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9月30日

2018-09-30 20:25:43 | 日記
6時半過ぎの目覚めで、たっぷり10時間の睡眠。昨夜の晩酌が多かったのではなく、重田名人の指圧治療で身体が柔らかくなったのだろう。血液の流れも好くなったのだろう。82歳になっても、気持ちの好い朝は時々ある。

富田林警察署から脱走した男が山口県で捕まった。多くの人がほっとしたことだろうが、逃走者の胸中にも、ほっとするものがあったのではないだろうか。明日あたりから、逃走記録をマスコミがあれこれ報じるだろう。協力者はいたのか、いないのか。

23日に生まれた曾孫が今日退院する。入れ替わりにというわけではないが、次女が股関節不良で入院している。家人と長女がそこへ見舞いに行っている。患部に炎症があってそれがおさまらないと手術ができないらしい。オペのあとのリハビリを考えると、長期戦になるのか。

競馬はスプリンターズステークスで、11番・セイウンコウセイから馬連で6点流しの穴狙いしたが、直線が伸びず。先日、重田名人に、「勝負カンの働くツボはないか?」と訊いたら、「それがあったら、自分で自分を圧しています」と笑われた。

現在16時40分。テレビでは関東地方を走る電車のほとんどが、あと3時間ほどで運転を止めるようだ。今度の台風は強烈であるようだ。いちばん困るのが停電である。ま、酒と水はストックがあるが、停電はヤバい。

名前の音(おん)

2018-09-29 18:06:31 | 日記
私はタケヒロという名前であって、いかにも優しい音である。細い感じがする。若い頃からずっと肥っていた身には似合わあない印象だ。同名に色川武大さんがいる。色川さんは阿佐田哲也(朝だ徹夜)の筆名で『麻雀放浪記』を書いているし、容姿もまたタケヒロさんでは優し過ぎてしまう。武大をブダイと読むとピッタリする。勝手な想像だが、色川さんの友人方は、たいていブダイさんと呼んでいるのではないだろうか。

7年前に、ボクちゃんが生まれたときは、周囲からその命名についていくつかの候補があがった。ボクちゃんは家人の姪の子供である。近くには祖父母がいる。また我が家も、家人と2人の娘もまた、近くに住む親戚である。全部を記憶しているわけではないが、和音(かずね)、真尋(まひろ)といった候補作もあった。そういう名が聞こえて来るたびに、音のことが話になった。「カズネって、ちょっと響きが好くないわね」「マヒロだってそうよ」といった具合である。「結局は両親が決めるんだから、周りはどんどん候補を出せばいいのよ」と長女が言ったが、これが正論である。

NHK大河ドラマに徳川15代将軍の慶喜が出て来る。私は慶喜を昔からケイキと読んでいる。私がケイキと言うので、これが家人に感染った。「あの、ケイキの役をやっている松田翔太って、松田優作の息子さんなのね」と言ったりする。「ケイキって、本当にハンサムだったのかしら」というのは、松田翔太さんが美男であるからだろう。そして、ドラマではちゃんとヨシノブと言っているのに、ケイキになってしまったのは、やはり、その方が音がいいからだろうと私は思っている。

糖尿病

2018-09-29 17:44:24 | 日記
A君は私より5ツ若い。酒は呑まない。20年ぐらい前から糖尿を気にするようになった。朝は早起きして仕事前に運動をするようになった。自転車に乗って20分ほど走って川岸まで行くと、いつもの仲間がいる。A君と同じ病の人も、犬の散歩の人も、ただ健康のためにジョギングをする人もいる。そういう話を聞くと、糖尿病にならなくてよかったとつくづく思う。現在の私は自転車どころか歩行器を押して散歩するしかない。自宅ノマンションの周囲をのろのろと歩いて、家人に小さな椅子を持ってもらって、付き添いを頼むしかない。A君は甘いものが好きだ。むろん、糖分は制限されている。ワカメで作った羊羹というのが、糖尿病患者用にあるそうだ。

