光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

絵物語作家の山川惣治

2008-04-29 | 絵画
今日、東京の弥生美術館で開催されている
『山川惣治展(生誕100年)』を観に行きました。

山川惣治の絵物語「少年ケニヤ」が昭和26年から昭和30年まで
産業経済新聞(今の産経新聞)に連載されていた。

私の 5 歳から 9 歳のころで
胸をときめかして「少年ケニヤ」を楽しんでいました。
絵と文章で構成されたもので、山川惣治は絵と文の両方を手がけている。
絵物語という形式は、漫画とも違うし、
小説にただ挿絵をつけた形式とも違っている。
後の劇画は絵物語の影響を受けているといわれている。

まだテレビが一般に普及していない頃で、
そして戦後の混乱期でもあるので、子供には、たいした娯楽も無かったので、
少年ケニヤを飽きることなく夢中になったものです。

新聞の連載は一日分として 4 コマでした。
4 コマの絵とは別に同じ分量の 4 コマの文章が書かれている
絵物語の形式です。

始めのころは親に読んでもらって、私は絵だけを見ていたと思う。
冒険の物語をもっと楽しみたいので
「少年ケニヤ」の絵を毎日、紙に真似て描いていた。

さらにローセキで道に描いて遊んでいた。
「坊や、絵が上手だね!」と、通りすがりの大人たちに褒められて、
ますます絵を描くのに夢中になったものです。

昭和 28 年の初頭に我が家は
世田谷区から大田区に越すことになり、
その頃は子供だからこそ最も辛く感じた、
我が家の多難の時代でした。

「少年ケニヤ」の劇中で主人公のワタルが悩み、
あるいは窮地に落ちている時、
「日本人だから、しっかりしなさい!」と
離れ離れになっているワタルの父の言葉だか、
ワタル自身の独白だったか忘れましたが、
勇気を与える言葉がたえず出てきた。
山川惣治は物語の中でたえず鼓舞するのです。

一つ一つの言葉というよりも
物語の筋書き全体から、鼓舞されたり勇気をもらったのかも知れない。

すると幼い私自身は、「正しく強くあらねばならない」と思ったものです。

山川惣治展が開かれると知ったとき、
幼いときに勇気をもらった絵物語の原画を是非、観たいと思い、
そして今日、4 月 2 9 日、
妻と行きました。
久しぶりに触れる山川惣治の世界は感慨深いものがありました。
学年で 6 年下の妻には少年ケニヤに特別の思いは
たぶん無いはずだが、でも私と一緒に楽しんでいたようでしたが?

私と同年齢ぐらいのオジサンたちが、そして連れてこられた妻と思われる
夫婦達が大半の観客でした。私達の年齢の夫婦は
夫が主で妻が従うという図式が、かろうじて残っている
最後の世代かも知れない。

入場者はあまり多くなく、鑑賞しやすかった。
昭和の 2 0 年から 3 0 年にかけて一世を風靡した
山川惣治にしては寂しい観客数でした。
写真の本を展覧会の記念に買い求めました。
その本の「はじめに」から文章の一部、次に引用します。

『「少年王者」や『少年ケニヤ』で知られる山川惣治は昭和
20年から30年代を中心に活躍した絵物語作家です。
密林のなかで孤児となった日本の少年が、仲間に助けられて、ともに闘いながら
強くたくましく成長し、ついには王者となって森の動物たちの平和を護るという
山川作品に典型的なストーリー。
最も弱かった者が、苦難を乗り越えながら最強の王者になっていくという
展開は、敗戦後の疲弊した日本人に希望を与え、
立ち直る勇気をもたらしました。
(中略)
冒険、愛、勇気に満ちた山川の世界をご覧になり、
敗戦の荒廃からみごとに立ち直った日本人のヴァイタリティーを、
もう一度思い出していただけたらと思います。』

以上、「はじめに」からでした。
個人美術館の弥生美術館は敷地は大きくないその一角に
レストランというか喫茶店があり、
そこで昼食をとる。
展覧会中の限定メニューを注文。
「愛と冒険の少年ケニヤライス」というのをです。(笑)

今日は、4 月 2 9 日の昭和の日に相応しく
「少年ケニヤ」を満喫したオフの一日でした。

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時代の姿かも知れない!

