矢嶋武弘の部屋

日一日の命 命の火を燃やせ!

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新・安珍と清姫(4)

2017年04月19日 16時22分41秒 | 「かぐや姫物語」、「新・安珍と清姫」

こうして、晶子が安珍を出迎えに行くことで話が付き、みんなはこれで一安心といった様子を見せたのです。しかし、この頃、安珍らの一行に微妙な“変化”が現われました。熊野三山のお参りが終わると、ドン・キホーテとハムレットは、せっかく熊野へ来たのだから、もっと他の場所も見て回りたいと言い出しました。那智の滝などをゆっくりと見たいと言うのです。
もっともな話ですが、安珍とメフィストフェレスはあまり気が乗りません。安珍はこの辺に何回も来ているし、清姫との約束があるので早く帰りたいのです。また、メフィストは少々疲れたのと飽きっぽい性格だったので、もう山を降りたいと言い出しました。結局、ドン・キホーテらはしばらく熊野の観光を続け、安珍らは一足先に引き上げることになりました。 ところが、このことが思わぬ事態に発展するとは・・・ 誰もまだ予測がつかなかったのです。

清姫との再会を約束した安珍ですが、山を降りるにつれだんだんと“不安”が高じてきました。これは不思議なことです。あれほど清姫と堅い約束をしたというのに、なぜ不安が募ってくるのでしょうか・・・ でも、そのうち安珍は胸苦しさに耐えられなくなりました。そして、路傍にたたずんでしばしば休みを取るようになったのです。
同行しているメフィストフェレスが心配して尋ねました。「安珍、どうしたのだ。なにか不都合なことでもあるのか?」
「いや、そんなことはないが、清次様の館に戻るのがどうも・・・」
安珍は言葉を濁して答えましたが、それ以上は語ろうとはしません。すると、メフィストが安珍の心をうかがうように低い声で話しかけました。
「無理をすることはないよ。安珍、君は修行僧だろう。面倒なことには関わらない方がいいと思うけどね」
安珍はなにも答えませんでした。しかし、彼はメフィストの言葉を重く受け止めたようです。しばらくして、2人は腰を上げ山道を降りて行きました。安珍の心に清姫の“幻影”がしだいに大きくなっていきます。それは彼の不安をいっそうかき立て、巨大なものにしていきました。
清姫の麗しくも悩ましい姿、燃える肢体、熱い吐息、美しい乳房、むせ返るような芳香が蘇ってきます。それらは安珍の気持をかき乱し、仏道に精進する彼の心を麻痺させるものでした。彼女に再び会えば、安珍はどうなるか分かりません。彼には清姫の魅惑を退ける自信はないのです。
とうとう安珍は苦しい吐息をつき、呻くように口を開きました。
「珍念和尚様との約束がある。仏道に精進するためには、もう清次様の館には寄らないで、まっすぐ国へ帰ろう。メフィスト、僕の気持を分かってくれるね」
安珍の切ない声に、メフィストは思わずにやりと笑みを浮かべました。
「安珍、それが一番いいよ。あとは僕に任せたまえ。ドン・キホーテらが戻ってきたら説明しておく。彼らもきっと分かってくれるさ」

