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長生欲

2017-02-04 19:35:23 | 日記
「私は死なない気がする」と言ったのは作家の宇野千代さんで、彼女はそのとき70を少し過ぎていたと思う。私はそれを聞いて、あることを思った。学生時代に、その方面に詳しかったA君の話を思い出した。彼が言ったのは「聖書には何かとても悪いことを犯した人間が永久に死ねないという罰を受ける、と描かれている」ということだった。つまり、永久に死ねないというのは、死よりもはるかに苦痛であることになり、それはその通りだろう。また、宇野千代さんも、そのときは本当に、自分は死なないのではないかと、ふと感じたのだろうし、そういうことは多くの人にあるのではないかと思う。

たとえば、いま60歳の人に、あと何年行きたいのかを訊いたとする。私の想像では、100人中80人ぐらいは、「平均年齢ぐらいまではねぇ」と答えるはずだ。あとの20人は、「こればかりはわからない。運もあるし」と言うだろう。

真っ白な毛髪、シワだらけの顔、生気のない眼、か細い手足、90度近く曲がった腰で手押し型の歩行器を押して病院の待合室を歩く老婆を見て、「付き添いの人、いないのかしら?」「お気の毒ねぇ」といった会話が、少し離れた席で交わされる。ひどいときは、それが、「あんな風になる前に死にたいわね」となる。やがては、自分が同じ姿になるとは考えない。考えたくない。人は皆、そうやって生きている。

長生欲というのがあると思う。平均寿命まで生きなければ損だと考える人がいると思う。億万長者なら、100年生きても足りない気持ちになるのかもしれない。私は平均を超えた。もちろんリッチではない。前にも書いたように、死の経験もある。半病人である。家族の手を借りなければ1週間と経たないうちに死ぬだろう。長生欲はないと思っている。それでも、「つもり」がある。次の3月の大相撲を観るつもりでいる。センバツの早実・清宮幸太郎君を観るつもりでいる。今宵も明日も水割りを1杯呑むつもりでいる。そうやって、生き過ぎを生きている。いや、これもやっぱり長生欲のひとつだったか。

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