2008-04-28 | 日常
私達の生きている時代で、誰もが正しいと信じている価値観が
後の時代から振り返ると、唖然とすることも中には有ると思う。

たとえば科学的に正しいということを、
やみくもに信じた価値観が、もろくも次の時代に崩れるかも知れない。

今の時代、私達が正しいと信じているものが、
反論の余地が残されていないと思われるものでも、
本当に信じるに足るものであるかを検証する事は必要なのに違いない。

今、かつての時代を振り返って見て、
あんな馬鹿げたことを信じていたと糾弾するのは容易いが
その前に、現に今の私達が生きている時代の価値観が
本当に正しいかどうかを、
マスコミの論調に振り回されることなく
考える必要があると、近頃、いつとなく強く思う。

写真は、気の毒な木です。
このような形でしか木を残せないのは開発する業者に
思いやりがないです。

こんなに木の周りを固めなくても良いのに!

もしかして、環境に配慮したと強弁するかも知れない。
『自然と人との協調』なんて言っているのかも知れない。

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三年先に取りかかる?

2008-04-25 | 絵画
月二回、K さんを私宅で教えている。
個人レッスンです。
K さんは若い時、中学校で美術を教えていたこともある
元教師ですが、定年退職後に絵を描くのを再開したいという
若い時の夢実現のため、私の所に通っている。

彼女は黙々と真面目に絵に取り組んでいる。

先日、「今度の個展はどんなテーマ、イメージなのですか?」と訊かれた。
「今までの延長線上のものに新しく付加したもの!」と答えてから、
「たぶん、三年先ぐらいには、違ったイメージが生まれる予感がするし、
微かに見え出しているが、しかし、それまでに今のものを
描ききらなければならない。
有り難いことに、三年先までイメージが有る」

「先生、私達の年齢は明日が有るか無いか分かりませんから、
三年先と言わずに新しいイメージに取り掛かったほうが
良くありませんか!」

K さんは私より一つ上の63歳です。
昨年、10月に亡くなった私の義姉の同級生で親しい友人でした。
同年齢の友人の死を間近に見てのことだから、
「三年先なんて言わずに直ぐに着手して下さい!」
と、私に言うその気持は分かる。

先のばしはいけないのは、もっとものことではある。
しかし、小説ならば、
今、書いているものを書き終えてから
次の小説を書き出すと思うのです。
絵も同じようなところがある。
いきなり頂上には行けないし、いくつも峠を越えていくようなものです。

写真は我が家のツツジです。
青いのはマロンの犬小屋です。

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作品の撮影

2008-04-23 | 絵画
個展に使用するDM用の作品の撮影のため
銀座に行きました。

昨年、ギャラリー銀座の I さんに紹介していただいた
スタジオです。
写真の仕上がりが良くないと困るので、
腕の確かな所で、作品の撮影はお願いすれば安心ですから、
ここのスタジオは任せれば安心です。

50 号の作品を電車で運ぶことになったのです。
無理をすれば私一人でも大丈夫ではあるが、
小さいバックを持ってもらうために、
そして、電車の乗り降りに大きな荷物は一人よりも二人のが、
楽でもあり安全なので、妻に同行してもらう。

都心の混雑した大きな道路を車で行くほど
妻は運転に自信がないし、
私は、今時、珍しい運転免許無しの天然記念物ですから、
電車と歩きの人力作戦となる。

決して環境に優しい心での人力作戦では無くて、
この場合は仕方なしです。

とは言っても 100 号の大きさだと車なしでは運搬出来ないし
個展の時は、35 枚から 50 枚を額縁付で運ぶのには
車無しでは不可能で業者さんにお願いする。

私の作品を撮影し終えた時に、
もうすでに次の作品が撮影のため
持ち込まれていた。

その作品の梱包を解くさいに
「岡本太郎」の文字が見えたので、
作品を見せて頂いたのです。

梱包が解かれて撮影するまでの、ほんの短い時間でしたが
「岡本太郎」の作品を身近に拝見できたのは幸運だった。

作品を持って来た人と名刺交換をしたら
N 画廊とある。

私は 20歳前後の頃、岡本太郎の芸術論や
文化人類学に基づく沖縄文化論には影響されたものです。
勿論、絵画、そして立体作品もです。

1968年頃、発行部数 450 部限定のサイン入りの
「岡本太郎画集」を買った。
当時、壱万円の豪華な本でした。
今の物価だと、どのくらいになるのだろうか?
若い私は無理してかなり高額の買い物をしたのです。

たぶん、1967 年もしくは 1968 年の発行だっと思うが、
歩いて 30 分のところにある妻の仕事場、塾の教室に
この画集が他の大判の画集とともに置いているので、
今、正確に発行年を確認出来ない。

最も多感な青春時代に影響を受けた芸術家の一人である
岡本太郎の作品と、ほぼ同時刻に
私の作品がスタジオにあったということに
少なからず興奮をしている。

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山が歩く?