あれこれの病気で何度か入院した。そのたびに、たくさんの検査があった。それらの結果を見て、ドクターが、「よく糖尿病になりませんでしたねぇ」と言う。同じことを何人もの医師に言われた。そのことは健康の時から言われていた。私は60歳になるまでの40年間、180センチ85キロの体格だった。肥り過ぎだから糖尿病になる危険性が高いと、会社などの健康診断で注意されていた。

私は怠け者である。だらしがない人間である。だから58歳で脳梗塞になった。74歳で胸部大動脈瘤が破裂した。しかし、糖尿病にはならなかった。なぜか?私は、遺伝のおかげだと勝手に思っている。それ以外に考えようがない。ワカメの羊羹でなく、虎屋の羊羹を食べられるのは、ご先祖様のおかげだと感謝している。

左利き

2018-09-29 10:44:37 | 日記
茨城の田舎町に住んでいた子供の頃のこと。水道はまだ引かれておらず、むこう3軒両隣りの6軒で2つの井戸を共用していた。水質が異なるのかどうかは知らなかったが、井戸Aは洗面、炊事、飲料に用いられ、井戸Bは風呂用だった。あるとき、Aの井戸へ水汲みに行くと、トイメンの家に住む奥さんが沢庵か何かの漬物を洗い、それを包丁で切っていた。井戸の前には畳1枚ほどの石造りの場があって、井戸端が混雑していないときは、そこで野菜を切る人もいたのだった。トイメンの奥さんは左利きだった。すいすいと切り取られた漬物が奥さんの俎板の右側に行列する。それが私には何か手品を見ているような不思議さと面白さがあった。70年も前の広い遠い記憶であるが、はっきりした絵として残っている。

左利きの人と将棋を指すと、例えばそれが初対面であれば、なぜか強そうに見えてしまう。巧者の感じがしてしまう。これも錯覚かと思うが、サウスポーの素人棋士は無口である。平凡な手を指されても、何かウラがあるのではないか、罠が仕掛けられているのではないかなどと疑ってしまう。慎重になってしまう。繰り返すが、なぜかはわからない。

草野球でも、左投手は嫌いだった。私はローボールヒッターである。特にインコースの低めをすくい上げるようにしてレフトオーバーの長打を狙うのが得意だった。それがバレているのかどうか、相手の左腕投手がアウトコースに投げて来る。スローカーブがある。見逃せばストライクになる。仕方なくバットを出す。フルスィングをする。打球が空高く上がる。1塁ファウルフライになる。

2018-09-29 10:37:29 | 日記
私は撫で肩の体型であって、学生服にも背広にもアンコ(パッド)をいれていた。洋服屋さんに頼んで多めの量を入れてもらっていた。といっても、それが不自然であってはならないから、洋服屋さんの技術が頼りである。50歳を過ぎる頃に、藤沢の小田急百貨店の女性テーラーに出会った。この人が上手だった。採寸のあとにコンピュータ写真のようなものを作る。仮縫い不要である。10日間で希望どおりのスーツが出来上がる。びっくりするほどにピッタリである。上出来である。撫で肩はもちろん隠れてしまう。肩も胸も自然のふくらみだ。あれは女性テーラーの腕なのか、コンピュータ技術の精密さなのか、たぶん、その両方なのだろう。

猫撫で声という言葉を最初に使ったのは誰なのか。林修先生に訊いてみないとわからないが、巧い表現だと思う。赤ちゃん言葉というのもあって、これも猫撫でが混じる。我が家には猫がいるので、文字通りの猫撫でが早朝から聴けるが、これは小さな犬を飼っているお宅も同じだろう。幼児をあやす大人達も似た声を出すだろう。

重田名人の治療は、私の場合、指圧オンリーであるが、撫でる治療もあるそうだ。一度だけ腕の部分で試してもらったが、想像したよりは強い刺激があった。指の下を血液が動いていく感じになる。「子供を褒めるときに頭を撫でるのとは違いますね」と言ったら、「あれは資格が要らないでしょう」と名人が笑った。