旅の途中から

2005年1月9日ひっそりとスタート、旅はまだ続きます。

紫陽花

2005-06-30 21:28:37 | Weblog
梅雨なのにあまり雨の降らない今日この頃であるが、今日は久しぶりに京王線に乗って多摩センターまで出かけてた。18歳の頃駒場東大にあるある企業の研修センター(決して東大の中にあるわけでなく、ただ駅が一緒なだけ)に通っていたことがあり、井の頭線&京王本線を頻繁に使っていた頃の記憶がよみがえる、なんと24年前、京王線は古い車両も大事に使うらしく、塗装も昔のままの車両をちらほら見かける。多摩センターは今も空き地がちらほらであるば、昔よりは随分空き地が埋まっているなあと感じた。一番驚いたのは、東大和 立川 多摩センターと延びるモノレールが威風堂々としていたこと。ただどうなんだろう。どうせ第三セクターでの経営だろうから、お役所仕事で赤字を垂れ流しているんでないのか人の財布ながら気になる。多摩センターにあるマンション等等も随分値崩れして最近は若い人は都心近辺のマンションが人気で多少広くても、多摩ニュータウンの物件は不人気で、小学校等も統廃合等を余儀なくされることもあるとか、右肩上がりの成長を前提として作られた街の前途はなかなか多難のようである。帰りの井の頭線の車窓から見かけた紫陽花をパチリ!歴史のある電車は、列車と街の距離が近く、こういった楽しみもある。雨に濡れた紫陽花に癒された一瞬であった。。Have a nice weekend!

京都出張

2005-06-29 02:23:45 | Weblog
名古屋まではよく出張で行くんですが、ちと足を伸ばして京都まで出張に行ってきました。京都は昨年自分の弟が結婚式をやったのでそれ以来一年ぶり、ちょっと雨が降ってて、雨の京都もなかなか風情がありました。ところが慣れないことはあまりするものでないとよく言いますが、烏丸通御池の客先に行ったところ、あなたが行きたい部署はここでなく、亀岡ですと言われてそこからまた山陰線に乗って亀岡まで、車窓から太秦や嵐山いわゆる京都嵯峨野の雰囲気をちとエンジョイしました。そしてついた亀岡は写真の感じ。。。駅舎もかなり年季が入ってて、なにかタイムスリップした気分になりました。これからの季節川下りorラフテリングとかもできるそうで、次は是非プライベートでと思った出張でした。

小佐野賢治

2005-06-28 16:11:48 | Weblog
はーげんの好きな作家の一人に清水一行がある、もう一人の好きな女流作家山崎豊子とともに、実存のor実存した人物 話題を元に書かれているため文章に入り込みやすい。写真の小佐野賢治氏をネタいした長編経済小説は以前も読んだことがあったのだが、また何年かぶりに手にしてみた。ところで、はーげん旅の途中をを読んでいただいているあなたは、小佐野賢治をご存知ですか?もしご存知なかったらこのURLを参照してください。なんでこんなことを言うかというと、先日若い連中と話していたら、3人が3人とも小佐野賢治 児玉誉夫 横井英樹 とか知ってるよね?のはーげんの問いに、誰も答えられなかったのである。ちとショックであった。多くの方はご存知のように、小佐野賢治は、戦後のドサクサ時代を激しき生き抜き、ハワイホノルルの多くのホテルを所有し、ハワイのホテル王とも評された立志伝中の人であるということは、わざわざ、はーげんの口から語ることでもない。何がびっくりしたかというと、知り合いのアメリカ時代にS社米国工場の元資材部長をしていたS田さんという日系人の資材部長がおり、今年4月に来日時に食事をし、彼のおじいちゃんの話をしてくれた。その彼のおじいちゃんは戦後、虎ノ門&霞ヶ関でアメ車(フォード GM等)のディーラーをしており。相当の成功者であったらしい。その証拠に1970代の 横浜 程が谷カントリークラブのメンバーズブックにも、日本を代表する、たとえばトヨタの社長とかの横にその彼のおじいちゃんもしかと載っかっていた。会社の名前がエンパイヤー自動車&ニューエンパイヤー自動車と会社名だったと、当時の写真を添えて、熱の入った説明をしてくれわけである、それから2ヶ月後、あらためて写真の清水一行の本をよんでびっくりした、その彼のおじいちゃんが社長だったニューエンパイヤー自動車は小佐野賢治によって買収されていたのである。しかももうひとつびっくりしたことがその後に出てくる、今は日本航空の大株主といういと糸山英太郎さんが有名であるが、ホテル事業拡大には航空事業とのつながが不可欠と広がりを求めていた、小佐野賢治は、日本航空の株の買収も進め、ほどなくして大株主になっていた。そこで当時の会長であったM尾さんという人と頻繁に会っているのである。ところがこのM尾さんの孫が営業の人間として米国赴任しており、前述のS田さんと同じ職場の仲間だったのである。世の中は狭い!と一人で小説を読み進みながら感動して早速S田さんにメールを送ったはーげんであった。

PS, ちなみに国際興業は多くの優良資産を抱えながらも、状況はかなり厳しくゴールドマンサックス等外資の支援を必要しているとも聞く、盛者必衰この原則だけはさすがの小佐野賢治さんも超えることはできなかったようである。

姓名判断

2005-06-17 05:23:33 | Weblog
面白いサイトを見つけた。一瞬で姓名判断ができるって奴。
ちなみにはーげんの名前を入れてみるとこんな感じ。ウーシーさん是非試してみてください。また貴方の運のよさをこここから感じることができるかも?
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http://www.naming.jp/

はーげんさんの の姓名判断
 
 ○● ○●
   総運36○ 面倒見良く、損をしてでも人に尽くす。個性を生かす職業が○。結婚運○。
 人運15◎ 早くから社会で成功。華やかで魅力的。抜群の活動力を持つ
 外運21◎ 社会で活躍するリーダー運。物質的不自由はないが、家庭を疎かにしがち。
 伏運38◎ 他の運数が悪いと事故にあう兆しがあります。
 地運23◎ 活気、隆盛、成功運。
 天運13○ 頭脳に恵まれる。家族を大事にする家柄。
 陰陽 ◎ 理想的な配列です

2005-06-13 09:54:07 | Weblog
土曜日の夕刻、出かけていた息子とかみさんがが帰ってくるなり。。。「虹が綺麗だよ!」との声に
おもわずシャッターを切る。。。。写真で写りきれないほど、大きなアーチをかけた虹に季候とはうらはらに
すがすがしさを覚えた土曜の午後であった。

祝W杯出場

2005-06-08 22:40:05 | Weblog
午後6時30分、恵比寿から湘南新宿ラインに飛び乗るも、いつも以上に電車が混んでいた。やはり皆なサッカー観戦だったのだろうか?電車の中で弟から今日は2対0で勝つ!の予想メールを受信。家に帰ると飯はとんかつ(勝つ)「願かけてるの?」の問いに、「たまたまだよ!」とつれない返事の息子の返事。とにかく勝ってよかった。

日本がフランスワールドカップ出場を決めたのは、12年前1993年のドーハの悲劇の際は、メキシコとの国境の町San Diegoの夕陽を見ながら、アメリカワールドカップ出場ならずの悲報を告げる新聞を握り締めていた。8年前1997年11月16日ジャカルタにいた、あと何回この感動を感じることができるのだろうか?ありがとう。柳沢、ありがとう、大黒。コンフェデは無理しなくていい。とにかくゆっくり休んでください。