メフィストフェレスの言葉に安珍はほっと一息つきました。友が自分の気持を分かってくれたと思ったのです。しかし、メフィストはもともと清姫を快く思っていませんでした。彼女が安珍と一緒になることを、できれば邪魔しようと考えていたのです。
気持が同じになった2人は、これまでより足を速めて山道を下っていきました。やがて、2人は中辺路(なかへち)に近いA地点に達しました。ここは清姫がいる館から10キロ弱の所でしょうか、道が大きく分かれる“分岐点”だったのです。交通の要だけに茶店などが幾つかあり、旅人がよく利用していました。
2人は一休みしようとある店に入り、食事や冷たい飲み物を注文しました。安珍もメフィストも急いで歩いてきたため、腹が減り喉が渇いていました。おまけに暑さのせいでかなり汗をかいていたのです。
「生き返ったようだな~。こんなに冷たい物が美味いとは・・・」
メフィストフェレスが大げさな表情を見せたので、安珍も少しおかしくなりました。ほんのわずかな間ですが、彼らは息抜きができたのです。2人はなお休息を取っていましたが、突然、メフィストの目付きが険しくなりました。
「おい、安珍、向こうから歩いてくるのは、晶子じゃないか?」
押し殺したようなメフィストの声に、安珍は振り向いて道の方を凝視しました。すると、編笠(あみがさ)をかぶった女がいそいそと歩いてくる姿が見えたのです。安珍はしばらくその姿を追っていました。その時、編笠の下からはっきりと若い女の顔が見えたのです。まぎれもなく、それは与謝野晶子でした。
「メフィスト、晶子だ。どうする?」
「どうするもこうするもない。早くここを立ち去らねば・・・」
2人がじっと様子をうかがっていると、晶子はしばらくして道の向こうの茶店に入っていきました。
「晶子はお前を迎えに来たのだ。こうしてはおれん。あとは俺に任せろ」
さすがメフィストです。彼は目ざとい上に決断も行動も早かったのでした。

与謝野晶子が筋向いの茶店に入ったので、メフィストと安珍は勘定を済ますと店の裏側に回り、身を隠すようにして細い路地を通っていきました。2人はA地点から紀州の田辺(たなべ)へ通じる道に出ると、大急ぎで歩を進めました。晶子はむろん彼らに気づいていないので、今のうちに出来るだけ遠くへ行こうということです。
こうして2人が去ったあと、晶子は茶店を出たり入ったりしながら、A地点で旅人の様子などを窺っていました。彼女は安珍らが“山伏4人組”の一行だと思い込み、心当たりはないかと茶店の人などに聞いて回りました。しかし、彼らを見かけた者はいません。そのうち夕方になり、晶子は少し疲れて路傍で休んでいました。
その時、山道を歩いてきた2人の山伏が彼女の姿を目に留め、足早に近寄ってきました。
「晶子さん! 晶子さんじゃないか。ここで何をしているのですか」
見上げると、それはドン・キホーテとハムレットです。2人は熊野巡りを楽しんだあと、安珍らに遅れてこのA地点に達したのでした。
「まあ、安珍様と一緒ではなかったのですか。そうすると、安珍様はもうこの先へ向かったのかしら・・・」
晶子が驚いて問いかけると、ドン・キホーテらもいぶかしげな表情に変わりました。
「安珍らを見かけなかったのですか。それじゃ・・・あの2人は先へ行ったのか。おい、ハムレット、これは厄介なことになってきたぞ」
ドン・キホーテの言葉に、ハムレットも晶子もにわかに不安な気持に襲われたのです。この辺で安珍とメフィストフェレスに合流するはずだったのに、2人の姿は見えません。また、清次の館へ向かったという形跡もまったくありません。ハムレットが言いました。
「安珍らは逃げたのだ! こうしてはおれん。ドン・キホーテと僕は2人のあとを追おう。晶子さん、あなたはすぐにこのことを清姫殿に知らせてください。早いがいい」
3人はなお善後策を話し合いましたが、晶子は清姫のところに、またドン・キホーテとハムレットは安珍らを追跡することになったのです。

