(学問によって「別の人間」になれる)
ただ、それは十八歳や十九歳のころの選別にすぎないので、人生のやり直しはまだいくらでもききます。人生の途中から発奮して、違う道に入ることは、もちろん可能です。
例えば、高校時代は英語が苦手だったため、英語関係以外の仕事に就いた人が、その後、「やはり外国に行って仕事をしてみたい」と思うようになり、一念発起して、三十歳、四十歳から英語の勉強を始めたとしても、成功のチャンスはあります。
それが学問の力なのです。学問をした人と、しなかった人との違いは、はっきりと出てきます。
福沢諭吉も、百数十年前に『学問のすゝめ』という本を書き、当時のベストセラーになりました。この本で彼が述べていることは一つです。「人間は平等であって、生まれによって貴賎はない。ただ、人間の違いは何かといえば、学問をしたかどうかなのだ」と、はっきり言い切っています。
「学問をすれば、別の人間になれるのだ」ということです。「学問をすれば、それに見合った職業に就くことができ、別の人間になれるのだ。人間の違いは学問の差なのだ」ということを説いて、彼は当時の明治の人々励ましたわけです。
この福沢諭吉の言葉は、ある意味で、現在でも生きていると思います。
彼は、学問のなかでも「実学」を学ぶよう、人々にずいぶん勧めました。実学というのは、実用の学問、実際にこの世で使える学問のことです。
外国語は、もちろん実学ですし、それ以外にも、法律学、経済学、商学部系の学問、工学部系の、建物を建てたり橋を架けたりする建築学なども、すべて実学です。
福沢諭吉は、そういうプラクティカル(実用的)な学問の勧めをしましたが、これは、とても大事な啓蒙活動であったと思います。
---owari---
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