今日、東京の弥生美術館で開催されている
『山川惣治展(生誕100年)』を観に行きました。
山川惣治の絵物語「少年ケニヤ」が昭和26年から昭和30年まで
産業経済新聞(今の産経新聞)に連載されていた。
私の 5 歳から 9 歳のころで
胸をときめかして「少年ケニヤ」を楽しんでいました。
絵と文章で構成されたもので、山川惣治は絵と文の両方を手がけている。
絵物語という形式は、漫画とも違うし、
小説にただ挿絵をつけた形式とも違っている。
後の劇画は絵物語の影響を受けているといわれている。
まだテレビが一般に普及していない頃で、
そして戦後の混乱期でもあるので、子供には、たいした娯楽も無かったので、
少年ケニヤを飽きることなく夢中になったものです。
新聞の連載は一日分として 4 コマでした。
4 コマの絵とは別に同じ分量の 4 コマの文章が書かれている
絵物語の形式です。
始めのころは親に読んでもらって、私は絵だけを見ていたと思う。
冒険の物語をもっと楽しみたいので
「少年ケニヤ」の絵を毎日、紙に真似て描いていた。
さらにローセキで道に描いて遊んでいた。
「坊や、絵が上手だね!」と、通りすがりの大人たちに褒められて、
ますます絵を描くのに夢中になったものです。
昭和 28 年の初頭に我が家は
世田谷区から大田区に越すことになり、
その頃は子供だからこそ最も辛く感じた、
我が家の多難の時代でした。
「少年ケニヤ」の劇中で主人公のワタルが悩み、
あるいは窮地に落ちている時、
「日本人だから、しっかりしなさい!」と
離れ離れになっているワタルの父の言葉だか、
ワタル自身の独白だったか忘れましたが、
勇気を与える言葉がたえず出てきた。
山川惣治は物語の中でたえず鼓舞するのです。
一つ一つの言葉というよりも
物語の筋書き全体から、鼓舞されたり勇気をもらったのかも知れない。
すると幼い私自身は、「正しく強くあらねばならない」と思ったものです。
山川惣治展が開かれると知ったとき、
幼いときに勇気をもらった絵物語の原画を是非、観たいと思い、
そして今日、4 月 2 9 日、
妻と行きました。
久しぶりに触れる山川惣治の世界は感慨深いものがありました。
学年で 6 年下の妻には少年ケニヤに特別の思いは
たぶん無いはずだが、でも私と一緒に楽しんでいたようでしたが?
私と同年齢ぐらいのオジサンたちが、そして連れてこられた妻と思われる
夫婦達が大半の観客でした。私達の年齢の夫婦は
夫が主で妻が従うという図式が、かろうじて残っている
最後の世代かも知れない。
入場者はあまり多くなく、鑑賞しやすかった。
昭和の 2 0 年から 3 0 年にかけて一世を風靡した
山川惣治にしては寂しい観客数でした。
写真の本を展覧会の記念に買い求めました。
その本の「はじめに」から文章の一部、次に引用します。
『「少年王者」や『少年ケニヤ』で知られる山川惣治は昭和
20年から30年代を中心に活躍した絵物語作家です。
密林のなかで孤児となった日本の少年が、仲間に助けられて、ともに闘いながら
強くたくましく成長し、ついには王者となって森の動物たちの平和を護るという
山川作品に典型的なストーリー。
最も弱かった者が、苦難を乗り越えながら最強の王者になっていくという
展開は、敗戦後の疲弊した日本人に希望を与え、
立ち直る勇気をもたらしました。
(中略)
冒険、愛、勇気に満ちた山川の世界をご覧になり、
敗戦の荒廃からみごとに立ち直った日本人のヴァイタリティーを、
もう一度思い出していただけたらと思います。』
以上、「はじめに」からでした。
個人美術館の弥生美術館は敷地は大きくないその一角に
レストランというか喫茶店があり、
そこで昼食をとる。
展覧会中の限定メニューを注文。
「愛と冒険の少年ケニヤライス」というのをです。(笑)
今日は、4 月 2 9 日の昭和の日に相応しく
「少年ケニヤ」を満喫したオフの一日でした。
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『山川惣治展(生誕100年)』を観に行きました。
