光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

用意周到、そしてプラス思考なのは実は!?

2007-09-30 | 絵画
今日の横浜は肌寒くて冷たい雨が降っている。
仙台の個展出品作も全てサインが入り、
当初の予定通りお彼岸明けには仕上がったわけです。

しかし後、一枚、どれを出すか候補の二枚を交互に見てまだ
決めかねているが、二枚とも仕上げってはいるが迷っている。

最後の決め手は手持ちの額縁にどちらの絵が合うかによって
決めるかも知れない。

額縁に絵を入れる作業を朝からしているが、
まとめて一遍にしないで随時、しているからそんなに大変ではないが、
一人より二人での作業が楽なので妻が休みの時にしている。

午後、妻は琉球舞踊の練習に出かけていったので、
額縁入れは午前で終了。

額縁と絵柄を合わせていくのが楽しいと同時に大変さがある。
作品が仕上げに向っていくにつれ額縁を注文していく。
すぐに絵を額に入れるのではないから、
額縁の品名と絵の題名を書いて一覧表にして
分かるようにして仕舞っておくのです。

一覧表から作品リストを作成して
数日後にはデパートの美術担当者にFAXするのです。
その他、いろいろな準備の手順も着々と進んでいる。

画家にしては!それも B 型なのに何て段取りが良いのだろうかと
思われるでしょうね。

かつて公募の展覧会の代表もしていたり、
展覧会の運営事務局長の経験があるので
フリーになった今、その時の経験が個展に生きている。

それにしても用意周到過ぎる傾向がある私です。

妻から言われるまでもなく、
「極端な心配性に不安症」は病的なくらいと自分でも思うのです。
あらゆる事を想定して準備を進めているのは
「極端な心配性に不安症」だからです。
そのマイナスのような性格が転じての用意周到なのです。

妻と額縁入れをしている時に私に
「あなた!凄いのね。 そんなに心配したりしていて疲れない?」
とか、「心配に不安に潰れない精神は並ではない!」とか褒められたのか
呆れているのか (笑)

「絵を描く才能とセットになっているから良いのよね」
何だか励まされているような ?では無いような妻の言い分。(笑)

絵を制作している時の私は、一転して世事に疎いそうですから
自分でも、とても不可解です。

私のプラス思考の人生観も芸術観も、そして宗教観も
心の奥にあったネガティブなものを長年月かけてひっくり返した
その結果です。

沖縄の昔の船でサバ二( くり船 )という小船がありますが
7メートルぐらいのボートのようなものですが遠洋まで行けるそうです。
荒波を受けて、ひっくり返っても直ぐに元に戻るから
沈むことがなく遠洋航海が可能だと聞いたことがあります。

私の「極端な心配性に不安症」または「心の奥にあったネガティブ」さは
サバニの船底であるとも言える。
波でひっくり返ると船底が出て、すぐにまた元にひっくり返して
航行できる。決して沈没しないわけです。

元に戻って航行できる状態がポジティブなプラス思考。

サバニが元に戻ったようですとの比喩で
今、文章がポジティブになったところで
今日はこの辺で失礼とします。

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他者への通路を持たない人が増えている

2007-09-29 | 日常
首都圏に住んでいるのに電車等の公共交通機関を
月に数回しか使わないですから、
私は隠遁生活に近い制作の日々です。

毎日、電車に乗っていれば気がつかないで当たり前の事として
知らずに容認していたりする、そんな事が多いと思うのですが。

私は、たまに電車に乗るから車内の様子の変化に
すぐに気がつくのだと思う。

その中の一つとして、
車内で化粧をする女性のことを以前に書きましたが、
あの時は、マナーの欠如のみで捉えていました。

しかし、マナーの問題だけではないと思うようになりました。

今朝、若い女性が鏡を取り出して化粧をするのではなく、
しげしげと顔をいろんな角度から見ているのですが、
それも、かなり長い時間をかけて延々と。

そうか! と分かったのです。
彼女達、電車の中で化粧をするのは自分の世界に
とっぷりとつかっているからです。

他者への通路を持たないのですね。
通路が塞がっているのです。
自閉症なんですよアレは! と思いました。

ごく親しい友達とか家族には心が繋がる通路を持っているから
私達、他者への通路は持っていると反論するかも知れない。

しかし、それは仲間内への通路であって視野も狭い。
仲間ではない他者への配慮、気配りを持たないのですね。

自閉症なのだと思うと気の毒な彼女達と思えてきました。

私はテレビはほとんど観なくなっているのは、
タレント達の仲間うちだけに通じるやたらとウルサイ
ギャグで笑いを強制するバラエティ番組が多いからです。
擬似仲間を演出している番組に視聴者が
乗せられているだけです。

他者への通路を持たないし、
意図しない番組が多いと思うのは
私の偏見でしょうか?

私達は本来、
番組に出ているタレントの友達でも仲間ではありません。
芸人は本来の芸を見せて楽しませてくださいと思っています。

つまり、このような番組が多くなっているのと
歩調を合わせるかのように
自閉症的の人たちが増えていると感じています。

もっと困ったことに政治家達も与野党を問わずに
他者への通路が塞がっていると思われる人が多いので、
これは電車で化粧するどころではない、
怖い話しです。

社会が健全であるのは、他者への通路が開かれて
始めて心と心が通路によって繋がっているからです。

自閉症的な社会は御免蒙るです。

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それは一瞬の輝きだったのか!?

