旅の途中から

2005年1月9日ひっそりとスタート、旅はまだ続きます。

てもみん

2005-01-31 10:19:37 | Weblog
今週もまた始まりました。先週あたりから続いている首の痛みが引かず、連日”てもみん”という10分マッサージに通ってますがなかなかよくなりません。ちょうど給料日の25日に痛みが始まったので、給料日から首が回らないという悲惨な状態になっております。家のものが言うには、寝ながら無理な姿勢で長時間TVを見ているからだとのことですが、言えているのかもしれません。正しい姿勢での仕事&運動等々必要なのかもしれません。マッサージの際、ずいぶん凝ってますね?お仕事忙しいんですね。。。と言われる度に、「いや~仕事は忙しくないんですが。」と返答してます。たぶんいろんなことが影響しているのだと思うのですが、このところ目見えなくなった感があり、時々星のようなものが見えたり、ものがずいぶん見えにくくなっていきているような気もします。肩こりは歯痛からという話を聞いたので、とりあえず今週は歯医者に行って一度検査をして貰おうと思ってます。ところでこの旅の途中にを書き始めてからほぼ20日が過ぎました。自慢でありませんが、日記というものは小学校一年生の絵日記が一番続いた記録でそれ以外は、こんなに長く文章を書き綴ることを日課としたことがない41年の人生なのですが、たぶん誰から読んでくれているということが強いモチベーションになっているのでしょうか、なんとか2月を迎えることができそうです。ブログ開設以来の延べ読者数は900人に迫るところまできました。毎日覗いて頂いているかたも、ときどき覗きにこられる方もありがとうございます。またいろんなレスも頂きまして、これもまた励みになってます。この首の痛みがなくなったら、もう少しおもろいネタも交えて皆さんに”くすっ”と笑ってもらえるようなことも綴っていきますので、今後とも宜しくお願いします。ここのところだいぶ冬らしい天気が続いてますが、天気はいい天気です。今夜は上海から元の上司のM岸さんが飛来するので、上海今事情をとくと伺ってこうようと思ってます。では

さくら@品川 

2005-01-28 17:03:21 | Weblog
久々にに品川のご本社訪問、かつては子会社のわが社も品川に長く事務所を構えていた。今でこそ三菱グループをはじめ大きなビルが建ち、また新幹線が停車するように、なり変貌を遂げている品川港南口であるが、小生が始めておとずれた20年前には電電公社(現NTT)のビルだけが大きく要塞のようにそびえていた。品川プリンスホテルを中心とする高輪口の華やかさに比べ、暗く狭く長い地下道を越えると、やっと地上にたどりつく。オーム真理教が起こしたサリン事件の際など、地下鉄でなくこの品川の地下道の両端から朝のラッシュ時にサリンを撒かれたら、一貫の終わりだなあと悲観的になったり、夜にはホームレスの人が奥飛騨慕情をすすり泣くように歌い。それがまたさびしさをかもし出す。東京の南口にしては妙に味のある街であった。さらに高輪口のオフィス街に行き。居合わせたOL達からは、私達はおいしいお店に囲まれてOKだけど、あちらの倉庫街のひとたちは、どんな昼飯を食しているの?見下されているような質問を受ける、そんなそんな苦い思い出さえ残る。ところが東京都食肉処理場こそまだ現存するものも、要塞だった電電公社のビルが今ではすっかり小さく見えるようになり地下道もなくなった。街が大きく変わって、ひとつだけ残念なのは、街並みが変わり新しい建物がたっていくのはこれはしかたのないことなのだが、小生の心の中に残っているのは、その地下道から抜けたところに鎮座していた大きな桜の木である。暗い地下道をぬけると春先におおきく張った枝いっぱいの花びらをつけ、またそのは散るはなびらを目にしながら、会社に通った思い出である。なんとか残せなかったものだろうか、品川のさくらを覚えている人が一人で多くいることを祈りつつ。やっと週末。

ブルガリ

2005-01-27 14:33:22 | Weblog
昼休みに1F下の輸出入の部署のN村君と談笑。33歳独身、就職しても親と同居していたこともあって貯金ウン千万円の独身貴族なのに幸か不幸か、女性の噂はあまり聞かず、お酒も飲まずギャンブルもやらない。自然の流れで出しをつつしみ入りを増やす、貯金はたまるはずである。身につけるものも取引先のノベルティでも貰った。よく言えばシンプル、悪く言えば”安物!の時計を使っていた。ところがである、今日席に行って見ると、彼の左手には写真のブルガリが光っていた。最初は伊勢佐木町の夜店でイスラエル人から仕入れた模造品と疑ってみたが、彼の話によるとホノルルマラソンで初めて訪れたアラモアナショッピングセンターで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、ボーナスを叩いて手に入れたとのこと、しかしどうも似合わない。談笑を終え、彼と離れてからたどりついた結論は、やはり時計はシャツとのコーディネーションが必要なのでは?せっかく一流ブランドの時計をしていても、シャツがヨーカドーやユニクロのシャツではバランスが悪い、彼には小生一押しの”鎌倉シャツ”の購入を勧めたしだい。やはり人間分相応、できない背伸びは控え目が小職のスタイル。SEIKOの15年選手の腕時計が今日もときを刻んでいる。

