晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

さきたま緑道、行きつ戻りつ移ろいの季

2014年11月28日 | ひな人形と花のまち

久しぶりに歩く、さきたま緑道。腰を痛めたり、畑作業だったり、都合の良い日は雨だっりと遠ざかっていた。その間に季節は着実に進み、足元は落ち葉を敷き詰めた道に。もともと松や紅葉しない木も多い約4.5キロのこの道、ところどころの木々を赤や黄色で染めている。秋の終りから冬にかけて咲くサザンカが花びらを散らし、行きつ戻りつしながら移ろいの風景が続く。

数少ない赤もみじ 

緑の葉も応援 

ベンチが最後の舞台 

サザンカの花道 


京都からの便りは紅葉とともに

2014年11月27日 | 雑記

ここ数日、朝のNHKテレビで見頃を迎えた京都・奈良方面の紅葉を映し出している。そんな折、久しぶりに京都のS氏から写真とともに便りが来た。彼は元同僚、転職して遠く関西のIT関連の会社に勤めている。若いころに胃を切除しており、単身赴任の生活環境に心配していたが仕事にも慣れ、京都の暮らしを楽しんでいるようだ。今回は山科の天台宗・毘沙門堂に紅葉見物に出かけ、山寺の風情を味わって来たとのこと。写真を見て、JR東海のCMではないが「そうだ 京都、行こう。」、来年こそは。

関東に比べ、一段と赤が映えるように感じる、という

 


今こそ新聞が『アベノミクス批判』

2014年11月26日 | 読書

突然の師走解散・選挙。巷の迷惑や大義が無いと批判されようが700億円かけた選挙は走り出している。「アベノミクス」への信任投票と位置付ける政権党、その看板の「3本の矢」。事実、「首相官邸」ホームページを見ると株価・経済成長率・企業業績・雇用等の数値を誇示、桜の花びらのイラストまで付けて「成果、続々開花中!」と自信満々である。果たして本当なのだろうか。景気回復の実感に乏しく、地方の状況はさらに厳しい。娘世帯の給与生活が楽になったとも聞いていない。せいぜい僅かの株の目減りを戻しているぐらいだ。そんな素朴な疑問に、この本は一助となる。第一の矢「金融政策」は<なぜ株価は上がり、円安になったのか>、第二の「財政政策」も中心となる<国土強靭化政策の年20兆円の公共投資は不可能>、そして<人口の減少を考慮していない>第三の「成長戦略」など、データを駆使して<そのいずれも誤りのものと断ぜざるを得ない>と説く。今の株価上昇に企業業績の反映という健全さは無く、政治がつくった人為的相場の危険性がある、というのに納得。加えて書いている<政治体制の改変こそが真の目的であり、「隠された」第四の矢である>ことも頷ける。倒れてリハビリ中という老経済学者の口述筆記での労作。まだまだ読み込みが必要だが、マスメディアが書かないだけに貴重なメッセージと思える。

                 

               


森林公園で”紅葉見ないと”の夜

2014年11月24日 | 雑記

ライトアップされた森林公園での写真教室。開催中のイベント”紅葉見(もみじみ)ナイト”に合わせて夜の紅葉撮影に。ISO感度を上げる、フラッシュはたかない、三脚を使う、露出補正で明るさ調整、ホワイトバランスの活用、などなど。「設定やテクニックを覚えれば、きれいな夜の写真も撮れる」と教わったが、なかなか思うとおりにはいかない。同行の人と「葉の色つきにバラつきがあるね」などと被写体のせいにしてはいけない。修行が必要と今回も実感。風も無く、そんなに寒くはなかったことだけが幸いだった

家族連れも多い 

紅い葉 

これからの葉 

補色調和を探したが 

 


野菜作りは難しい、この冬も

2014年11月21日 | 市民農園

寒冷紗のトンネル内の葉物野菜。小松菜・ホウレンソウ・春菊・チンゲンサイが無事に発芽したので覆っていた不織布を外す。間引きして化成肥料を少し、あとは陽射しと水やりだ。発芽が少なかったニンジンもそれなりに育ってきた。予想外だったのは玉ねぎ。枯れてしまったのがあるので急遽、50本を追加購入して植え替えた。早く植えすぎたのか、ここ最近の強風にやられたのか。畑の先輩に聞くと、「植え方が浅かったのでは」と言われる。深く植えると腐ってしまうし、結構面倒だ。今年のキャベツは虫が付かず、ブロッコリーもそうだがもっと植えれば良かった。ダイコンは耕し不足なのか割れているのが多い。野菜作りは本当に難しい。

陽射しが命 

ニンジン 

新人、頑張ってくれよ 

最後のキャベツ 

 ダイコン”十耕”が足りなかった 

 


長瀞の紅葉、ピークに向けて

2014年11月17日 | 写真&旅

紅葉が見頃と聞き、天気も良いので県内の長瀞へ行く。出発が遅かったので車の渋滞を心配したが、さほどでもない。各地からの紅葉情報で分散しているのだろう。上長瀞駅前を通り、「月の石もみじ公園」近くの駐車場に。俳人・高浜虚子が「ここに我 句を留むべき 月の石」という句碑がある園内は見事な赤もみじ。だが、やはり気候のせいか色づきにばらつきがある。今週あたりになると、さらに楽しめそうだ。秋の陽がまぶしい河原に下り、ちょうど鉄橋を渡る秩父鉄道のSLを撮る。車内の歓声が風に乗って聞こえてきたような気がした。