 A地点から清次の館までは10キロ足らずと言いましたが、晶子は疲れも忘れて足を速めました。もう夜になっていましたが、安珍が逃げたことを一刻も早く清姫に知らせなければなりません。それがどんなにショックなことでも、親友に伝えなければならないのです。また、自分が安珍を迎えに行ったのに、それが果たせなかったことを詫びなければなりません。
晶子は走っては歩き、歩いては走ったりと必死になって進みました。どれくらい時間がたったでしょうか。清次の館に着いた時は夜も遅くなっていました。彼女は暗闇に包まれた館に入ると、息も絶え絶えに清姫の部屋に向かいました。もう汗びっしょりです。
その時、清姫は起きていました。と言うよりも、眠れなかったのです。彼女は安珍と、熊野詣での1週間が終わったら再会する約束をしていました。ところが8日、9日たっても何の音沙汰もありません。明日になると10日目です。いくらなんでも遅すぎます。清姫はもちろん安珍を信じていました。彼は必ず約束を守ってくれると信じていました。それは当然でしょう。あれほど固く約束を交わしたのですから。
しかし、この日、一抹の不安が彼女の心をよぎりました。「もしや、安珍様は・・・」と考えると眠れなくなったのです。「そんなことはない、安珍様に限って約束を破るなんてあり得ない、そんな馬鹿なことがあり得るか」と、必死になって疑いを振り払おうとしていたのです。「まさか・・・」という不安が清姫の胸を苦しめていました。
ちょうどその時、晶子が部屋に入ってきたのです。彼女の乱れた装いを見て清姫は驚きました。
「晶子、どうしたの? こんなに夜遅く」
「お清、ごめんなさい。あなたに謝らなければならないの」
「何が・・・」と言ったものの、清姫の不安は一気に高まりました。
「安珍様が落ち延びたのよ。行方が分からないの。お清、許して。せっかく迎えに行ったというのに・・・」
晶子はどっと泣き崩れました。それを聞いた時、清姫の気持はどうだったでしょうか。筆者にはよく分かりませんが、奈落の底へ真っ逆さまに突き落とされた感じだったと思います。

  あんなに固く約束を交わしたというのに、清姫は安珍に裏切られたのです。不安は現実のものとなりました。口惜しさが心底から込み上げてきましたが、彼女はそれを覆い隠すかのように言いました。
「晶子、どうもありがとう。今夜はもう遅いから、ここでゆっくりと休んでください。あなたには本当にお世話になりました」
清姫の丁寧なねぎらいの言葉に、晶子はやっと救われたような気持になりました。
「ごめんね、お清。それでは、今夜はここで休ませてもらうわ」
晶子は清姫の案内で客間に入り、床につくと疲労ですぐに眠りに落ちました。清姫は自分の部屋に戻りましたが、なかなか寝付くことができません。いや、むしろ先ほどより目が冴えてくるのです。ますます口惜しくなりました。その口惜しさは、やがて安珍への怒りに変わっていったのです。
なぜ、私を裏切ってまで・・・と考えると、もう眠れません。こうして寝ている間でも、安珍様はもっと遠くへ行ってしまうかもしれない。深夜だというのに、清姫には時間の観念がなくなりました。昼も夜もないのです。こうしてはおれない・・・
彼女は床から跳ね起きました。そして、誰にも気づかれないように身支度を整えました。夏の軽装なのでそんなに時間はかかりません。そして、清姫がひそかに部屋を出ようとした時、彼女ははっと気づいたのです。護身用の懐剣を持っていかねば・・・
清姫は部屋の奥から短刀を取り出すと、それを懐におさめました。その時、いざとなればこの刀で・・・という思いが彼女の心をよぎったのです。館の外はまだ暗く夏の夜空が広がっていました。満天の星が輝いています。
ものみな静かに美しくそこにあるというのに、清姫の心だけは波立っていました。安珍様、安珍様・・・彼女はあえぎ呻きました。安珍の姿をとらえるまでは、たとえ地の果て、この世の果てまでも彼女は追い続けるでしょう。こうして、暗い夜道のかなたへと清姫は去っていったのです。

 一夜明けて、清次の館では清姫がいないことで大騒ぎになりました。彼女の両親は慌てふためいて、もうどうしていいか分かりません。愛娘(まなむすめ)が失踪したのです。晶子もしばらく呆然としましたが、すぐにヒュパティアら仲間に知らせようと決めました。清次夫妻もようやくわれに返り、数人の使用人に清姫の後を追わせることにしました。また、早馬の用意もしたのです。
晶子からの知らせで、ヒュパティアとベアトリーチェも清姫の探索に加わることになりました。3人とも、親友にもしものことがあれば大変だと思ったのです。清姫の性格が一途で、思い詰めたら何をするか分からないことは誰もが知っていました。今まさにそういう状況なのです。
清次の館が大騒動になっていたころ、当の清姫はA地点を過ぎて紀州・田辺の方へ向かっていました。彼女はもう無我夢中で早足で歩きました。疲れると路傍で一休みしましたが、また走ったり急ぎ足の繰り返しです。こうして清姫は、ひたすら安珍の後を追ったのです。

