The letter from YOKOHAMA

Yokohamaは未来に開けた街で、新らしいものを歓迎する進取の精神が生きている、そして、ここにしかないものがある

新聞改革プロジェクト 2

2017-08-11 05:59:54 | Weblog
 
 終戦の日を知らない若者が10数パーセントになるという、学校で習わなかったらしい、さらに、かなりのヒトが、第二次大戦前の日本は、良くない社会だったと思っているようだ。

 左翼的マスコミは、繰り返し繰り返し「どうしようもなく封建的な社会」と報道した、そうであろうか、青春を日本で過ごした台湾の老人が、
 「山の手には 山の手の品の良さが 下町には下町の人情があった」

 戦後、日本に来るのが難しい期間があった、彼は、
 「もう一度 皇居が見たい 皇居の松の緑が見たい」
 そして、
 「白雪を頂(いただ)く 美しい富士山が見てみたい」

 彼の願いはかなえられなかった。彼の息子さんが位牌(いはい)を抱いて来日し、二重橋を訪れ、そして12月の富士山を見せてやったという。

 もうひとつ、台湾の若者が、Americaに留学するか日本の大学にするか、彼の父君は、
 「ニッポンのトーキョーの神田には 多くの古書店があり ここで世界の貴重な文献を手に入れることができる」
 「ニッポンにしなさい 神田に行けば古代中国の資料がある 人類の宝がある ニッポンにしなさい」

 そんな目で見てくれている人がいる、あの国とはなんという違いだろう、だが、この国の大学の実情を知っている者には、とても、こうは言えないのだが・・・