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2月24日

2019-02-27 22:42:50 | 日記
木曜日から娘がプライベートでタイ(バンコク)へ行っている。毎日、家人とメールでやりとりをしている。私にはわからないが、メールは海を越えて届くもののようだ。タイはいま日中は32,33度と暑いらしい。だが、話はそんなことが中心ではない。中心は猫のヴィヴィである。ヴィヴィは金曜日あたりから主人がいないことに気づいているらしい。猫も犬と同じように、飼い主のランクづけをしていて、むろんトップが娘、家人はゴロニャン遊びの相手、私は居候みたいな存在と理解している。夜は家人が娘のベッドに寝ていると、初めはそばにいるそうだが、一晩中の添い寝とはならないようだ。

株の方が退屈な動きになっていて、せめて競馬で大穴でもと、中山記念で2番マルターズアポジーの逃げ残りを狙ったが、見せ場は直線入口まで。

左手頸が腱鞘炎になっていて、ロキソニンの湿布を貼り、その上からリストバンドを巻いている。それでも外出用の歩行器を押す自信がなく、金曜日のデイケアサロン行きは見送った。今週の木曜日には病院の定期健診があるので、それまでになんとかしたいのだが。腱鞘炎は二度目で、前回は35歳のときだった。そのときはゴルフのやりすぎが原因だった。ゴルフは負け続けだったので、それを機会にやめてしまった。それから48年も経った。

茨城の家人の家からの帰途、渋谷でパチンコをやっていたら、皇太子ご誕生のニュースが流れた。パチンコ玉を打ちながら、義弟(家人の弟)と同じ日だなと思ったことを憶えている。あれから59年が経った。義弟も昨日で71歳になった。今朝の血圧は128-82。

平均

2019-02-27 21:53:41 | 日記
茨城の中学に平均の好きな教師がいた。担当は国語だった。中間テストでも期末テストでもなく臨時と言うか不意討ちと言うか、そういう試験を行い、「これが本当の実力を表す」と言っていた。それが終わって答案用紙が返される。教師が「テストの全学年(5クラスで編成されていて50人×5学級の250人)の平均は、58点。この組の平均点は61で学年トップだった」と笑顔になったりした。生徒側も「この前は2位だったからなぁ」と喜んだりする。私はこのことがよくわからなかった。学年全体の平均点より、ウチのクラスが3点も高い。なんだって言うのだろう。何かの役に立つのだろうか。それがわからなかった。テストの得点は個人のものであって、クラス対抗の野球のような合計得点は関係ないではないかと思った。更にそれを平均点に計算して、学級別に順位づけをすることに何か意味があるのだろうかと不思議だった。

日本人男性の平均寿命は81歳ちょっとだそうだ。私はそれを2年余りオーバーしている。平均より長く生きることは得なのだろうか。あるいは、申し訳ないことなのだろうか。億万長者なら、話は別である。そういう人間なら100年どころか200年でも生きたいだろう。平均の81歳で死ぬのは損(もったいない)と思うはずだ。しかし、私は億万長者ではない。平均より早死にすることを損とか、モッタイナイといった言葉で思うことはない。生も死も個人のことである。それは運とか自然といったものに任せるしかないものである。そして、ついでに言うと私は何事につけ、平均ということがよくわからないのである。たとえば生命保険会社なら平均寿命は保険料計算の際の基礎データとして必要であるだろうけれど、と私の理解はその辺までだ。

税金

2019-02-21 17:11:47 | 日記
「宝くじの収益金は××に使われております」というテレビメッセージを観ることがある。宝くじは50%が(私の言葉で言う)テラ銭だそうだが、そのテラ銭の性質は税金と同じだと思っている。或るところから取って、或るところに使う。それが社会にとってプラスになるという意味で同じだろう。

私は毎週土曜日・日曜日に馬券を買う。競馬を愉しむ。地方競馬はやらないのでわからないが、日本中央競馬会(JRA)のテラ銭は25%である。競馬においてはテラ銭をとられている感覚がない。レースが当たるか当たらないかという方に気をとられているから25%のことなんか忘れてしまっている。馬券が的中して、配当が1万円であったとして、そのときに、テラ銭が10%だったら配当があと数百円多かったのになぁと考えることはない。