 一方、同じように安珍らを追っていたドン・キホーテとハムレットは、田辺を通って海沿いの印南(いなみ)に達しました。ここは昔から漁業が盛んな所でしたが、地元の人に手当たり次第に尋ねると、安珍とメフィストフェレスらしき2人連れが通ったとの話を聞き込みました。2人はさらに北の方角へ向かったというのです。さらに話を聞くと、安珍らはここで山沿いの道に入ったとのことで、ドン・キホーテらはなおも彼らを追跡することになりました。
こうした追跡劇が繰り広げられていたころ、当の安珍はメフィストと共に印南の北のB地点で休憩をとっていました。ここまで来れば、もう安心だと決め込んでいたのです。ところが、ドン・キホーテらの探索は徹底していました。草の根を分けるように探していたのです。そして、とうとう安珍らの居所を突き止めました。そこはある山寺の境内だったのです。
「やあ、見つけたぞ! 安珍もメフィストもよく逃げ回ったものだな」
「探したぞ! 2人とも観念しろよ」
ドン・キホーテとハムレットの大声に安珍らは仰天しました。4人が熊野で別れてから1週間以上たっていたでしょうか。友に説明する間もなく、逃げ回っていた安珍らだったのです。
「いや、これには訳があるんだ。済まなかったと思うが、まあ聞いてくれ」
さすがのメフィストフェレスも、苦り切った表情を見せ弁明しようとしました。

 「何だ、言ってみろ! お前らがしたことは卑怯きわまるものだ。安珍よ、清姫殿に会ってきちんと自分の気持を述べたらいいではないか!」
ドン・キホーテが頬を紅潮させながら激しく言いました。
「逃げるとは卑怯だぞ! これからでも遅くない。中辺路(なかへち)へ戻って、清姫殿に本当のことを言ったらどうなのか」
温厚なハムレットも珍しくきつい口調で言い放ちました。これには安珍もメフィストも返す言葉がなくしばらく黙っていましたが、やがて安珍が重い口を開きました。
「君たちには済まないことをした。許してほしい。メフィストには何の責任もない。これは全て私の責任だ。まずは私の話を聞いてほしい」
安珍はこう述べると、2人で失踪した理由をかいつまんで説明しました。その内容は自分が清姫に会うことをただただ恐れ、逃走したというものです。ドン・キホーテらはこの釈明を聞いても納得しませんでしたが、今は4人が無事に再会できたことに安堵し、しばらくはこの山寺で休息をとることにしました。ドン・キホーテもハムレットも、安珍らの追跡でくたくたに疲れていたのです。

 こうして4人が印南の北のB地点で休んでいたころ、清姫は安珍に会いたい一心でなおも全力で歩を進めていました。真夏の暑さで彼女は汗まみれになり、着物は乱れて異様なあり様になっていました。道ゆく人たちは誰もが、清姫の姿を見てこれは尋常ではないと思ったのです。
彼女は道すがら人に尋ねたのですが、安珍らの行方や安否は分かりません。暑さと疲れもあって清姫はだんだん焦ってきました。路傍で時々休みますが、彼女は次第に惨めな気持に落ち込み絶望感に苛まれました。道ゆく人たちはその“狂態”をあやしみ、ますます彼女を避けるようになったのです。
一方、清姫の身を案じる与謝野晶子らは、途中まで交互に早馬を利用し探索を続けました。しかし、馬主との契約上そう遠くまでは馬に乗っていられません。3人は徒歩でなお追跡しましたが、清姫の行方はまったく分かりません。彼女らはただ勘で、紀州・田辺の方角へ向かったのでした。

ジャンル:
小説
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