

 

さあ…再スタートです。

 


家族がガンを宣告されて…10

2009年12月24日 17時37分22秒 | 広島

病院に着くと

大勢の親族が待ってくれていた。

「今日が最大のヤマ…」

みんなの表情は本当に暗かった…

最悪の状況が来た場合の確認をしあって

父の兄を除き、親族は帰った。

 

PM 5時30分解散

 

妹が…

「今日は健太の誕生日…

お父さん…今日は死なんよ…

明日29日は、お母さんの誕生日…

たぶん、お父さん…お母さんの誕生日に逝くんかね・・・」

 

そんな軽口を言えるくらい

父の状況が不思議と安定したように

私らには感じた。

 

そこでおじが…

「飯を食ってくるが・・・光浩・・・一緒に行かんか?」

と言ったが・・・あまり食欲もなく遠慮した。

ならばと…おじは一人で食事に行った。

 

数分後…父は昏睡状態からか

穏やかに寝息をたてた。

見回りの看護師さんも…

「河内さん…安定したね・・・よかった」

と言ってくれた。

 

この17日間…

シムラ病院緩和ケアのスタッフの方には

心底助けられた。

「河内さん…」と大きな声をかけ

「痛くない?何かあったら言いんさいよ…」

などと、父へ対して本当に親身になって

接してもらった。

 

私が右往左往しているときも

看護師さんの配慮で随分助けられた。

本当に感謝している。

 

PM 5時45分

父の状態が安定して

ホッとしたのか・・・今日は泊まる覚悟をしていたので

ビールが飲みたくなった。

おじは病院裏にある

小料理屋さんにでも行っているのだと思い

携帯に電話した。すると…

「いや~…弁当にしたから・・・

いま買って帰るところヨ…」

ということで、病院で交替で食べることになった。

 

(あとで…このとき…

おじには、虫の知らせがあったのだとわかった…)

 

PM 6時20分

おじと病室から離れた場所で

弁当をともにし、父の話をしていると

目の前にあった胡蝶蘭の花びらが落ちた…

その光景は…いまも鮮明に覚えている。

 

まるで…命が終わる瞬間のように感じた。

その時…おじは携帯が鳴り

少し離れた場所で話をしていた。

 

すると…妹がナースステーションに走っていた。

おじが…

「どうしたんや…」と叫んだ。

 

すぐに父の病室に入ると無呼吸状態であった。

おじが父に叫ぶ。

「孝二・・・孝二・・・大丈夫か…孝二・・・」

 

すると父は大きな呼吸をした。

 

私は大粒の涙が流れた。

 

父は目を開き…

静かに息絶えた。

 

おじや妹が懸命に父をさする。

 

私は父の目を閉じさせた。

 

おじは…

「光浩、なにしょうるんや~

孝二は、まだ死んでおらん…」

私は

「おじちゃん…もうええんよ。

お父ちゃんは頑張ったんじゃけん。

もうええんよ…」

 

妹も…同じことを言った。

 

みんなが一生懸命…

父の最期を看取ってくれた。

 

おじは連日…三原市本郷町から来てくれた。

従兄の筆頭は…会社の代表が亡くなり

株主総会で代表に推挙されて

数日後でもあるにかかわらず

「出来るだけ来る…」とほぼ毎日

東広島市から電車で来てくれた。

本家のおばさんも…終盤には

数回も見舞いにきてくれ、

そこの長女(従姉)は、毎朝7時に

呉の吉浦から食事を妹に届けてくれた。

 

みんなに助けられ…

励まされ…

見守られて…

父は苦しまず…

安らかに…

亡くなった。

 

葬儀は父の思いを尊重し

出身地の東広島市高屋町白市で行った。

11月28日から12月2日まで

横川の自宅に安置し…

父に語った。

 

「文句ばかり言ってすまんかったね…」

父は本当に穏やかな顔をしていた。

 

葬儀は広島の関係者には

一切連絡を入れなかった。

 

あくまでも・・・父の関係者のみで

仕事関係や私の交友関係には極力伏せて行った。

あとで批判もあったが、

父の同級生の方が多数参列され

父は喜んでくれたと思う。

 

大好きだったカープグッズに囲まれ

カープに復帰したケンさんの

メジャーリーグの生写真にサインを入れてもらった

最大の土産を携え…

 

11月11日…シムラ病院に入院したとき

「来年のカープ…西山とキムタクは

コーチで戻らんのか?」

 

父とカープの話をした最後であった。

もう父と語ることはない。

カープが勝った…

負けたで一喜一憂することもない。

 

会社の相談事もすることがない。

当然…喧嘩もできない。

 

生きていれば気付かなかったこと…

父が亡くなって気付かされた。

 

後悔しても仕方がないが・・・

もう一度父に会えるなら…

「ここまでしてくれて

本当にありがとう…」

と大きな声でいいたい。

後悔しても仕方がないが

もっと…そこのところを

気づく人間でありたかった。

 

 

 

 

 


家族がガンを宣告されて…9

2009年12月23日 15時09分05秒 | 広島

父がガンに侵され

余命を宣告された時…

冷静な自分と

そうでない自分がいることに気付いた。

仕事が葬儀屋だから・・・

冷静に死を受け止めることができたのか?

