矢嶋武弘の部屋

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モナ・リザ

2017年05月16日 07時24分57秒 | 芸術・文化・教育

<以下の文は、2002年7月5日に書いたものです。>

1) 8年ほど前にフランスへ旅行したことがある。 パリでルーヴル美術館を観覧することができた。 この大美術館は30万点に及ぶ美術品を抱えているだけあって、とても半日では見切れるものではない。 当然、お目当ての絵画や彫刻に絞って見て回るだけだった。
必ず見ようと思った作品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『モナ・リザ』がある。 『モナ・リザ』のある場所は事前に分かっていたから、そこへ近づくにつれて胸がときめいてきた。 時間がそれ程ないというのに、“彼女”に近づくのにわざと時間をかけた。
その部屋に入って『モナ・リザ』を遠くから見た瞬間、第一印象は「なんて小さいんだ」というものだった。 ルネサンスの画集は子供の頃から見ているから、この名画は脳裏に焼き付いている。脳裏の画像だけが巨大になっていたのだ。 だから、実物が非常に小さく見えた。

 もとより私は美術の素人である。玄人であったら、最初から小さいとは感じなかっただろう。 後で資料を調べたら、この名画は縦76、8センチ、横53センチとなっていた。大きな絵画ではない。
『モナ・リザ』はガラスケースの中に収められていたので、室内の照明が反射して細部までは十分に見ることができなかった。 それもあってか、見る前は大いに感動するのではと予想していたのに、それ程でもなかった。 しかし、本物の『モナ・リザ』を肉眼で鑑賞できたということで、一応の満足感は得られた。

2) 『モナ・リザ』には“永遠の美”を感じる。 ダ・ヴィンチは、何故このような神秘的で美しい絵を描くことができたのだろうか。画家(ダ・ヴィンチ)の魂がそうさせているのだろう。 例えばジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」にしても、見ているだけで“敬虔な安らぎ”を感じてしまうのだ。 これも画家の魂がそうさせるのだろう。
画家の魂が訴えたいものが絵画に表れる時、それが名画となるに違いない。 『モナ・リザ』は写実的に描かれている。彼女の髪の毛も衣服も、その表情も写実的である。 にもかかわらず全体的に見ると、この絵は非常に“神秘的”に見えるのは何故なのだろうか。 ダ・ヴィンチは神秘性を訴えたかったのだろうか。 『モナ・リザ』の微笑は、永遠に“謎の微笑”と言われる。 もし人々がそう感じるのなら、画家の魂が訴えたいもの、つまり神秘がその絵に表れているということなのだろうか。
背景の自然描写には、相当にスフマート(ぼかし)が効いている。『モナ・リザ』の顔もスフマートが施されている。 これは写実的であると同時に、神秘的なのだ。 私は絵画の専門家ではないから、これ以上は言及できないが、ダ・ヴィンチは写実性の中に神秘性=謎を表現しているとしか言いようがない。

3) その謎とは何なのだろうか。 私が勝手に推測すれば、それは“自然の魂”ということではないのか。 たしか、ダ・ヴィンチは「自然の魂を娶れ(めとれ)」とよく言っていたはずだ。 自然の魂とは“神性”のことである。
私はこの絵を見ていると、背景の山、森、湖、川などから何か“声”が聞こえてくるような感じがしてならないのだ。 遠い遠い彼方から、何か神秘的な声が聞こえてくるような気がしてならない。 背景の自然描写は、日本的に言うと“幽玄”そのものである。

 このような背景があるから、『モナ・リザ』は一層神秘的に見えてくるのではないか。 もし、背景が幽玄な自然描写でなかったなら、彼女はそれ程神秘的には見えないだろう。 彼女を見ている時、どうしても背後の自然が視野に入ってきて、私は神秘的な“幻惑”に捕われてしまうのだ。
しかし、なんと言っても『モナ・リザ』は美しい。 その微笑、視線、気品のある鼻筋、まろやかな頬、聡明な額・・・どこを見ても美しい。天才による写実とスフマートの技法に、我々は魅了されてしまうのだろうか。
私が特に魅惑的に感じるのが、左手に添えられた彼女の右手である。白くたおやかであると同時に、『モナ・リザ』の暖かい血が指先にまで流れているのを感じるからだ。 その美しさと暖かさに私は“女性”を感じる。

4) 16世紀初頭に、何年もかけて描かれたというこの『モナ・リザ』を、ダ・ヴィンチはどうして離さずに持ち続けていたのだろうか。 普通、肖像画は相手方に贈られるものである。 しかし、ダ・ヴィンチはこれを持ち続けていた。決して我が身から離さなかったのである。
インターネット等で調べたら、これには諸説がある。 未完成だったからとか、『モナ・リザ』のモデルであったらしいジョコンダの夫が受け取らなかったとか、いろいろな話が伝えられている。

 しかし、私が勝手に推測するなら、ダ・ヴィンチはこの名画を自分の所有物として離したくなかったからだ、と単純に思ってしまう。 ダ・ヴィンチ自身も、『モナ・リザ』は世界最高の絵画だと確信していたに違いない。 そして、それ以上に、この名画を愛していたからではないのか。
『モナ・リザ』は、ダ・ヴィンチの自画像だと言う人さえいる。 私はとてもこの説には賛成しがたいが、真面目にそう言う人がいるということ自体、彼がこの絵にかけた“思い入れ”の深さを、別の面から物語っているように思えてならない。 人間誰でも、本当に愛するものは放したくないのだ。

5) つい最近、私はモンゴルへ旅行したが、首都のウランバートルで「市場」を見学することができた。(この関連では、別稿の「モンゴルで感じたこと」を参照して頂きたい) ここでは大勢の女性が活き活きと働いていた。 たまたま加工食品売り場の前に来たら、気品のあるふっくらとした顔立の女性と視線が合った。彼女は微笑んだ。私も微笑んだ。
売り場から離れたものの、私はモンゴルの“モナ・リザ”が忘れられず、再びその売り場に戻った。 モンゴル語ができない私は、手振り身振りで勝手に了解を求めて、彼女の顔写真をカメラにおさめた。私は一礼して彼女と別れた。 馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、“モンゴルなでしこ”に憧れていた私にとっては、売り場のその女性が正に“モナ・リザ”に見えたのである。 その時点から、私はこのエッセイを書きたいと思うようになったのだ。
『モナ・リザ』には、女性の永遠の美というものが感じられる。 ルーヴルで見た実物は小さかったが、私の脳裏に幻影として残っている『モナ・リザ』は、これからも益々大きくなっていくだろう。 そして、その神秘的な美しさと輝きは、私だけでなく、この世の男性の心の中に生き続けていくことだろう。 

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