ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ある秋の記憶

2017-11-13 18:09:05 | 日記
今日は週に一度の、そう、リハビリ通勤の日だった。リカンベントのマシン
にまたがりながら、私は窓の外の、広い空き地の方向に目をやった。セイタ
カアワダチソウ。毎秋、私に花粉症の悪さを仕掛けるこの外来植物が、今
いったいどんな具合なのか、それを確かめたかったからである。

きのうのことだが、私が毎日のように読ませてもらっているブログで、セイ
タカアワダチソウが盛りを迎えていることを知った。それにしては咳や目の
痒みなど、花粉症の症状が出ないのは、どうしてなのだろう。あの毒々しい
ほど鮮やかな黄色も、今年は見かけた記憶がない。もしかすると、私が居住
する地域では、この外来植物はまだ盛りを迎えていないのかもしれない。

そう思いながら、目をやった空き地には、たしかに毎年咲き誇るあの毒々し
い黄色の花は見当たらなかった。ただ、盛りの手前というより、盛りを過ぎ
てしまったようにも見える。くすんで色あせた焦げ茶色の花々が、ススキの
群落の足元にあるかないか、といった風情で、今まさにフェード・アウトし
つつある様子なのである。この外来植物、最近は背丈も低くなり、繁殖力が
衰えてきているらしい、と件(くだん)のブロガーさんは書いていた。その
文章を思い起こしながら、「なるほど、こういうことなのか」と、合点がいっ
た。「がん細胞が消えるのも、こんなふうにしてなのだろうな」。そう思い
ながら、「自分の脳出血の後遺症も、こんなふうにして消えてくれればいい
のに」と、はかない希望をいだいた。けれども、そうは問屋が卸さないこと
は、私自身がよく知っている。

「お勤め」をこなして、リハビリ施設から帰宅し、今はパソコンの画面に向
かいながら、キーボードを叩いている。目がしょぼしょぼして何やらむず痒
く、喉の奥も妙にいがらっぽい。ーーあ、とうとう来たな、と私は身構えた。
私にはすぐに分かったのだ。症状は軽いけれど、これこそまさにセイダカア
ワダチソウの仕業だと。腐れ縁は、いかんともし難い。
コメント
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