老いては子に従え

2005-01-25 11:20:45 | Weblog
小生の愚息8歳は、世間並みにゲーム中毒と言っても言いすぎでない位。先週、土日に渡って行われた幕張メッセのホビーショウには2日連続で、出かけたほどである。かなり危ない領域までゲームにのめりこんでいる。もちろん夫婦交代でお付き合いするわけだが、横着な小生は、彼に携帯を持たせ、人ごみを離れて読書にふける。。しかし言うことは面白い。僕の夢は「任天堂に入って面白いゲームを作る。」「ば~か、お前が大きくなるころには任天堂なんかもうなくなってるかもしれない。」年喰っている分偉そうに返すと「そのときは自分で三天堂か四天堂をつくって・・・・・なんとかする。」まあ現実の厳しさはこれから10年20年30年年を追って彼は彼なりに学んでくれることを親としては祈るばかりであるが、先週末ふと変なことを言ってきた、「任天堂は人気があって大きい会社だから、株も高いと思うけど。これから儲かるかもしれない、会社の株を買うと儲かるの?」といっちょ前のことを言ってきた。小学校2年生にわかりやすいように説明すると。「それであれば、今人気のトレーディングゲームで売れているはずだからタカラからその子会社のアトラスを買ってみたら。」との銘柄指定。当然子供の話とまったく相手にしていなかったのだが、月曜日にヤフーで株価検索をすると、先週末よりあるファンドが入ったとの好材料を受けて、タカラ株 10%を超える高騰を見せていた。老いては子に従え、マーケットを見る目は確かであった。41歳親父、切腹ものである残念。

ジョージ W ブッシュ

2005-01-24 12:12:42 | Weblog
ジョージブッシュが第二期目のスタートを切った、大量殺戮(破壊)兵器撲滅のために立ち上がった、ところが玉が見つからないとコロッと矛先を転換して、世界の民主化のためにと変換されてしまった。あの9月11日の朝、San Diegoの自宅で寝ぼけ眼で朝食をとりながら、ラジオから流れるニュースに耳を疑っていた。東京の知人から、「大丈夫?ニュースステーションで久米弘が絶叫してるよ。」との電話、電話回線もかなり込み合っていたとのこと。NYでワールドトレーディングセンターに小型機が突っ込んだ模様です。何を映画みたいなことを言っているんだと思ったものも、それは絵空事でなく現実であった。オフィスに行くと、同僚のO君が、「大量の乗客が乗っていても、テロリストが乗っていると疑われたら F15だか16がロケットで撃墜!するって話もありますよ。」と興奮気味に現実の恐ろしさを説く、最終的に公表はされていないが、Pittsburgh郊外で落ちた機体はほぼ間違いなく撃墜だれたものであろう。あの911からアフガン&イラク戦争といまだ続いているアメリカの戦争であるが、911の直後から、小生はひとつの仮説を立てていた実は、ワールドトレーディングセンターを破壊したのはアメリカ自身ではないのか?アルカイダ=アメリカ アメリカの一部の自分達がアメリカを牛耳っていると思われるメンバーが意図的に企ててことが進んでいるのではないかと感じていた。しかし、「アメリカはひとつだ!」「国を守るぞ!」と盛り上がっているアメリカ人にそんなことを言える雰囲気ではなく、一人のジャパニーズアメリカンのジョージという叔父さんにこのことを話ていた。彼の返事は仮説としては面白いが。???とのリアクション。ところがそのジョージから、久しぶりに連絡がきた。「はーげん、あんたの言っていたことが、ほぼ合っているのではないかと俺も最近思い始めている。」 「しかし全ての事実が明らかになるのは、俺たちの死後かもしれない?」
小泉総理しかりである、改革 改革 改革 とばかり言っているが一番 改革を望まないのが彼自身だったすると言い切っては言いすぎだろうか? 今日も本当にいい天気、花粉症の方 要注意です。

