晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

水と初々しい緑に包まれて川苔山

2019年07月25日 | 

この山の清流で川海苔が多くとれたことから名付けられたという川苔山。台風の影響で梅雨明けが遅れているものの陽が射し込む林道を歩き始める。バスに乗車した3人の登山者のうち川乗橋バス停を降りたのは2人。平日、はっきりしない空模様のせいもあるのだろう。蒸し暑さにびっしりと汗をかいて登山道入り口に。雑木林の沢沿いの道は眼下に滝や渓流を望む高度感ある狭い道。以前に滑落事故もあり、注意しながら進む。何度か渡り返す木橋のひとつは撮影ポイント。今日は渡る人影を写せないが水流と初々しい緑の清涼感がいい。沢をからみながら登って行くと二つ目のポイント、百尋ノ滝。連日の雨で水量多く、離れていても飛沫が降りかかってくる。マイナスイオンをたっぷり浴びて先へ。この後は一部岩稜もある急登、今日一番の苦しい登りだ。山腹をまいて一度下り、沢を渡って登りきると足毛岩の肩に出る。ここから急な尾根を2度、喘ぎながら登って川苔山の山頂に。広がってきたガスで雲取山はじめ奥多摩、富士山など、期待していた眺望は残念。長い下山路は、最初の急下降の後は緩やかに植林の山腹を下り続ける。最後の大根ノ山の神からの残り道、石ころ多く歩きにくい。疲労感をさらに増して駐車場に。梅雨空で足が遠のいていたが久しぶりに初夏の山道を楽しんだ。ただ歩数計の表示は32,000歩、8時間のロングタイムは、やはり疲れた。7月25日(木)/(鳩ノ巣駅近くの町営無料駐車場利用/鳩ノ巣駅06:45―<160円>-06:51奥多摩駅/07:04=<260円>=07:17川乗橋)川乗橋バス停424m 07:20~(林道)~08:05細倉橋08:15~(写真40分)~09:40百尋ノ滝962m 10:05~11:20足毛岩の肩11:30~12:05川苔山1363m<昼>12:35~川苔山東の肩12:45~舟井戸12:55~(写真20分)~14:45大根ノ山の神14:50~15:20鳩ノ巣駐車場

     

 

   

     

 

   

 

 


畑も山も梅雨明けを待っている

2019年07月23日 | 市民農園

長い梅雨空に一部の野菜価格は高騰している。比較的好調だった我が市民農園の野菜も、ここ最近は同様の傾向にある。ナスは実が大きくならないうちに枝が弱ってきた。キュウリも曲がったものや長く伸びても太くならない。そうしているうちに早々と葉が枯れてきた。第3陣のキュウリは日光不足のせいか成長が遅い。元気なのは区画の端に土留めを兼ねて植えているニラ。天候に関わらず雑草のように切り取っても直ぐに生えてくる。ただ毎日、ニラ料理というわけにもいかない。これからの期待は第2陣、第3陣のズッキーニ、サニーレタスそして黄色の花が咲き始めたオクラ。梅雨明けを待っているのは山だけではない。そろそろ畑にもお日様がほしい。

   

 

   

 

    


梅雨空でも元気、鴻巣夏まつり

2019年07月16日 | ひな人形と花のまち

テレビで報じられる京都の祇園祭や博多祇園山笠。ここ最近の天候で忘れかけていたが、そんな時季なのだ。有名な祭りとは比べ物にならないが地元・鴻巣でも夏祭り。雨が降ったりやんだりのあいにくの天気。それでも中山道を約3km、歩行者天国に12基の勇壮な御輿が練り歩く。長引く梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばすかのような担ぎ手の元気な掛け声。神輿が高く躍る。流れてくるお囃子の軽快なリズムに誘われて賑わいの中に。ひととき、百余年続くという祭りを楽しんだ。

    

   


梅雨ひと休み、さきたま緑道

2019年07月13日 | ひな人形と花のまち

久しぶりに薄日が届いた「さきたま緑道」。いつもの散策道も今日は洗顔したあとのように清々しく映る。雨を十分に吸い込んで生気みなぎる樹々、いつのまにか若葉は茂る青葉に。周囲の花々もこの時季を楽しんでいるかのように彩りを添える。最近の梅雨寒に慣れた身体は、やや高めの気温に戸惑い気味。でも、まだ花咲く紫陽花にも元気をもらい気持ちよく汗をかいた。

   

 

   

 

 

 


梅雨寒でも元気な野菜

2019年07月10日 | 市民農園

陽の射さない梅雨寒の日々が続いている。人間であれば生産活動も減退するところだが、畑の野菜たちはさすが。第2陣のズッキーニが早くも大きくなってきた。キュウリも同様。これらは水分を多く体内に取り込んで身を大きくするからか。葉が枯れ始めたキュウリ、それを見越して第3陣を育て始めた。もう一列の植穴には今、庭のポットで育てている分を移植する。サニーレタスとオクラはまだ幼いものの格好を付けてきた。海の日には間に合わない今年の梅雨明け。山も写真撮りもお預け。こうなったら雨を楽しもう。

   

 

   

 


