今日は週に一度の、そう、リハビリ通勤の日だった。リカンベントのマシン
にまたがりながら、私は窓の外の、広い空き地の方向に目をやった。セイタ
カアワダチソウ。毎秋、私に花粉症の悪さを仕掛けるこの外来植物が、今
いったいどんな具合なのか、それを確かめたかったからである。
きのうのことだが、私が毎日のように読ませてもらっているブログで、セイ
タカアワダチソウが盛りを迎えていることを知った。それにしては咳や目の
痒みなど、花粉症の症状が出ないのは、どうしてなのだろう。あの毒々しい
ほど鮮やかな黄色も、今年は見かけた記憶がない。もしかすると、私が居住
する地域では、この外来植物はまだ盛りを迎えていないのかもしれない。
そう思いながら、目をやった空き地には、たしかに毎年咲き誇るあの毒々し
い黄色の花は見当たらなかった。ただ、盛りの手前というより、盛りを過ぎ
てしまったようにも見える。くすんで色あせた焦げ茶色の花々が、ススキの
群落の足元にあるかないか、といった風情で、今まさにフェード・アウトし
つつある様子なのである。この外来植物、最近は背丈も低くなり、繁殖力が
衰えてきているらしい、と件(くだん)のブロガーさんは書いていた。その
文章を思い起こしながら、「なるほど、こういうことなのか」と、合点がいっ
た。「がん細胞が消えるのも、こんなふうにしてなのだろうな」。そう思い
ながら、「自分の脳出血の後遺症も、こんなふうにして消えてくれればいい
のに」と、はかない希望をいだいた。けれども、そうは問屋が卸さないこと
は、私自身がよく知っている。
「お勤め」をこなして、リハビリ施設から帰宅し、今はパソコンの画面に向
かいながら、キーボードを叩いている。目がしょぼしょぼして何やらむず痒
く、喉の奥も妙にいがらっぽい。ーーあ、とうとう来たな、と私は身構えた。
私にはすぐに分かったのだ。症状は軽いけれど、これこそまさにセイダカア
ワダチソウの仕業だと。腐れ縁は、いかんともし難い。
にまたがりながら、私は窓の外の、広い空き地の方向に目をやった。セイタ
カアワダチソウ。毎秋、私に花粉症の悪さを仕掛けるこの外来植物が、今
いったいどんな具合なのか、それを確かめたかったからである。
きのうのことだが、私が毎日のように読ませてもらっているブログで、セイ
タカアワダチソウが盛りを迎えていることを知った。それにしては咳や目の
痒みなど、花粉症の症状が出ないのは、どうしてなのだろう。あの毒々しい
ほど鮮やかな黄色も、今年は見かけた記憶がない。もしかすると、私が居住
する地域では、この外来植物はまだ盛りを迎えていないのかもしれない。
そう思いながら、目をやった空き地には、たしかに毎年咲き誇るあの毒々し
い黄色の花は見当たらなかった。ただ、盛りの手前というより、盛りを過ぎ
てしまったようにも見える。くすんで色あせた焦げ茶色の花々が、ススキの
群落の足元にあるかないか、といった風情で、今まさにフェード・アウトし
つつある様子なのである。この外来植物、最近は背丈も低くなり、繁殖力が
衰えてきているらしい、と件(くだん)のブロガーさんは書いていた。その
文章を思い起こしながら、「なるほど、こういうことなのか」と、合点がいっ
た。「がん細胞が消えるのも、こんなふうにしてなのだろうな」。そう思い
ながら、「自分の脳出血の後遺症も、こんなふうにして消えてくれればいい
のに」と、はかない希望をいだいた。けれども、そうは問屋が卸さないこと
は、私自身がよく知っている。
「お勤め」をこなして、リハビリ施設から帰宅し、今はパソコンの画面に向
かいながら、キーボードを叩いている。目がしょぼしょぼして何やらむず痒
く、喉の奥も妙にいがらっぽい。ーーあ、とうとう来たな、と私は身構えた。
私にはすぐに分かったのだ。症状は軽いけれど、これこそまさにセイダカア
ワダチソウの仕業だと。腐れ縁は、いかんともし難い。