福岡出張

2005-01-21 10:00:34 | Weblog
毎月一度の定例会で福岡へ飛来、当初の予定であれば福岡赴任の話もあったのだけれも諸般の事情でそれはなくなったのは返す返すも残念。鹿児島で老夫婦二人で暮らす実家へ通うにも好都合だったのだが、会社はそんなことまで考えてくれるよしもなし。
10時30分発の予定だったが、北海道からの到着便が遅れたため羽田を40分遅れて出発。福岡空港に1時前に到着、福岡のすばらしいところのまず第一、空港が街に異常に近い!もちろん空路の直下にあたる住民の騒音に対する被害は大変なものがあるんだろうけど、ビジネス&生活それぞれのシーンに空港が身近にあることがどれだけ経済効果を生んでいるかはかりしれない。年の初めの第一回のミーティングということもあって、議事もスムースに進み、会議も4時には終了。予定の便を2便早くして4時30分の便で帰京。追い風に乗って今度は予定よりちと早く6時には羽田着横浜在住の小生にとっては、羽田も非常に便利。海外出張も悪くないが、台湾&韓国&中国行きは飛行機に乗っている時間より成田へいくほうが時間がかかってしまうことには、正直疑問を感じる。

雇用情勢

2005-01-18 09:55:53 | Weblog
どこの会社でも派遣社員&契約社員等の期限を区切った形での雇用情勢が勢いを増している。我が社も同様である。同じ歳の同じような仕事をしている人でも、年収ベースにするとざっくり100万円~200万程度の差が発生している。同時に3ヶ月or1年でいつ切られるかはまったくもって不明。固定費を変動比化させる経営手法としては有期雇用制度は確かに有効なのだろうが、ほんとうにそれで強い組織が作れるのであろうか?私個人の持論としては、有期社員の中にも社員以上の能力&やる気&根性がある人材には、社員への登用を考える企業こそがこの厳しいビジネスシーンを生き残れるのではないだろうかと、長年考えているがなかなかそうはことは運ばない。一部コネがある人はなんとかなるんだろうが。いずれにしても正社員 契約社員&派遣社員問わず、賢く、というかワイズに生き抜かなければ明日は見えない。

ハワイ

2005-01-17 10:08:36 | Weblog
丸山茂樹さんがソニーオープンで活躍している。前の会社をやめた16年前、ハワイホノルルに一年近く住んだ経験がある小生にとっては、画面の奥に16年前の自分の姿がよみがえってくる。午前中は地域の公民館で移民の人を対象に行う英語学校に通い、午後はゴルフ&ビーチ三昧、今から振り返るとなんとも贅沢な日々を送っていた。そのビーチもワイキキの混雑したものでなく、誰もいない西岸のビーチでスローな時間を過ごしていた。なぜそれを止めたか?ハワイででの生活もあとわずかで一年というある日、ふと立ち寄った鮨屋の板さんに「ハーゲンさん若いのに(当時25歳)こんな気候のいいところでボーっとしているとほんとにお馬鹿になっちゃうよ!」その一言を受けたのち、あまり時間を置かず帰国、しかし再就職した会社での赴任先は、ジャカルタ&サンディエゴ気候のいいところばかりで時間を過ごしてしまい、さらにお馬鹿になってしまった。やはりハワイに戻ろうか?今日も東京はいい天気!

帰郷&町村合併&プロゴルフトーナメント

2005-01-15 21:22:32 | Weblog
正月帰らなかったこともあって、週末を利用して実家に帰る。九州の最南端でも寒さは東京と一緒。ちとびっくり。and かつて桜島は観光収入で潤う島の半分が桜島町で半分が鹿児島市になっていたのだが、町村合併で鹿児島市に併合されていた。全国各地で繰り広げられる町村合併、自分の村や町あるいは市の名前が隣の大きいところに飲み込まれてその名前がなくなっていく、さびしいと思っている人が沢山いることと思う。もう一つ残念なことは、プロゴルフのトーナメントが通年だと、指宿と祁答院で開催されていたのだが、指宿は完全移転、祁答院も隔年開催になってゴルフのわが故郷での開催が風前の灯火となってしまっていた。まあじいちゃんばあちゃんばかりになってはゴルフのトーナメントをやってもお客がこないのだからしょうがいないといえば、それまでなのだが。夕刻後ろ髪(前髪はほとんどなく、後ろ髪しかないのだからしょうがないが)を引かれる
ようにして帰京。雪が小雨に変わっていて助かった。

かっぱ寿司

2005-01-11 22:37:40 | Weblog
今日の今日会社の同僚から「かっぱ寿司」はいまいち!(味が)という話を聞いたと思ったらタイムリーにガイヤの夜明けで、かっぱ寿司の特集をやっていた、築地を通さず、産地との直取引でコストを大幅に下げているらしい。いまやコンピューターも魚も、直取引、一応商社という形態のビジネスに関わってお給料をもらっている立場、中間業者の辛さがひとごとと思えない。かっぱ寿司の運営会社「カッパクリエイト」は東証一部上場企業と聞いて2度びっくり。一方顔見知りの板さんと話を交わしながら、食べる寿司の味はまた格別。小職の勤務先 渋谷区恵比寿での一押しは「鮨翔」インターネットにも載っていないので、詳細知りたい方は。はーげんまで。