(どのような人にも、釣り合う相手は出てくるもの)
不思議なことに、この世の中には、「まさかこういう人には、もう釣り合う人はいないのでは」と思うような人にも、それなりに釣り合う人が出てくるものです。不思議なことです。
アインシュタイン的な天才が出てきたら、「それに釣り合う女性なんかいないだろう。話ができないし」と思うかもしれませんが、それでも、やはり、アインシュタインの話し相手になれるような女性は出てくるのです。「シェイクスピアみたいな人間通の方だったら、とてもじゃないけど、お相手できる女性はいない」と思っても、それなりの人は出てくるものです。
「優秀すぎて相手が出てこない」とか、「美人すぎて相手が出てこない」とか、「裕福すぎて相手が出てこない」とか、いろんな言い方はあろうかと思いますが、そういう極端に突出した条件があるために相手を選びにくいということはあるかと思いますが、まあ、不思議なもので、そういう人にも一人や二人は、ちゃんと釣り合うような相手が必ず出てくるものなのです。だから、そのへんは信じたらよいかと思います。
ただ、その人に重い使命があって、どうしてもそこに辿(たど)り着いてもらわなければならないようなことがあったら、その結婚がそんなに早くできないということはあるかもしれません。
まあ、価値観の問題ですので、「何を大事とするか」というようなことだと思います。
それから、そうした天才的な方もいらっしゃるとは思いますが、たいていの方は、そういうふうな天才的な人間かなと思いつつも、社会人になってみると、意外にそれほどではなくて、まあ、「よくいる普通のサラリーマンの群れのなかに、十分、埋没されるレベルの人間である」ということを、自分自身、気づくことのほうが多いと思います。
そういうことに気づいたときが、そろそろ、この世的な判断に合わせて身を固めたりするべきときかなと思います。
若いうちは、「何か大きいことをやってやろう」と思って、野心を持ってやっていても、いずれ行き詰まることはあろうかと思います。そのときに、やはり、自分自身をちゃんと知ることです。「自分自身を知ることが、相手を知ることにもなる」と思います。どういう人なら自分を支えられるか。自分と組み合わさってうまくいくか。それを決めることができるというふうに思います。
とりあえず、「『自分自身がどういう人であるか』ということが固まってこないと、釣り合う相手は決まらない」ということは言えるのではないかと思います。
ですから、「取っ替え引っ替え、相手を探しているうちは、まだまだ結婚なんかできやしない」ということは、ほぼ確実なことだと思います。
---owari---
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