2007-09-28 | 日常
今日は季節外れの暑い日でした。
30度を超えていると思うが、日ざしも、
そして雲も夏とは違ってきている。

サルスベリの木の花も盛りを過ぎているし、
五月蝿かった蝉の声も聞こえてこない。
蝉の大合唱で鳥の声が、かき消されていたのかどうか、
ここのところ小鳥のさえずりを耳にするようになっているし、
トンボも飛んでいるので秋の風情になっている。

ここ数日前から、ムクドリの大群や、
オナガをよく見かける。

最近、すごく気になる枯れ木があるのです。
仏殿の脇に地面から 70 センチぐらい突き出た木片ともいえる
取るに足らない枯れ木なのですが、
夕暮れに向う時間帯、斜めに射してきた光が
上、10 センチあたりの所を明るく黄金色に染めるのです。

すると荘厳な音色が鳴り出すかのような趣きは
ドイツロマン派のフリードリヒの絵のようです。

しかし、その光景は数分にも満たないで消えていきました。

翌日、同じような時間帯に、
その枯れ木を見ましたが実に平凡で大したことがない。
それからいつも通りすがりに見るが
虫食いの多い、どうってことない単なる木片が地面に立っているにすぎない。

あの一瞬の輝きは、この枯れ木に
ただ一度だけ訪れた輝きだったのかも知れない。
もしかして私の目の錯覚で、
あの日の、あの時刻にこの世の次元を超えて
幻想を垣間見たのでしょうか。
夏から秋への橋渡しをしただけの
一瞬の輝きだつたのでしょうか?

今日が暑いといっても夏のとは質の違う暑さですから、
彼岸明けと共に秋そのものになっていますね。

これから秋には、澄んだ空に浮かぶ雲を見る楽しみがありますが、
ドイツロマン派のエアハルトの水彩画のようだと感慨深くなります。

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9月29日の記念日!

2007-09-27 | 日常
タイトルが、9月29日の記念日と書いてあるので、もしかして
結婚記念日かと勘違いをするかも知れないですが、実は違うのです。

9月29日は「招き猫の日」だそうです。
日本記念日協会に正式認定の「招き猫の日」です。

これは、テレビを見ていた妻の情報ですが、29日より 2日も早い今朝の
NHKテレビで「招き猫の日」だとやっていたそうです。

9(くる)、29(ふく)
福が来る!という語呂合わせですね。

写真は我が家の「招き猫」で、応接間に鎮座!?しているのが、
かれこれ、10数年以上になる。
個展の大入りと、成功祈願の縁起物として置いているのです。
我が家のは左手を上げているので人を招くです。

右手を上げている「招き猫」はお金を招く金運ですよね。

両手を上げているのもあるらしくて、単なるバンザイかと思ったら(笑)
違うようです。
千客万来も、金運も両方を招くという、
かなり欲張ったものが
両手を上げている「招き猫」があるそうです。

我が家に「招き猫」があるのは
個展会期中に来場者が多く来るのか、何枚売れるのかも
始まるまで不確定ですから、どうしても縁起を担いでしまう。

招き猫だけではなく、靴は必ず左足から履くとかをコダワッテいるし、
個展開催地の地酒を口にするとかの縁起を担いでいる。

「ゲンを担ぐのを楽しんでいる!」と妻から言われるのは、
その地域毎の地酒を指しているようです。(苦笑)
でも、どの地酒にも口が合うわけではないですから
大変なんですよ。(笑)

その他、9月29日は「クリーニングの日」でもあるそうです。

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桜の幹に潜む色。

2007-09-25 | 絵画
樹木を観察すると、
それぞれの木は種類によって葉っぱが
違っているから木の肌の色あいも違っているのが分かる。

樹木の詳しい人は幹を見れば葉の状態も名前も分かるように、
逆に葉だけを見ても幹も名前も分かるのだと思う。

幹の肌合いの質感と色あいに応じた葉っぱがある。
よくよく観察すれば樹木は多様なのに絵の初心者は、
どの幹も茶色系にしてしまう傾向がある。

私は桜の幹を、じーと観察すると、
幹の奥のほうに薄い桜の色が透けて見えるような気がしていた。
それは、春に桜が咲く少し前のことです。
生物の素人考えで、花の色が幹に潜んでいなければ
桜は薄いピンクの色あいで咲かないはずだと、
ずっと、そのように感じていたのです。

それもあながち見当違いのことでは無いと近頃知ったのです。

詩人の大岡信さんの文章に、
染色家の話しがのっていて、黒っぽい桜の幹の皮から
美しいピンクの色がとれるということが書いてある。
桜の花びらではなくて、桜の皮から、
それも桜の花が咲く直前の頃でなければならないそうです。

私が想像していたのは、
正確には想像ではなく、じっーと透視するように観察していると
幹の中に花の色が潜んでいると感じていたのです。

画家と作品の関係も、
幹と花のようなものに譬えられると思う。
画家の人生観、芸術観、そして生来の人柄が幹として、
そこから生まれてくる作品は花になると思う。

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