”読解の舟”に揺られ「『平家物語』を読む」

2019年07月08日 | 読書

昨年から続く文学講座の第四期が終わった。今期の中心的人物、木曽義仲は伝承ではあるが県内嵐山町に「産湯清水」の石碑があり、育ったのが馴染みの信州の山あい。ということで、これまでにない親近感を持って受講した。決起した義仲、信濃の国から越中の倶利伽羅峠、加賀の篠原での合戦に勝利し、比叡山・延暦寺を味方に京に入る。そこは永らく後白河法皇が権勢を保持してきた宮廷文化の中心地。物語における義仲は、生活の作法はじめ兵士たちの食糧確保、法皇対策など無知、無能であったと否定的に描かれる。前回において川上講師は<義仲には後白河対決の戦略がなかった。兵士による略奪もその一つ>と、世論を敵に回したことのミスとともに戦略上の問題点を多く指摘する。平家を都から追い出す圧倒的な軍事力を持ちながら<清盛から学んでいない。ブレーンがいない。後白河の権威に弱い。国家構想がない。猜疑心がない。権力機構への洞察が不十分>など緻密な戦略に欠けていたと。そして今回のまとめで、強固な<律令国家体制の基盤>に立脚した後白河体制、義仲の敗北、頼朝の戦略、と三者をめぐる全体像を解説した。義仲を翻弄した後白河、その画策と身のこなしを見事とみるべきか。だが、悲運の若き武将の肩を持ちたい。以仁王に報いるべく遺児を擁して立ち上がった義仲。その純粋さと直情的な行動は時代を超えて眩しく映る。ともかく時代背景を深堀りし、登場人物の内なる言葉に耳を澄ませ、物語の世界を進む“読解の舟”はひとまず櫓を休める。9月から始まる第五期で義仲ともう一度会える。しかし、それは泣かせる「木曽最期」の場面だ。あの芭蕉も末路を偲んで詠んだ「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」と。

 

   

          

 

 


熊谷の夏に、熱い思いー時効迫るひき逃げ犯の情報を!

2019年07月05日 | 雑記

しばらく太陽に会えない日が続いている。曇天と雨の日が多い今年の梅雨だが、それももう少し。隣り街の熊谷にもうすぐ暑い夏がやってくる。涼しさを感じてもらおうと熊谷駅の北口・南口には今年も階段アートが出現。そんな時季、特に今年の夏を特別な思いで過ごしている人を知った。それは、この地で10年前に起きた”ひき逃げ事件”で我が子を失った母親その人。癒えることの無い悲しみに加えて、息子をひいた犯人が捕まっていないという残酷な状況が続いてきた。そして夏が終わりとなる9月30日にその時効を迎える。この事件の情報を集めようと母が開設したブログには、チラシ配り・署名活動や真相究明のための事故の再現など、これまでの奔走が綴られている。「いきなり引っ越しした」「車を突然に廃車」「車を突然に買い換えた」「何年も車を放置している」など、 犯人逮捕に繋がる少しの手がかりでも、との必死の訴え。時効が日一日と迫る中、多くの人の目に、耳に届けられ、母の願いが叶えられることを切に祈りたい。

 

   

 

        

 


参院選を前に『戦後が若かった頃に思いを馳せよう』

2019年07月03日 | 読書

副題にある憲法・沖縄・アジア・戦後補償・靖国などの重たいテーマに信念を持って取り組んできた弁護士。それらについて歴史をひもとき、左右の論説もまじえて熱く語る。最初に紹介されるいくつかの映画や書評としての著者のつぶやきは、ほんの導入部。徐々に本質に入り込み、持論をストレートに展開する。全体を通して言えるのは現政権の行状に対する厳しい眼差し。それは著者自身が撮影した本書の表・裏の写真に凝縮されているように思える。裏の写真は島原半島の原城址。いわゆる島原の乱で立てこもったところ。キリシタン蜂起と言われるが、中には仏教徒もおり、圧政にあえぐ農漁民たちの決起でもあった。ここを訪れ、圧倒的な<「大日本」と戦った>人々への思いは、同時に<沖縄辺野古で、日・米「二つの大国」と>闘っている人々のことを想う。そして<集団的自衛権行使容認・安保法制の強行採決という憲法破壊の安倍政権>と闘っている人々のことをも。もう一枚の表紙写真は奥秩父の金峰山・五丈岩。文中の「戦後が若かった頃に思いを馳せよう」の中で紹介している<「声を挙げて叫びたいほどの解放感」があったという>(今の憲法・原案を初めて見た政府の憲法問題調査委員会関係者の述懐)。あの大岩に立つ青年たちの歓声が青空に響いているようで、本のタイトルに重なって思わず納得。さらに、この章の註釈で3点を指摘している。<アジアの民衆に対する加害責任、「平和憲法」が沖縄の切り捨ての上にあった、戦没者遺族に寄り添ってこなかった>と。著者の思いが深く詰め込められたこの本、氏の知人という方から3ヵ月前に頂いた。言葉を噛みしめているうちに、こんなに時間がかかってしまった。間もなく参院選。本書で指摘されていることをはじめ、忘れてはいない森友・加計問題など積年の“思い”を持って迎える。