2008-04-20 | 日常
新緑が始まると季節が、
時間が走っていると感じる。
この時期になると
毎年のことですが、
道元さんの『正法眼蔵の山水経』にある言葉を、いつも思う。

『自己の運歩なきにはあらず、自己の運歩いまだ知らざるなり、明らめざるなり。
自己の運歩を知らんがごとき、まさに青山の運歩をも知るべきなり。』

山は不動で歩くはずがないのに、道元さんは山が歩くと言う。
山が歩くことを知らなければ、人間が歩くことも分からないと言う。

常識で考えたら不可解な言葉です。
不可解ゆえに謎を突きつけられて今だに解けないし、
禅語は科学的な思考では決して解けない永遠の命題。
宗教的な悟りでしか難解な禅の言葉をモノにすることは出来ないのでしょう。

先日、散歩の時に隣りの奥さんと立ち話をした時、
「新緑が始まると私は正法眼蔵の、山が歩くという言葉を
ここ数年、いつも思うのですよ」
「すずきさんは、画家さんですから視覚的に捉えていらしゃるのですね!
時間は無常のような速さで通り過ぎます。」と高校の教師をしている
奥さんは言う。
確かに私は視覚的に現象を捉えていて、
そこを手がかりにして思考を少しでも深めようとしている。

新緑の始まる季節に慌しく感じるのは、
色彩の変化も、それは視覚的にも景色が移り過ぎていくし、
気温の変化も拍車をかけている。

季節が走っていくと感じるのは、
樹木の新緑そして紅葉していく一年の時間のサイクルと
人との時間のサイクルが違うから、
その時間のズレから季節が走っていると感じるのだと思う。

つまり視覚的にも山河が走っていると、変化ゆえに感じるのであろうか?

勿論、道元さんは視覚的という皮相な現象を超えた
悟りの境地で、山が歩くと言うのでしょうが。

もし人の寿命が一年だとすると、
新緑の樹木を見ても決して季節が走っていると受けとめないはずです。
時間のサイクルが同じになると変化も感じなくなるのだと思う。

数日前に、
娘達が幼かった頃の写真を妻と娘と見る機会があったのですが、
娘達が幼いのは分かるとしても
私達、夫婦のそのころの顔が若いのに私も妻も驚いたものです。

可笑しいことに、あの若い頃と今もさして変わっていないと
妻も私も錯覚しているのですから。

33年間、夫婦で顔を見続けてきたという、
つまり夫婦で共に同じ道のりを歩いていたのですから、
時間のサイクルが同じだから、
さしてお互いの容貌の変化をあまり感じないで来ているという、
大いなる錯覚です。

私は、あの頃と同じく少し長髪でも、
めっきり白髪が増えているという事実も、
いつも見ている妻からすると日々の変化は緩慢だから、
大きな変化は無いと思うそれは、夫婦お互いさまです。

昨年の個展に高校の同級生の一人が来場したが、
卒業以来、会っていないので変貌ぶりに驚いたものです。
ひと言で言うと、「お前、老けたなあ!」ですが、
言葉には出しませんが正直そう思いました。
彼からしても、たぶん同じ感慨だと思う。

毎年、会っている友人は緩慢に変化していく容貌を
見ている訳ですからお互いに昔から、あまり変わっていないと思っている。

人生の、時間のサイクルを同じにしていると
変化になかなか気づかないものです。

私達、夫婦もその例にもれずに
33年間も、そんなに容貌が老けていないという
大きな錯覚に大きな誤解を知らず知らずにしているのです。

つまり同じ時間のサイクルを人生を歩んでいたからです。

だからなのか妻が走っていると感じないのは!

ジョギングではありませんよ。(笑)

しかし、若い時の妻はもっと従順だったような気がしているが、
これも錯覚なのかどうかは、
分からないし妻に確かめないほうが無難かも知れない。(笑)

『正法眼蔵の山水経』から
どんどん話しが脱線をしていく一方なので、
山が歩くは、このへんでお終いとしておきます。

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