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4月29日

2018-04-30 10:51:16 | 日記
朝の7時に家人が娘を車で北鎌倉駅まで送って行った。猫のViViが家人のベッドにやって来た。ご主人様とナンバー2が居なくなったので、仕方なくナンバー3の隣に来たわけだ。私がストレッチ体操をやり、脚の手入れを行うのを珍しそうに眺める。約20分経って玄関の鍵が開く音がするやいなや、たちまち、私の胸を蹴って迎えに走った。

金曜日にあった朝鮮の南北首脳会談について、萩谷順さんが「金正恩の、金正恩による、金正恩のための会談」と評していたが、その通りだと思った。言い得ていると思った。この日はデイケアサロンへ行く(これまで、この場所のことをデイサービスサロンと書いて来たが、ケアが抜けていた)。2時間の麻雀でも腰痛が増す。そして昨日の重田名人の指圧治療があって、水割りのウィスキーを1センチ増やした。昨夜は夢を見ずに眠った。

今日は昭和時代の天長節である。今年は昭和93年、平成30年、平成の年号は今年で終わる。その年に曾孫が生まれる。平か成の文字を名前に遺すだろうか。男の子だとわかっているが、孫娘夫婦がどう考えるか楽しみだ。

競馬<天皇賞>は、ガチガチの1・2・3着で、もちろん私のような貧乏人はそんな馬券は買わない。たとえ宝くじで大金を手にしても、本命は買わないだろう。

明日も株式市場は休みである。狙っている信越化学が金曜日に好決算を出していて、それがどう反応するかが1日延びてしまった。株でも競馬でも、何か刺激が欲しい。老いても金銭欲というのはあるものだ。その欲が認知症予防になるはずだとも思っている。今朝はヴィヴィの来訪で血圧測定を忘れてしまった。

教わる

2018-04-28 11:53:18 | 日記
「大谷投手のスプリットはスピードもありますし、大きく落ちますから」、テレビの野球解説者の言葉である。どうもよくわからないので、Iさんが来るのを待つ。Iさんは指圧治療に来てくれる重田名人の付き添いであって、息子さんはリトルリーグの選手である。野球に詳しい。スプリットとフォークがどう違うのかを私が訊くと、ボールを挟むのが浅いのがスプリットで、その分スピードが落ちないと答える。ナルホドと思う。ついでにチェンジアップについても訊いてみると、丁寧に説明してくれる。

「フィギュアスケートの男子競技を観るのが2千円だとすれば、女子の方は5千円でしょう」と、リハビリのC子先生に話したことがある。もう2年も前のことだ。するとC子先生は、「今はそうでもないんです」と言った。つまり、男性フィギュアでも大人気だというわけだ。私は、あのスポーツは女のものだと思っている。男と女とでは舞の美が大差である。女性の脚が高く上がり、コスチュームが翻る。バレエの舞を想像させる。花開く、でもある。男子にはそれがない。2千円と5千円の差はそこから来ていた。しかし、実際はそうではなかった。C子先生の言うとおり、男子フィギュアも大人気になった。オリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦君の仙台・凱旋パレードには大観衆が集まった。

重名人は競馬が好きだ。彼も私も、当たり外れを正直に話す。もちろん「惜しかった、2着に来たあの馬が買えなかった」という会話が多くなる。名人は宝くじも買う。私もジャンボと名のつくものを10枚か20枚買っている。「宝くじは税金が50%だから、競馬の2倍だ。もうやめようかな」と私が言ったのは、2年ぐらい前だった。すると「でも、買わないと当たりません」と名人が笑った。私は、「宝くじは当たりそうにないけれど、それでも買わなければ当たることは絶対にない」ということを名人に教わった。今回のジャンボも20枚買っている。

笑われる

2018-04-28 11:45:20 | 日記
「K子、そんな恰好でどこへ行くの?」「S子ちゃんの家よ、庭で遊ぶんだから、これでいいのよ」「いけません、S子ちゃんのお母様はきちんとした方なのよ、あなたはいいけれど、ママが笑われます」。私が小学校1,2年生の頃の、祖母と叔母(K子)とのやりとりである。叔母は私より8ツ年上だったから、女学校の2,3年生だった。もう戦時だったが、まだ空襲はなかった。叔母は、いわゆるお転婆娘だったから、服装も気にしない方だったのだろうが、祖母は身だしなみにうるさかった。女の子だからということもあったと思うが、行先の家にいるお母様を気にするところが、いかにも祖母らしかったと今でも思う。

現在の私の外出先は病院とデイサービスサロンぐらいのものだ。家人が運転する車で行くのだし、着衣なんかどうでもいいようなものなのだが、それでも家人に着替えを命令される。家人が何度にあるタンスあたりから、その日の上下をもって来る。新品のカラフルなスポーツシャツが出て来る。「こんなの、あったっけ?」「去年の冬のバーゲンで買ったのを忘れていたのよ」となる。その種のものが何枚かある。「俺のものは買うなよ」と家人には何度も言ってある。明日をも知れぬ生き過ぎ人間の外出着を買ってもモッタイナイと思うからであり、それは当然の理屈である。でも、家人は、いつの間にか買い込む。家人のところに通信販売のカタログが送られて来る。それを熟読するのが彼女の趣味である。その中に男物もある。私の身体に合う3L、4Lサイズを発見する。ま、すべてはそこから始まるのだ。