答えは…やはりYESである。

 

親族に、葬儀の話を淡々とする自分を

怪訝な表情で…「オマエ、そこまで考えているんか…」

と忠告されたとき、不意を突かれたのか・・・

「シマッタ…」と、後悔する自分がいた。

 

毎日が自問自答の繰り返しであった。

 

夜家に帰れば…

食も進まず…眠れぬ日が続いた。

 

酒も進まず…食欲も出ずで

ここまで神経的に考え込む…

もうひとりの自分もいた。

恐らく多くの遺族が経験された…家族としての葛藤であるのだと思った。

 

父の入院中…夕方会社の電話が携帯に転送されてくる。

「安芸葬祭さんですか…いま父が亡くなりまして…」

 

父の目の前で

このような電話を取ったとき…

 

葬儀屋なんて…本当に因果な商売だと思った。

 

目の前に生きるか死ぬか…の戦いをしている

親を前にして…いまこの場で…葬儀屋として対処する自分…

 

「どちらの病院に…何時にお迎えに行けば…」

 

明日は我が身…

 

電話を切って、社員に指示したあと…

 

病院の窓から外を見た。

 

「おれらの仕事…葬儀屋だから・・・

これも受け止めないといけんのかね…」

 

シムラ病院緩和ケアに入院して

17日後…

その日は朝から大忙しであった。

 

そして…11月28日は、初孫で修業から帰り

安芸葬祭で働いている健太の誕生日…

 

皆で…今日行われる通夜の準備に駆け回っていたとき…

おじから電話が入る。

 

「光浩・・・いまどこや…」

「まだ…現場なんよ」

「社員に任せて、病院にこれんか…」

「いますぐは無理じゃ…もうちょっと待ってや…」

「本家の姉さんや従兄もきとるんじゃ…長男のお前がおらんで…」

「わかった…おじさん。30分待ってや…」

 

この日は2件の通夜を受けており

1件が規模が大きかったため

皆で分担して動いていた。

まさしく猫の手も借りたいくらいに…

 

朝から父の容態が悪いのは知っていた。

しかし…孫の誕生日に死ぬわけがない・・・

と、強く念じていた。

 

仕事が落ち着き…社員に事情を話し、

シムラ病院に向かった。

 

待合ロビーに…親族が多数集まっており

自分が想像した以上の、重大性に気付かされた。

 

 


家族がガンを宣告されて…8

2009年12月23日 11時42分20秒 | 広島

11月11日 くもり

朝9時…父からの携帯が鳴る。

「麻衣子(妹)が、まだ来ない…時間が過ぎている」

10時の退院予定で、一時間早いと伝えたが、

非常に機嫌が悪い。

 

これはジョーダンも通じないと思い、電話でなだめて

何とか切った。

 

父の兄も…本郷町から駆けつけてくれ

10時に総合病院を出発する手はずであった。

 

しかし…総合病院で最期のトラブル発生…

退院手続きが行われていなかったのである。

 

正直…そのことを妹から聞いた時

呆れてものが言えなかった。

怒りは通り越し、

「もうほっとけや…

シムラ病院に10時30分で約束しとるんじゃけん

行こうや…」と、言い支払いも後日にした。

 

シムラ病院に向う道中…

葬儀場であるマントクホールの近くを通った。

父がよく通った仕事場である。

もう二度と…生きて通れんだろうなと…内心思った。

平和大通りを通り、平和公園前を通過し、シムラ病院に着いた。

 

病院に着くと…完全個室の部屋に入院した。

それまで4人部屋で、気を遣い過ぎた父は…

本当に喜んだ。

「これは勿体ない・・・広くていいとこじゃ…」

 

職員さんから親切な説明があった。

「河内さんこんにちは…ここでは河内さん快適に過ごして下さいね。

ペットの持ち込み、たばこ…1日3本までいいですよ…

お酒も良かったら、しっかり飲んで下さいね・・・」

 

