90歳をとうに越えている方の年賀状に、
達筆な筆の字で、
「今年かぎりで年頭の御挨拶を
欠礼させていただきます」と書かれていた。
年齢からしたら納得できます。
それに比べて、
年賀状を欠礼するというのを、
働き盛りの年齢の方からいただくと、
敗戦後すぐに生まれた私の感覚からすると、
「それは少し早くないですか」と思ってしまう。
人と人との繋がりの中に人生はある。
過去に一度しか会っていなくても、
年賀状の往還があるのは、それなりの思い出を共有するからであり、
全然、何も無い結びつきでは年賀状の往還はありえない。
働き盛りの世代は、
仕事において人間関係は良くも悪くも重要である。
そんな事は百も承知だと言われるかもしれない。
仕事に結びつかない人間関係は、
益にならない煩わしいと考えていれば、
年賀状の欠礼の挨拶になるのだろうか。
爺さんの繰り言ですが、
最も大事な人間関係の裏には、
累々と積み上げられた忘れられた人たちの交わりがあり、
かつては濃く今は縁か薄くなった人たちによって、
現在の大事な人間関係が支えられているのだと思う。
縁が無くなったと思われる忘れられてしまった人間関係は、
絵のキャンバスでいえば、
下塗りのようなものです。
何層にも下塗りがあるからこそ、
仕上がりの作品が生きていくようなものです。
下塗りをおろそかにしていると、
作品は薄べっらで内容も乏しくなる。
ですから繰り返しますが、
働き盛りの世代の人たちは億劫がらずに年賀状を書いたほうが良いです。
人生は思い出の集積ですからね。
今の時代はメールだよと言われるかもしれない。
それはそれとして、
数十年経ってから、
それらが大事な下塗りと意識できますように!
メインサイト『すずきゆきおの世界』
達筆な筆の字で、
「今年かぎりで年頭の御挨拶を
欠礼させていただきます」と書かれていた。
年齢からしたら納得できます。
それに比べて、
年賀状を欠礼するというのを、
働き盛りの年齢の方からいただくと、
敗戦後すぐに生まれた私の感覚からすると、
「それは少し早くないですか」と思ってしまう。
人と人との繋がりの中に人生はある。
過去に一度しか会っていなくても、
年賀状の往還があるのは、それなりの思い出を共有するからであり、
全然、何も無い結びつきでは年賀状の往還はありえない。
働き盛りの世代は、
仕事において人間関係は良くも悪くも重要である。
そんな事は百も承知だと言われるかもしれない。
仕事に結びつかない人間関係は、
益にならない煩わしいと考えていれば、
年賀状の欠礼の挨拶になるのだろうか。
爺さんの繰り言ですが、
最も大事な人間関係の裏には、
累々と積み上げられた忘れられた人たちの交わりがあり、
かつては濃く今は縁か薄くなった人たちによって、
現在の大事な人間関係が支えられているのだと思う。
縁が無くなったと思われる忘れられてしまった人間関係は、
絵のキャンバスでいえば、
下塗りのようなものです。
何層にも下塗りがあるからこそ、
仕上がりの作品が生きていくようなものです。
下塗りをおろそかにしていると、
作品は薄べっらで内容も乏しくなる。
ですから繰り返しますが、
働き盛りの世代の人たちは億劫がらずに年賀状を書いたほうが良いです。
人生は思い出の集積ですからね。
今の時代はメールだよと言われるかもしれない。
それはそれとして、
数十年経ってから、
それらが大事な下塗りと意識できますように!
メインサイト『すずきゆきおの世界』