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インド亜大陸旅行記(中部、北部、南部)北部詳細編②

2017-08-23 10:04:14 | 海外旅行

 インド北部シッキム王国とダージリン、世界第3位の高峰カンチェンジュンガを見る旅(  20101113ー20)② 

11月15日。4,45分のモーニングコールで叩き起こされ、5時40分の日の出前までにヒマラヤが展望出来る「タシ・ビューポイント」へ。前夜の小雨のせいか生憎どんよりとした曇り空。今回の旅の第一の目的である、世界第3位の高峰(8.586m)のカンチェンジュンガの峰は見えそうで見えない雲の中。

未だ早朝、見えそうで見えないカンチェンジュンガ

タシ・ビューポイントの一角 

このシッキム州は大台ケ原に匹敵する年間降雨量だとかで、この湿潤な空気と急峻な斜面と亜熱帯でも冷涼な気候が世界的な「紅茶」の産地として適していると言われているとか。出発まで坂ばかりの街を一回りして見たが、住宅も低地に比べ立派、登校する学童も皆制服姿で、一般的なインドの印象とは少し違う。チベット、ネパールとブータンに挟まれた飛び地みたいな地形なので、当然ながらネパール系、ブータン系、チベット系などがインド系より優勢な地域だと思った。 

小荷物の運搬は殆ど人力に頼っているし、道行く人も殆どが徒歩。それでも最近のインド経済の発展を反映してか、結構な車社会で新車も多い。ただ道路整備が殆ど追いついていないので一旦坂道で渋滞するとどうしようもない状態。意外だったのはバイクや自転車が少ない事。

急峻な地形の上に住宅がびっしり

ゴミ収集車が道一杯に

坂道ばかりで通学も大変 

信号も殆ど無いのでお巡りさんの手信号と呼子の響きでノロノロ動く。しかし後述の山間部の狭隘な悪路でもフォーンを頻繁に鳴らし、左右のミラーも閉じたままで行う、急カーブでの離合の技術はマサに神業。車も頑丈なバンバーに守られたTATA社のものが多かった。 

まずかつてのシッキム王国の首都ガントク市内をざっと観光。小さい街なのでエンチェ寺院、チベット学研究所等を見てオワリ。一路カンチェンジュンガが一番まじかに見られると言う西シッキムのぺリンへ移動。と言っても直線道路や高速道路がある訳でもなく、一つの峰から急カーブのジグザグ道路をひたすら川辺まで下り、橋を渡って又次の峰へと言う繰り返しが続く。そんな急斜面でもあちこちで棚田が展開し米作も盛んでした。この道路は急峻な崖を削ったもので勿論ガードレールはない。所々にコンクリートや自然石の縁石があるのみ。一歩誤れば谷底へ真っ逆さまと言う代物。

ガントク・チベット学研究所

ガントク・エンチェ寺院 

高所に棚田が散見される

シッキムで最大級の寺院ルクテク寺院

立派なルクテク寺院付属研究所

途中小さな町でバザールを見たり、給油休憩したり、昼食をとったり、揺れに揺れる車で一体何時間移動したのだろう。途中シッキム州で最大と言う「ルムテク寺院」を訪問。夕刻小高い峰の頂上に一戸だけ建つ、かってのシッキム王の別荘だった、部屋の窓からもカンチェンジュンガ峰が見えると言う、まるで奇跡の館のようなペリンのホテル・ELGIN,MOUNT,PANDINへ無事到着。夕食のシッキム料理は今一つ口に合わなかったが素晴らしいホテルで明朝のカンチェンジュンガ展望に期待がいや増す。ここには流石に日本人はおろかインド人や中国、韓国人もいなかった。

途中給油した小さい町

一時休止した川沿いの小綺麗な街

そんな街の床屋さん

川を渡り次の峰を越えるの繰り返し

一気に急峻な山道を駆け上がり見下ろす川床

 

 

 

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