父は満面の笑みを浮かべた。

「酒やタバコが吸えるし…嬉しいの~」

妹も…

「お父さん良かったね・・・嬉しいじゃろう…」

 

と、笑った。

 

しかし…父の兄は…

その言葉の意味が…辛かったのであろう。

一切笑わなかった。

 

その後…

「お父ちゃん…おじちゃんと一杯飲んでくるわ…」

と、伝え…おじと昼間から酒を飲んだ。

 

飲まないと互いにやってられなかった。

 

広島駅の居酒屋で…今後の話をした。

 

「おじちゃん…親父の葬儀じゃが…」

おじは黙って聞いていた。

 

「オマエは息子じゃから・・・色々心配するじゃろう。

わしも…あいつは弟じゃけん…オマエと同じくらい心配じゃ。

なんせ…8人兄弟で残ったのは、あいつとワシだけじゃ…

5歳も上のワシを置いて…何でアイツが死なないといけんのじゃ…」

 

おじは目を真っ赤にして言った。

 

父の兄弟の結束は本当に強い。

特に…このおじに対しては、父は逆らうことが一切なかった。

いつも…アニキ、アニキと呼んでいた。

 

「アニキが今日来るんけん…悪いが今日頼むでェ…」

 

時折…本郷から広島に来るおじと飲むとき

父は最高に機嫌がよかった。

 

そのおじと…「おじさんと飲むけん…」とシムラ病院で言ったとき

父は…「アニキ…ワシが行けんからゴメンのぉ」と言った。

おじは…

「孝二・・・早うようなって行こうでェ~」と答えた。

 

シムラ病院緩和ケア…

ここでの父は…総合病院で見せたことがない

最高な表情を見せた。

「ええ病院に連れてきてくれて

ありがとう…」

そう言われたとき…涙が止まらなかった。


家族がガンを宣告されて…7

2009年12月22日 12時55分45秒 | 広島

入院した父の病状は

毎日変化が激しかった。

良かったり…

悪かったり…

その繰り返しで

毎日見舞う妹の電話が鳴るたびに

ドキドキの連続であった。

 

「お兄ちゃん…来てくれん(来い)」

そのように言われた時は…

毎回何かしら良くない時であり

病院までの道中はとても気分が冴えなかった。

 

主治医の先生から話がある場合・・・

 

いい話は少なく、最悪の場合・・・とかの

決断を求められるケースばかりで

正直…苦しかった。

 

父の体力はどんどんなくなり

そのころは…自力で立てなくなっていた。

 

某総合病院に約40日入院していたが

正直…最悪であった。

 

父の検査を、何日の何時に行いますと言われ

近親者が行くと、もうすでに終わっていたり

手続き上の諸連絡は通っていないやら

小さなことをあげればキリがないが

私たち家族は…不信感が多かった。

 

父も入院中…対応に激怒し、退院すると言い出した。

些細なことかもしれないが、点滴やトイレ…

看護師不足?か、対応は良くなかった。

 

一度は、私もキレそうになった。

父からも事情を聴き、看護師さんにも聞こうとしたが

そこは患者は生贄(言葉は悪いが)

私は父を諭した。

 

子どもの私が父を諭す…

正直…辛かった。

内心…「お父ちゃん…堪えてくれや…」と思った。

 

実は父が激怒した日…

数日前に、その総合病院の医師から

「もう現状では、当院では手を尽くせません。

緩和病院に転院され、養生された方がよろしいと思われます」

と…最終宣告を受けており…

中区舟入町のシムラ病院緩和ケアに相談したばかりであった。

 

「父ちゃん堪えてくれや…」の思いは

シムラ病院の岩田先生はじめスタッフの方が

まさしく…父が希望する医療体系であったからだ。


家族がガンを宣告されて…6

2009年12月22日 11時05分57秒 | 広島

父が入院して数日後・・・

父の兄弟や従兄に連絡を入れた。

父は…「絶対入院したと言うな…」

と言ったが・・・事態が事態だけに

自分で判断をくだし、父の兄弟には連絡をしようと決めた。

 

幸いにも、父の兄弟や従兄は結束が強く…

このような事態があった場合には…

誰を筆頭にするのか・・・というルールが決められていた。

 

父の姉の長男…

 

この人がすべてである。

 

私はすぐに状況を話した。

 

かなり驚いた様子であったが

すぐに…対応してくれた。

 

本家のおばさん、父の兄…

いとこ会…すぐに連絡が回り…

 

早速見舞いに駆けつけてくれた。

 

