光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

普段の顔、よそいきの顔

2005-11-30 | 精神世界、道徳
先日、重要な用件の待ち合わせ場所に
約束の時間に間に合うだろうかと、かなり気が急いて
いた時、  あっそうだ気持ちを落ち着かせなければと
一呼吸をおこうと到着駅の、お手洗いにいき
手を洗う時に何気なく鏡を見たら、眉を深刻そうに皺を寄せた
暗い顔の私が鏡に写っている。
これは、遺憾と思ぃ驚きましたね。いろいろと考え事をしていたにしても、こんな顔つきで今日、歩いていたわけですから。
こんな雰囲気では相手の方に悪いと思い、
誰も見ていないのを確認してから
頬を緩めて、ニッコリと作り笑いをして「これでよし大丈夫」と
待ち合わせ場所に行きました。
よそいきの顔にしたわけですね。
 
私達は一日に少なくても一回は鏡に向かいますよね。
そのとき無意識に結構、よそいきの顔つきをしていると思う。
女性は自分が一番美しく見える角度で鏡を見たりしてる?
一番よそいきの顔を自分と思っているわけですよね。
鏡の前から離れた瞬間、  
いきなり普段着の顔になる。その時々の心の模様の顔になるので
正直に顔の表情は人柄を反映していることになる。              

普段の自分の顔を誰も知らないわけですよね、   
他人から見た自分の顔を。
知らぬが花 (笑い )ですかね。
 まさか顔の前に鏡をぶらさげているわけにはいかないし、
歩くのに邪魔だし (笑)
顔がいつも魅力的であるということは
心がけ次第ということですね。

何々らしさということ

2005-11-29 | 絵画
今年は例年より
紅葉が遅いような気もするし、そうでもなく例年通りの
ようでもあるし いつもの年より秋らしさが少ない?
そういえば、何々らしいという固定観念を私といわず誰もが
多くの事柄に持っていますね。
男らしいとか女らしいとか、政治家らしいとか、あるいは
何々らしくないとか? 結構、頭の中で何々らしいとか
何々らしくないとか。
先入観、固定観念で人々を社会を自然を、その他諸々の事を
見ているような気がします。
 
 六年前、滋賀県のG寺の本堂に百号の
お地蔵様の絵を収めた時ですが、初地蔵の一月二四日にお地蔵様の
絵を檀家さん等にお披露目をするので
妻と共に参列しましたが、  檀家の一人の方が私を見て
さかんに以外でしたと言うのです。この地蔵様を描いた画家の
イメージを横山大観のような、髭をたくわえたハカマ姿を
勝手にイメージしていたと言うのです。
私はその人の仏像を描く画家らしさを、見事に裏切ったのですが。
 
 いつもの私の絵画世界では、作者は女性かと思ったと言われることもある。
私はごくごく普通の、おじさんの容貌ですね。たぶんそうです。ですから
やはり何々らしさを見事に裏切っています。

画家は歌手のように作品の前に生身の姿を必ずしも出すわけでは
ないですから、いろいろと想像されて面白いですよ。
何々らしいとか何々らしくないとか。








それぞれの見え方

2005-11-28 | 
我が家には犬が二匹いる。
散歩の時ふと、思うときがありますが
犬は紅葉をどのように見てるのだろうか?
散歩のコースの風景も
私達、人間とは かなり違った見え方を
  しているに違いない。
同じように花には目がない?が
それに代わるセンサーがあつて風景を
察知しているかも知れない。  なんて
考えたりしますが
私は益にもならない、たあいもない事を思うことが多い。
  人間でも男女によって、年齢によって
同じ風景を見ても、かなり見え方が違うはずです。
それぞれの多様性があるから
味わい深いといえますね。

一日一善というほどではないが

2005-11-27 | 日常
  私はどこに行っても、
 道を聞かれることが多い。
人に親切にしたいと思っていても、
 さすがに地元でないから
 教えることは出来ませんね。

12,3年前に展覧会で韓国に行った時ですが
何回も道を尋ねられたのには驚きました。
そのつど「イールボンです、日本人です」と
   答えたものですが、
 通じたかどうかは? 疑問ですが。
 
 同じようにグループの集合写真のシヤッターを
  押して下さいと頼まれることも多い。  
 写真の場合は積極的に、シヤッターを押しましようかと
  私の方から声を掛けます。
  喜んでもらえますから嬉しいですよ。
 
  恋人どおしは本当に喜びますね
  感謝されますね。 
   
  中高年の夫婦は、ちょつと照れたりする
   のが可笑しい。
  一日一善というほどではないが
 良いことをしたという気持ちには
  なりますね。