青森の牧師さんは、日本人と呼ばれる人間集団の特殊性に目を向ける、信仰は、もちろん大切だが、意識の深部の探求も大切ではあるまいか、
「それから ニッポンの風俗や歴史を勉強しているのです」
地方で、「ボスの地位」に胡坐(あぐら)をかき、利権ばかりに熱心な既成仏教教団の僧侶たちは、これから、どうするのだろう。
ちょっと信じられないのだが、坐禅の会に、お金を取る寺があるらしい、來るところまで来たか、
木喰(もくじき)を尊い人と 訪ねくる
訪ぬる人は なおも尊き
江戸時代の布教造像僧・木喰を慕って多くの人々が参集したが、当の木喰は「私よりも あなたがたのその純真な気持ちこそが もっと尊いのですよ」、「悟中に迷あり」が木喰上人の心境なら、「迷中に悟あり」が名もなき多くの庶民のこころだった、いつの時代でもそうだ、現在の状況は、思っていた以上にお粗末だった。
だから、どんな立場であっても、現実に直面し、なんとか乗り越えようとしている人々の方がいい、好感が持てる、最後の手紙は、
「これから ブリザードの吹き荒れる長い冬になります」
「先日の楽しいお話しを 繰り返し繰り返し 思い出しております」
ああ、「人生 別離足る」か。