(自分の結婚を犠牲にして、天命に一生を捧げた人もいる)
津田塾大学を創立された津田梅子さんは、「男女が愛し合うことも人生勉強の一つではあるけれども、それよりも大事なものがあり、本業が成らないなら、一生独身でも構わないというぐらいの気持ちでなければならない。相方ができることで、この世に引っ張られるぐらいなら、それを捨てるというぐらいの気持ちも要る」というお考えの方であったと聞いています。
そこで、「情欲ではなく、大事なものを選び取る。それ以外を捨てる」ということに関して、どのように考えればよいのでしょうか。
「天命がいかほどのものか」ということは、各人、持って生まれたものもあるので、難しいと思います。津田梅子さんは、明治の初めに、最年少(満6歳)でアメリカに留学されて、日本に帰ってきて、津田塾大学を創立された方ですので、その時代に、女性として事業家でもあり、教育者として教育事業を立ち上げようというような方が、自分の結婚を犠牲にしてその事業に一生を捧(ささ)げられたというのは、理解ができることではあります。
その時代の価値観、明治ぐらいの価値観であれば、それは、結婚して家庭を持ちながら片手間でできるような仕事ではなかったのではないかと思いますし、今でも、そのくらいの難しさはやっぱりあるのではないでしょうか。今でも、大学を立ち上げるぐらいの仕事となりましたら、そう簡単ではないので、よほど理解をしてくださるパートナーが出てきた場合は違うかもしれませんが、まあ、たいていの場合は難しいこともあったと思います。
今は男女平等の流れのなかに入ってきていますから、チャンスは増えておりますが、それ以前の時代においては、女性の多くは、そうとうな自己犠牲を伴(ともな)わなければ、立派な男性がやるような仕事をできなかった時代が長かったことは事実ですね。
ただ、今、男女平等になったがゆえに、今度は、男性も女性も同じような成功を求める傾向が出てきていて、その意味で、結婚したり、家庭を営(いとな)んだり、それを続けたりすることが困難になってきたり、また、子供のところが邪魔(じゃま)になってきたりするようなことも、増えているかなというふうに思っています。
---owari---
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