山川惣治の絵物語「少年ケニヤ」が昭和26年から昭和30年まで
産業経済新聞(今の産経新聞)に連載されていた。
私の 5 歳から 9 歳のころで
胸をときめかして「少年ケニヤ」を楽しんでいました。
絵と文章で構成されたもので、山川惣治は絵と文の両方を手がけている。
絵物語という形式は、漫画とも違うし、
小説にただ挿絵をつけた形式とも違っている。
後の劇画は絵物語の影響を受けているといわれている。
まだテレビが一般に普及していない頃で、
そして戦後の混乱期でもあるので、子供には、たいした娯楽も無かったので、
少年ケニヤを飽きることなく夢中になったものです。
新聞の連載は一日分として 4 コマでした。
4 コマの絵とは別に同じ分量の 4 コマの文章が書かれている
絵物語の形式です。
始めのころは親に読んでもらって、私は絵だけを見ていたと思う。
冒険の物語をもっと楽しみたいので
「少年ケニヤ」の絵を毎日、紙に真似て描いていた。
さらにローセキで道に描いて遊んでいた。
「坊や、絵が上手だね!」と、通りすがりの大人たちに褒められて、
ますます絵を描くのに夢中になったものです。
昭和 28 年の初頭に我が家は
世田谷区から大田区に越すことになり、
その頃は子供だからこそ最も辛く感じた、
我が家の多難の時代でした。
「少年ケニヤ」の劇中で主人公のワタルが悩み、
あるいは窮地に落ちている時、
「日本人だから、しっかりしなさい!」と
離れ離れになっているワタルの父の言葉だか、
ワタル自身の独白だったか忘れましたが、
勇気を与える言葉がたえず出てきた。
山川惣治は物語の中でたえず鼓舞するのです。
一つ一つの言葉というよりも
物語の筋書き全体から、鼓舞されたり勇気をもらったのかも知れない。
すると幼い私自身は、「正しく強くあらねばならない」と思ったものです。
山川惣治展が開かれると知ったとき、
幼いときに勇気をもらった絵物語の原画を是非、観たいと思い、
そして今日、4 月 2 9 日、
妻と行きました。
久しぶりに触れる山川惣治の世界は感慨深いものがありました。
学年で 6 年下の妻には少年ケニヤに特別の思いは
たぶん無いはずだが、でも私と一緒に楽しんでいたようでしたが?
私と同年齢ぐらいのオジサンたちが、そして連れてこられた妻と思われる
夫婦達が大半の観客でした。私達の年齢の夫婦は
夫が主で妻が従うという図式が、かろうじて残っている
最後の世代かも知れない。
入場者はあまり多くなく、鑑賞しやすかった。
昭和の 2 0 年から 3 0 年にかけて一世を風靡した
山川惣治にしては寂しい観客数でした。
写真の本を展覧会の記念に買い求めました。
その本の「はじめに」から文章の一部、次に引用します。
『「少年王者」や『少年ケニヤ』で知られる山川惣治は昭和
20年から30年代を中心に活躍した絵物語作家です。
密林のなかで孤児となった日本の少年が、仲間に助けられて、ともに闘いながら
強くたくましく成長し、ついには王者となって森の動物たちの平和を護るという
山川作品に典型的なストーリー。
最も弱かった者が、苦難を乗り越えながら最強の王者になっていくという
展開は、敗戦後の疲弊した日本人に希望を与え、
立ち直る勇気をもたらしました。
(中略)
冒険、愛、勇気に満ちた山川の世界をご覧になり、
敗戦の荒廃からみごとに立ち直った日本人のヴァイタリティーを、
もう一度思い出していただけたらと思います。』
以上、「はじめに」からでした。
個人美術館の弥生美術館は敷地は大きくないその一角に
レストランというか喫茶店があり、
そこで昼食をとる。
展覧会中の限定メニューを注文。
「愛と冒険の少年ケニヤライス」というのをです。(笑)
今日は、4 月 2 9 日の昭和の日に相応しく
「少年ケニヤ」を満喫したオフの一日でした。
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