株式の配当金、株の売却の利益にかかる税金は20数パーセントである。これは競馬と違って、ゴッソリ取られるんだなぁと感じてしまう。売るときになって、証券会社の担当者と話すと、「粗利がX万円でそこから2割の税と、それから市民税なんかもあります。手数料も…」となり、更にそれが明細書となって届くと、多少の儲けはあっても、税金は大きいと呟く。

10月から消費税が2パーセント上がる。ポイントがどうとか、カードがどうとかいったことは全くわからないが、とどのつまり、税金は馴れだと思っている。ただ、ちょっと大きな買い物をするときには2パーセントアップの重みは感じるのだろう。

私は税金のお世話になっている。私は病人だから医療費がかかる。その医療費の負担は1割であって、9割は税金のお世話になっている。申し訳ないというか、ありがたいというか。小さく、家の中の事で言うと、娘の払っている税金で私の薬が買えているような感じがする。だから、せめて馬券でも買って、というわけではないけれど。

ボランティア

2019-02-21 17:05:59 | 日記
デイケアサロンの麻雀に、ボランティアの男性が参加することがある。その一人であるHさんは、昭和15年の生まれで、私より5つしか年下でないのだが身体は若い。メンバーを送り迎えする乗用車の運転も手伝っている。福岡の出身なので、少し野球のことを話してみると「昭和21,22年の中等野球で小倉中が2連覇した」ことは知らなかったが、昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代の話になると目が輝いた。ご存じの方はもう少ないかもしれぬが、「日本シリーズで巨人と戦い、3連敗から4連勝した」のが昭和33年だから、Hさんは中学生になっている。その想い出なら1時間でも2時間でも喋りたいという顔になる。

家人は高齢(65歳以上)コーラスグループに参加していて、毎週2回、老人ホームへ唄いに行っている。ボランティアである。曲目はグループのリーダーが選ぶようだが、家人が時々『銀座カンカン娘』を唄っているのを聴いていると、凡そのことが想像できる。あの頃の歌は数が少ないし、誰もが歌に飢えていたから、歌詞も忘れていないだろう。

昔、勤労奉仕という言葉があった。無償ということでは、いまのボランティアと同じである。しかし、前者には強制があった。後者は善意である。善意だけでなく、楽しみも伴う。好い時代になった。

ここに幸あり

2019-02-21 09:20:18 | 日記
「これ、まだ間に合うから行ってみたら?」と、玉電・若林駅前のタバコ店のオバサンがピースの箱に添えて1枚のチケットをくれた。私はバイトの帰りで財布の中も乏しく、久々にまっすぐに家に帰るつもりだったが、チケットに大津美子の名があったので気が変わった。大津さんは、その頃『ここに幸あり』という歌を大ヒットさせた歌手だった。場所は世田谷公会堂だったか、とにかく若林駅から徒歩で行けるところだった。開演は午後7時で、まだ1時間ある。私は近くの酒店で2級酒1合をカップで立ち飲みして公会堂へ向かった。

会場は8割ほどの客入りだったが、かなり前の方の席に座ることができた。名前も知らぬ歌手が知らない歌を唄った後、大津さんが登場した。まだ我が家にテレビのなかった頃だ。声はラジオで聴くだけであり、顔は有写真で知るだけだった。初めて見る大津さんは明るい感じがした。小太りの身体に親しみがあった。変な言い方になるがスカートが好く似合う印象があった。強い張りのある声だった。嵐も吹けば雨も降る、女の道よ なぜ険しい‥‥ここに幸あり 青い空。スカートの色は憶えていない。少し厚手の布地だったのは確かだ。と、これは約60年前の話である。

好いスカートを穿いているなぁと思うことが度々ある。女学生にもいたし、会社にもいた。家人や娘だって、カッコいいスカートを身につけることはある。しかし、その逆というか、この女性はスカートが似合うとkジャン汁ことは滅多にない。スカートの似合う条件の第一は、私の場合、脚ほ表情にある。細くてはダメだ。表情がない。競馬用語を借用すると、稍太が好い。脚の表情とは何か?これはもう幸福感の一語に尽きる。ここに幸あり、である。