父は怒るかと思ったが…見舞いに訪れる親族の顔を見ると

すごく嬉しそうであった。

 

父の兄が…

「ええか、孝二・・・光浩の言うことは絶対に聞けよ…

わがまま言うな。光浩がええがにしてくれるんじゃけん」

 

父は黙ってうなずいた。

 

「孝二・・・退院したら大宴会するんじゃけん…

これくらいで負けたらいけんど…」

 

「孝二あんちゃん…白市(父の出生地)で快気祝いしようや~」

 

いとこが語ると…

父は

「ヨッシャ、ヨッシャ…わしは頑張るけん…」と

笑顔で返した。

 

私はその光景がつらく…

病院のトイレに駆け込んだ。

 

その日は絶好調であったが

次の日から…

末期がん特有の症状が始まった。


家族がガンを宣告されて…5

2009年12月21日 09時17分58秒 | 広島

父が突然異変を訴えたのは

10月4日であった。

 

9月20日過ぎから始まった

放射線療法で、体力が明らかに弱ってしまった。

放射線の経験がある人に

お分かりであろうが…放射線には副作用に関する

注意事項が最初に伝えられる。

 

私は放射線に反対であったが、医師から

「意識障害がおこる可能性…」を強調された妹に

反対意見を言えなかった。

 

ナゼなら…両親の介護の大半以上を

妹に依存しているため、反論の余地はなかった。

 

放射線を始めて受ける時…

父を連れていった。

車中で父は…「健太はいつ帰ってくるんか?」

と、10月に武者修行から帰ってくる孫のことを

気にしていた。

 

「健太と一緒に仕事ができるのが、楽しみじゃ…」

 

私には…その言葉がつらかった…

 

恐らく…もう…その思いは無理じゃ…

 

この放射線のカードは…

 

最悪のカードの可能性が高い・・・

 

実際放射線を経験した人間が…

「やめんさい…お父さん殺す気なん…」

 

この言葉が脳裏を離れなかった・・・

 

あの放射線一日目の車中…

 

「わしは本当にええんかの…」と思いながら

 

総合病院の放射線科に行った。

 

 

放射線は10回続く予定であったが

 

8回目に…医師から中止を宣告された。

 

「これ以上続けても良くならない…」

 

私は…後悔した。

 

心の中で…父に謝った。

 

入院する日…父の一言は忘れられない。

 

「放射線は失敗じゃったの…」

 

もう…歩く気力も…食事をする気も…

父にはなかった…

 

 

 


家族がガンを宣告されて…4

2009年12月21日 08時58分15秒 | 広島

母が4年前に倒れ、父は人が変わった。

自分の自由な時間を捨て

すべて母の介護に専念した。

下の世話から、食事の世話

特に夜中は

何回も起こされていた。

 

「昨日…お母さんが寝させてくれんで…」

そう言っては…会社で昼間熟睡することが

多くなっていた。

 

ある時は…

「わしも年なんかの~…疲れが取れんし

おまけに色々なところに痛みが出るわ…」

 

「ひどいもんじゃ…寝ても疲れが取れん…

今日は朝から頭が痛いわ…」

 

など…身体の不調を訴えてきた。

 

「病院に行った方がええでェ…」

と言っても…

「寝ておけば、大丈夫…」との返事…

 

元来が医者きらいであり

「どうせ検査しても…悪いとこばかりじゃけん

高天原(火葬場)で焼いてもらわんと

治らんわい…」とうそぶいていた。

 

父を入院させるには、

母の介護先を決めなければならない。

妹が母のお世話になっている

訪問看護師さんなどに相談した結果

母の受け入れ先が決まった。

 

月日はいつの間にやら10月に入っていた。

 

 

 

 


家族がガンを宣告されて…3

2009年12月20日 18時20分49秒 | 広島

父の本格的な検査が始まった。

9月10日から連日…

CT・MRIと続き…

PET検診も行われて、どうなっているか…

徹底的に検査が行われた。

 

付き添っていた妹から…

「先生が、お兄ちゃんも一緒に来てくれ…と、言われたから・・・」

 

9月15日検査結果を聞きに

某総合病院に行った。

父・私・妹の3人で

脳神経科に入っていく。

 

椅子に座るなり…

先生はガンの特殊性を話し

切り出した…

「いまの状況は…余命半年です」

 

すぐに…父を見た。

45年間で…見たことのない表情をした。

しかし…父は黙っていた。

 

しばらくすると…父が口を開いた。

「先生…ワシは言われていることが

理解できん。耳も遠いし、意味がわからん…」

 

その時は…脳腫瘍の位置が、記憶を司る

神経にあるから・・・理解できないくらいに思ったが

 

