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家族がガンを宣告されて…10

2009年12月24日 17時37分22秒 | 広島

病院に着くと

大勢の親族が待ってくれていた。

「今日が最大のヤマ…」

みんなの表情は本当に暗かった…

最悪の状況が来た場合の確認をしあって

父の兄を除き、親族は帰った。

 

PM 5時30分解散

 

妹が…

「今日は健太の誕生日…

お父さん…今日は死なんよ…

明日29日は、お母さんの誕生日…

たぶん、お父さん…お母さんの誕生日に逝くんかね・・・」

 

そんな軽口を言えるくらい

父の状況が不思議と安定したように

私らには感じた。

 

そこでおじが…

「飯を食ってくるが・・・光浩・・・一緒に行かんか?」

と言ったが・・・あまり食欲もなく遠慮した。

ならばと…おじは一人で食事に行った。

 

数分後…父は昏睡状態からか

穏やかに寝息をたてた。

見回りの看護師さんも…

「河内さん…安定したね・・・よかった」

と言ってくれた。

 

この17日間…

シムラ病院緩和ケアのスタッフの方には

心底助けられた。

「河内さん…」と大きな声をかけ

「痛くない?何かあったら言いんさいよ…」

などと、父へ対して本当に親身になって

接してもらった。

 

私が右往左往しているときも

看護師さんの配慮で随分助けられた。

本当に感謝している。

 

PM 5時45分

父の状態が安定して

ホッとしたのか・・・今日は泊まる覚悟をしていたので

ビールが飲みたくなった。

おじは病院裏にある

小料理屋さんにでも行っているのだと思い

携帯に電話した。すると…

「いや~…弁当にしたから・・・

いま買って帰るところヨ…」

ということで、病院で交替で食べることになった。

 

(あとで…このとき…

おじには、虫の知らせがあったのだとわかった…)

 

PM 6時20分

おじと病室から離れた場所で

弁当をともにし、父の話をしていると

目の前にあった胡蝶蘭の花びらが落ちた…

その光景は…いまも鮮明に覚えている。

 

まるで…命が終わる瞬間のように感じた。

その時…おじは携帯が鳴り

少し離れた場所で話をしていた。

 

すると…妹がナースステーションに走っていた。

おじが…

「どうしたんや…」と叫んだ。

 

すぐに父の病室に入ると無呼吸状態であった。

おじが父に叫ぶ。

「孝二・・・孝二・・・大丈夫か…孝二・・・」

 

すると父は大きな呼吸をした。

 

私は大粒の涙が流れた。

 

父は目を開き…

静かに息絶えた。

 

おじや妹が懸命に父をさする。

 

私は父の目を閉じさせた。

 

おじは…

「光浩、なにしょうるんや~

孝二は、まだ死んでおらん…」

私は

「おじちゃん…もうええんよ。

お父ちゃんは頑張ったんじゃけん。

もうええんよ…」

 

妹も…同じことを言った。

 

みんなが一生懸命…

父の最期を看取ってくれた。

 

おじは連日…三原市本郷町から来てくれた。

従兄の筆頭は…会社の代表が亡くなり

株主総会で代表に推挙されて

数日後でもあるにかかわらず

「出来るだけ来る…」とほぼ毎日

東広島市から電車で来てくれた。

本家のおばさんも…終盤には

数回も見舞いにきてくれ、

そこの長女(従姉)は、毎朝7時に

呉の吉浦から食事を妹に届けてくれた。

 

みんなに助けられ…

励まされ…

見守られて…

父は苦しまず…

安らかに…

亡くなった。

 

葬儀は父の思いを尊重し

出身地の東広島市高屋町白市で行った。

11月28日から12月2日まで

横川の自宅に安置し…

父に語った。

 

「文句ばかり言ってすまんかったね…」

父は本当に穏やかな顔をしていた。

 

葬儀は広島の関係者には

一切連絡を入れなかった。

 

あくまでも・・・父の関係者のみで

仕事関係や私の交友関係には極力伏せて行った。

あとで批判もあったが、

父の同級生の方が多数参列され

父は喜んでくれたと思う。

 

大好きだったカープグッズに囲まれ

カープに復帰したケンさんの

メジャーリーグの生写真にサインを入れてもらった

最大の土産を携え…

 

11月11日…シムラ病院に入院したとき

「来年のカープ…西山とキムタクは

コーチで戻らんのか?」

 

父とカープの話をした最後であった。

もう父と語ることはない。

カープが勝った…

負けたで一喜一憂することもない。

 

会社の相談事もすることがない。

当然…喧嘩もできない。

 

生きていれば気付かなかったこと…

父が亡くなって気付かされた。

 

後悔しても仕方がないが・・・

もう一度父に会えるなら…

「ここまでしてくれて

本当にありがとう…」

と大きな声でいいたい。

後悔しても仕方がないが

もっと…そこのところを

気づく人間でありたかった。

 

 

 

 

 


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