デイサービスサロンに来る老人の身なりもきちんとした人が多い。ほとんどは私と同じように、家族が選んだシャツやセーターであり、ズボンであるだろう。「病院も、デイケアも、皆さんが見ているわよ。みすぼらしい恰好をしていたら、私達家族が笑われるのよ」ということも多いのだろうと想像する。7

麻雀の話

2018-04-28 11:38:10 | 日記
中学2年のときに麻雀をおぼえた。茨城の田舎町に住んでいて、近所の家で大人たちが日曜日になると雀卓を囲んでいた。普通の平机であって、そこに薄い毛布のようなものが掛けられていた。大人たちのやるゲームに興味があって、4人の中の1人の後ろに座って観戦していた。15歳の若い頭だから、すぐにルールを理解した。そのうちに補欠要員になった。4人のうちの1人が遅刻し、その人を待つ間に私が打つのである。もちろん私だけは金を賭けないが、点棒は移動する。大人たちから「ヤボ(私の呼び名)、上手くなったなぁ」と言われることもあった。中学3年になってからは、補欠ではなく正式メンバーになった。不正確な記憶だが、賭けのレートは、千点20円ではなかったか。ただし、現在とは点数の数え方が全く異なる。現在の最低のアガりは千点であるが、それが240点だった。これは子の場合だが、親なら360点である。もちろん、ドラ、一発などのオマケはない。満貫は子が2千、親が3千だったと思う。だから、たとえば親が東と発をポンしたりすると事件だった。緊張した。

家で、家人と娘と3人麻雀を打つ。千点50円を賭ける。あるいはデイサービスサロンで賭けない麻雀を打つ。ふと昔を思い出す。中学生時代のご近所麻雀を思い出す。なんとなく、70年前のあのときと似ている感じがするのだ。もちろん、どこも似ていない。ルールだって全然違う。リーチ、一発、表ドラ、裏ドラ、ゾロゾロなんて言葉は、昭和30年代、40年代にできたものである。似ているものを探すとすれば、家庭的な雰囲気だろうか。学生同士、仕事仲間、あるいは街の雀荘でヤクザ相手に打って来た期間が長かったから、家庭的な雰囲気が懐かしいのだろうか。いや、団地時代もご近所相手だった。あれは、家庭的だったのか、なかったのか。

アレルギー

2018-04-28 11:28:04 | 日記
家へ遊びに来ていた孫息子が急に具合が悪くなった。倒れ込むというほどではなかったが、様子が変だった。猫アレルギーだと、母親である次女が言い、孫息子を表へ連れ出した。どこが痛いというのではないが、目が赤くなり、泣くのとは別の種類の涙が頬に流れていた。たしか12,3歳の頃だったと思う。そのとき、私が思い出したのが、そばアレルギーの子供が学校給食でそばを食べてしまって死亡したというニュースだった。アレルギーというものの厄介さと恐怖だった。ドクター達の話によると、アレルギーに対抗する、これといった薬はないらしい。

私は25歳のときに自分がピリンアレルギー体質であることを知った。風邪をひいてS・Gという薬を買ってのんだら、身体中の粘膜が腫れた。特にひどかったのが口の中で、1週間ほどはヌルいうどんにヌルい牛乳だけの食事で通した。それ以来、ずっと何かのことで病院へ行くたびに、ピリンアレルギーであることを申告し、そのことがカルテに赤ペンで書きこまれていた。しかし、いつの間にか私のピリン拒絶症は治っていた。それがわかったのは、74歳のときの胸部大動脈瘤破裂の大手術のアトダッタ。ピリンが使用されたのが手術中だったのか、手術後だったのかはわからないが、ドクターから「✖✖ピリンン剤を使用しましたよ」と教えられて、驚いた。ドクターは、なんでもないような表情だったから、よくあることなのだろう。

家人の姪が昨年の夏あたりから小麦粉アレルギーになった。主婦だから大変だ。パン、うどん、てんぷら、フライ…と数え挙げれば際限がない。そばにも小麦粉は入っているし、カレーのルウもそうだろう。また、菓子類だって同じことだ。そういうわけで我が家にパン焼き器がやって来た。よく私がこのブログに書く自家製ぶどうパンは、家人の姪のアレルギーから始まったことになる。

孫息子の猫のことから、アレルギーなるものが遺伝ではないことがわかる。彼の母親も姉も、我が家へ来るたびに猫を抱き上げ、かわいがっている。また、私のピリンの件から、アレルギーは治るということがわかる。繰り返すが、薬の力ではない。アレルギーもまた、神の手に委ねられているものなのだろうか。