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成功者と失敗者を分ける根本的な違いとは ⑤(このシリーズは終わりです)

2024年07月08日 | 人生
(他人ではなく、自分のなかに「未来」を発見せよ)
この世には、「偏差値の高い学校を出た人は偉く、低い学校を出た人は偉くない」「ある職業は偉く、ある職業は偉くない」という、ものの見方が行き渡っていると思いますが、みなさんは、どうか、そういう目で世の中を見ないように努力してください。人には、それぞれ優れたところがあります。どの人からも学びを得ることができます。

作家の吉川英治は、「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」という言葉を座右の銘にしていたようです。小説のなかでも、宮本武蔵に、「天地の万物も、天下の人々も、みな、わが師である」という意味のことを語らせています。この、「自分以外は、みな先生である」という見方は、ある意味で正しいのです。

学校のテストで言えば自分よりも低い点数を取る人でも、自分の間違ったところを指摘したり、自分の長所をほめてくれたり、自分を導くような言葉を言ってくれたりする人がいるわけです。

「社会の底辺を這(は)っている」と思われるような人のなかにも、寸鉄人(すんてつひと)を刺すような言葉を語る人がいます。世の中の道行くさまざまな人々のなかに、さまざまな学びがあるのです。

みなさんが社会に出るにあたって、上司、先輩、友人など、さまざまな人との出会いがあるでしょうが、さまざまな人のなかに学びがあります。

したがって、好き嫌いだけで人を見るようになってはいけません。「すべての人のなかに長所がある」「すべての人の長所から学んでいこう」と考えることが大事です。

そして、「この人は嫌だ」「こういう人にはなりたくない。この短所は嫌だ。この欠点は嫌だ」と感じるのならば、自分は、そういう人間にはならなければよいのです。その人の短所や欠点を見て、それが嫌ならば、「そのようにはなるまい」と思って、自分はそうならないようにすることが大事です。

しかし、私が何十年か社会生活を送ってきた経験では、「『あの人は嫌だ』『あの人のようにはなりたくない』と言っている人は、嫌っていた人が人事異動などでいなくなると、嫌っていた人と同じようなことをし始める」ということが何度もありました。

例えば、自分がいじめられた人は、他の人をいじめるようになります。いじめられたとしても、「自分は人をほめよう」と思えばよいのに、どうしても、自分が嫌っていた人と同じことをしてしまうのです。

なぜ、こうしたことが起きるのかというと、相手の嫌なところがよく見える場合、実際には、相手は自分とよく似ている人であることが多いからです。自分とよく似ている面があるからこそ、その人の嫌な部分が非常によく見えてくるのです。自分と似ていなければ、本当はその人の短所は分かりません。ある意味で、自分と似ているからこそ、その人の短所がよく見えるのです。

そのため、「あの人のようにはなりたくない」と言っている人が、嫌いだった人と同じようになることがあります。

---owari---
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