程よい風に波打つ 

赤もみじがきれいだ 

 

秋を走るSL 

 


文化の秋は折り紙にふれて

2014年11月16日 | 雑記

文化の秋、市内各所で様々な催しが行われている。真向法健康教室の師範代のMさんから折り紙作品展の案内をもらったので会場へ。時折、作品の一部をいただくこともあったが、ここには見事な力作が並んでいた。特に目を引いたのが本物の花びらのようなバラ。カラフルな色合いの中には貴重とされる青いバラも。許可を受けて何枚か写真を撮らさせていただく。鶴だけでなく、折り紙の世界も奥が深いと感じた。

バラの数々 

 

 

        

 

水仙  

もみじ 

 


実りの秋の収穫、骨折も完治

2014年11月07日 | 市民農園

昨晩の会合で少々二日酔い気味。天気が良いので思い切って畑へ収穫に。ダイコンはまだスマートなものが多いが、太めを選んで抜く。甘くて柔らかい赤ネギと根深ネギを3本づつ。白菜も大きく育ったが結構、虫に喰われており失敗作のようだ。キャベツは大丈夫だった。同じ畑で両方ともネットをかぶせて栽培したのに、この違いは何だろう。今度、先生と呼んでいる農園の先輩に聞いてみよう。そして小松菜、これは美味しそうに育った。戦績は4勝1敗、まあこんなもんだろう。今日は通院していた骨折がレントゲン検査により完治判断が出た。当初の見立てで1ヶ所だったのが3ヶ所も折れていたせいもあるが、3か月もかかってしまった。でも、うれしい。今晩は収穫した野菜を味見しながら祝い酒でも。と思ったが、この野菜は明日朝に娘たちのところへの産地直送・宅配用だった。それに前夜の飲みすぎも忘れていた。

中に虫がいた 

 これはOK 

小松菜は作りやすい 


タマネギ植えて秋冬野菜は完了

2014年11月05日 | 市民農園

上着を1枚多く羽織る季節になってタマネギの植えどきに。10月の土づくりは教科書どおり、苦土石灰から始まって堆肥、化成肥料。黒マルチも張り、満を持してのタマネギ植え付け。黄タマネギを100本とサラダ用の赤玉ネギ50本。収穫は来年の5月末頃だから当ファームでは一番栽培期間が長い。今年は長いロードの完走率、95%以上をめざしたい。それから葉物野菜の種まきは小松菜、春菊、ホウレンソウ、からし菜、チンゲン菜と鍋用から正月向けまでのオンパレード。あとはスナップエンドウを植えて、ともかく、これで秋冬野菜は一段落。これから順次、収穫するのみだが天は味方するかどうか。

この後、寒冷紗のトンネルに 

残りスペースに5株ほどのスナップエンドウ 

小松菜はいい調子 

ブロッコリーも 


秋の日、中山道に襷をつないで

2014年11月03日 | 雑記

駅伝好きの元同僚に刺激されてTV中継を時々見ているが今日は実際のレースを観戦。さいたま市をスタート、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場をフィニッシュとする東日本実業団対抗駅伝のコースが自宅近くを走る。女子の第4中継所ともなっている観戦ポイントまで歩いて5分、男子通過予定の20分前に行っても好ポジションを確保できた。見かけた顔見知りの人と談笑しているうちに男子、そして20分ぐらいのうちに女子が走り込んできた。近づいてくる選手の路面を蹴る足音と息づかい、所属企業の応援、沿道の声援は生で観るからこその醍醐味。趣味が高じて箱根駅伝ミュージアムに転職してしまった彼は平塚市に居住、毎年こうした光景を追っていたのだ。

男子トップ 

女子5区トップで襷を引き継ぐ 

 


戦争の悲劇は終わらない『帰らなかった日本兵』

2014年11月02日 | 読書

インドネシアの“残留元日本兵”、遠い昔に聞いたことはあったが詳しくは覚えていないし、その後も知る機会が無かった。太平洋戦争後、インドネシアの独立戦争に加わり、その後も日本に帰らなかった人たちのことだ。この本は、ジャカルタ日本人学校の教師として赴任した著者が離任した後も含め、10年余りにわたる精力的な取材を経て書き上げたレポートだ。多くの該当者本人のインタビュー・独白に加え、その遺児、日本の家族・関係者の聞き取りを通して当初の疑問がいくつか消えた。戦争が終わったのに何故、帰国しなかったのか。5年後、独立戦争が収束した以降の帰る機会にも。日本への望郷は、いや残した家族との再会をなぜ求めなかったのか。一様、単純では無い、帰るに帰れなかった状況が多少理解できた。だが、それぞれの心の奥底をこの一冊だけでは読み解くことは無理だ。ひとり一人と向かい合い、<悲しみの深さ>を見据え続けた著者だけしか知りえない真実があるのだと思う。その後、著者が撮影した記録写真は林忠彦賞を受賞した。その受賞式で「彼らの最後の時に現れた魂の記録者」と称されたが、そのとおりだ。著者長洋弘氏は今、参加している写真サークルの講師。厳しくも、やさしい眼差しの先にはライフワークとしている“残留日本兵”が未だ残像としてあるように見える

         

最後の残留元日本兵が8月末に亡くなった(「じゃかるた新聞」より)