いま考えると…父なりの私ら子どもに対する配慮だったのかもしれない。

 

恐らく…父は理解したのだと思う。

しかし…ここで自分がたじろいだり、惨めな姿を見せるのは

マイナスだから、毅然とした父親を演出したのだと思う。

 

そのことは…後日にわかった。

 

 

さて…その日は、脳神経から始まり

内科・放射線科と回された。

計8時間病院にいた父は、我慢の限界が来たのか…

相当イライラが高じてきた。

 

ガンが8か所にあることは

わかったのだが…元になるガンが

どこかが特定できなかった。

 

それで…しばらく検査が続くことになり

父は…「冗談じゃない…」と、言いだした。

 

体には相当な自信もあり

ガンになった意識が父には全くない。

ナゼなら…そこまで転移しているのに

痛みが全くないから・・・

 

そこで内科の先生から入院を勧められた。

「河内さん…現状言えるのは即入院してほしい。

そしてどこが根元か確認をして、今後の対処を

早急に決めたい…」

 

私も父に入院を促した。

 

しかし…父は無言である。

 

「お父ちゃん…入院してみようや…」

 

すると…「あんたら簡単に入院せいと言うが

お母ちゃんの介護はどうするんじゃ…

あれは…わしがおらんとダメになる…」

 

実は父が今日までガンに気付かなかったのは…

母の介護も微妙に関係があったのだった。

 

 

 

 


家族がガンを宣告されて…2

2009年12月18日 17時18分47秒 | 広島

9月8日

朝から会社は忙しい雰囲気に包まれていた。

社員も早朝から出社し、この日の段取りをしていた。

 

いつも7時過ぎに会社に来る、父の姿はなかった。

 

8時前…

父が現れた。

 

通常であれば…社員を労う父であるが

この日は…様子が違った。

 

倉庫にあるソファに腰を落とすと

うつむき加減に言った。

「頭に腫瘍が2つ見つかった…つまらんよの~」

 

このときは…正直…私は深刻に受け止めなかった。

 

「な~に…心配しんさんな…

腫瘍と言っても全部が悪性じゃないんじゃから・・・

良性かもしれんし、取り敢えず…検査じゃ…

世の中には自然治癒力いうものもあるんじゃから

ここは、まず…病気を受け止めようや…」

 

と、無責任かもしれないが父に語った。

 

その日は仕事に精を出し…フッとした瞬間に

父を思いやった。

 

いつもは…口うるさい父が邪魔で仕方がなかったが

こうなれば、話は別である。

 

何とか父に元気を出させる方法ばかり考えていた。

 

つづく


家族がガンを宣告されて…その1

2009年12月18日 08時33分23秒 | 広島

父親がガンで亡くなりました。

本当にあっけない幕切れでありましたが

ガンの恐ろしさ…

家族の葛藤…

本人のガンとの戦い…

ガン発見から2か月…

私たち家族には色々な物語がありました。

 

その中で…

考えさせられたことや

思ったことを…

ここに数回に分け

書き込んでみたいと思います。

 

9月7日…

私が外出先から帰社すると…

父が事務所の2階に呼んだ。

 

「明日検査を受けるから・・・手続きをしてくれんか…」

 

一瞬…???状態で

 

「何の検査???」と聞いた。

 

「前から手が痺れるんよ…

それに…持った煙草を頻繁に落とすし

字を書いても、手が震える。

おまけに…漢字を忘れて思い出せんのよ…」

 

一瞬…「頭じゃの…それは…」

と…父につぶやいた。

 

ある人の紹介を受け…某総合病院に

次の日行った。

父は、自分ひとりで行くといい、車で病院に行った。

 

数時間後…何の因果か…

その病院で亡くなられた人の

葬儀依頼が…ご家族からあり、

私と社員で、その病院に出向くと…

待合所に父が一人…座っていた。

 

私の姿を見つけると…

「仕事か?それとも…わしの病状のことか?」

と聞くので、「仕事よ…それよりも、どうじゃったん?」

「それが…まだ報告がないんよ…」と不安げな表情を見せた。

 

「心配しんさんな…

どうせ脳梗塞じゃけん…

血の流れがようないだけよ…」

 

「そうならええがの~…」

 

との会話をしていると、

父が呼ばれた。

 

「ほいじゃ行ってくるわ…

仕事…頼むの…」

 

気のせいか…父の後姿には

覇気を感じなかった。

色々な不安や葛藤が…

そのように見せたのか・・・

 

始めてみる…父の勢いのなさであった。

 

つづく