10000年の縄文時代は、紀元前4~5世紀の水田稲作システムの到来によって終焉を迎える、このシステムは、圧倒的に多数の人々を養うことができた、その上に天皇の支配構造が乗る、なんと巧みなプロセスであったか。これによって、
「質よりも量」
「個人よりも集団と共同体」
「ユニークよりもマス文化」
そして、天皇側の頭脳集団は、巧妙で狡猾な方法で、水田稲作グループをコントロールしていく、
「あのユニークで誇らしい縄文の炎は どこに行ったのだろうか」
水田稲作の村落共同体は、役所や企業に引き継がら、この国の発展に結びついたが、それは、停滞の原因でもあった、
「これは ユニークを嫌う」
せっかく、ここまで来たが、5Gの対策ができていない、
「総務省という村落が それを嫌ったからではあるまいか」
いや、いつでもそうだ、
「彼らは 利権がなければ動かない」
どうだったのか。
「総務省という役所が ユニークで尖鋭な意見やソフトを封じ込めているからではあるまいか」
明治維新のアイマイサと不徹底に通じるコトかもしれない。