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7月31日

2016-07-31 21:59:55 | 日記
目覚めは5時半。山口瞳を数ページ読んで、再び目を閉じて、今日の3つの勝負事(かちまけごと)について考える。その一は、我が慶應義塾高等学校が甲子園行きを賭けて横浜高校と対戦する。 この試合は塾高の監督が「⒑回闘って1回勝てるかどうか」と言っているのが正しく、私の数字で言えば、両校の合計得点が⒑であれば、8対2で横浜となる。 準々決勝から両校を見て来ているから、この予想となる。 勝負事はやってみなければわからないという言い方があるが、そういう「れば・たら」が起こるとすれば、塾高の投手陣がまさかの好投をして、7回までに0対0のゲームイを作れれば~である。ま、結果は予想どおりになった。甲子園での横浜高校は打ち勝つ野球になるのではないか。 その二は、競馬のアイビスSDで、これはコーナーのない、つまり直線勝負で距離は1,000メートル。この直線レースは日本では新潟競馬場でしかできない。 本命は、4・6・13の三つ巴だが、その辺を2頭ずつ絡めながら、9・11を合わせて買った。結果はガチガチの4・6・13でおもしろくもなんともない。昨日の佐渡ステークスで18.8倍をとっているので、最近は土曜勝ち・日曜負けがクセみたいになっている。
その三は、東京都知事選である。私の予想は、マスコミが予想するのどの接戦ではなく、ふたを開けてみれば、ユリコスターの先行逃げ切りで、2着に1馬身差以上の勝ちなのだが、どうなるか。いまはまだ5時。当確が出る頃は、私は、腰痛のない身体でホテルのバーでオールドパーの水割りを呑んでいるという夢をみながら、寝息を立てていることになる。

パフォーマンス

2016-07-30 22:53:15 | 日記
テレビ画面の右側から、ヒラリー・クリントンさんが満面の笑みを浮かべ、大きく両手を広げて速足でやって来る。左側から現れたのがオバマ大統領で、2人はしっかりと抱き合う。米国民主党大会でのパフォーマンスである。観ていた私は、アメリカ人だなぁと思った。アメリカ人だから、こういうことが似合ってしまうのだと思った。ドイツのメルケル首相では、こうはならない。もちろん日本の女性政治家ならば不自然になるだけだ。ぎこちなくなるだけだ。 パフォーマンスという言葉が輸入されたのは、昭和50年頃ではなかったか。最初私は、大きな身振りの意味だと思っていたが、家人の弟に、身体を使って何かを表現することだと教わった。そうなると、多くの場面で見られることになる。高校野球の県予選で優勝し、甲子園行きが決まると、全選手が集まって手を挙げ、人差し指を立てて、1を表現する。俺たちが1番という意味なのだろう。あのパフォーマンスが始まったのはいつだっただろうか。

プロ野球でもホームランを打った打者を迎えるときに、手のひらと手のひらを合わせるようになった。ハイタッチと言うらしく、ほかのスポーツでも、いやスポーツでなくても、大人でも子供でも、男でも女でも喜びの分かち合いのような場面で、ハイタッチは流行しているらしい。
私たちの世代には、草野球や下手ゴルフで好プレーがあっても、ハイタッチはなかった。せいぜいが、ナイスバッティング、ナイスショットと叫びながら拍手を送るだけだった。 ありがとうは、握手で伝えた。

勝負カン

2016-07-30 22:45:44 | 日記
28日の高校野球東東京大会の決勝戦をテレビで観た。東亜学園と関東第一の対戦である。東亜学園という名前を聞いてすぐに思い出すのが、川島堅投手である。速球派の好投手だった。甲子園ではベスト8ぐらいだったかと思うが、プロで磨かれればと思った。それが28年前だったとアナウンサーの声で知った。試合は2対2の同点で延長戦に入り、⒑回の表に東亜が1点をとって、甲子園に近づいた。しかし、東亜の投手の青木君のスタミナが切れかかっているのが気になった。 逃げ切るのは難しいというのが、私の第一感だった。そして、そのカンは的中し、関東第一のバットが青木君の直球を正確にとらえ、連打でたちまち同点とし、さらに1死1・2塁の場面になった。投手を代えろ!というのが、私の2番目のカンだった。青木君が投げるのが、いわゆる棒球になっているのが素人目にも明らかだった。野球には、自チームがピンチになって、ここで打たれたら負けという場面で、投手交代か、このピッチャーと心中するかの選択を、ベンチが迫られることがよくある。東亜の監督は、エース青木と心中することを選び、サヨナラ負けを喫した。 青木は限界と、監督は悟っていたと思う。しかし、監督の勝負カンは心中に働いた。彼が賭けたものは、運だったと思う。それしかないと思う。

死んでもいい

2016-07-30 22:38:18 | 日記
毎週の火曜日がマッサージ(指圧)、金曜日にリハビリと決めているのだが、夏の休みがちかづいて、指圧の方から予定変更の申し出があり、重田名人の付き添いであるオーナーのイズミさんと家人が日程のやりくりを相談し始めた。「午前中に重田さん、午後からリハビリでも大丈夫?」と家人が私に訊くので、「そんなことをして、死なないかな?」と答えると、みんなが笑い、名人が、「死ぬことはないでしょう」と笑いを増やした。 すると家人がつられる感じで、「死んでもいいじゃない」と続けた。これには笑いが起きないので、仕方なく私が「リハビリ殺人事件にはならないか」と言って助けた。 家人はこういうときの咄嗟の冗句が上手くない。冗句と知能指数は無関係であるようだ。
「死んでもいい」は、「生きていてよかった」と同様に、観劇、感動、感謝や大喜び、感極まるといった場面に用いられるのが普通である。 もちろん私にもそういう経験はある。指折り数えればすぐに3つか5つは思い出せるだろう。 そして、その思い出たちは、墓の中へ持っていくバッグの中に入れてあるものが、ほとんどである。隠しているわけではない。そうではなくて、誰かに話してもわかるはずがないのである。話しても意味がないのである。
死んでもいいと思えるような歓喜のときは、誰にでもある。でも、それは本当の死とは何かつながりもない、ただの形容語である。本当の死が近づいたときにもある「死んでもいい」は、歓喜ではなく、ごく静かなものだろう。

一病息災

2016-07-30 22:32:44 | 日記
脳梗塞を患って禁煙した。意志の強さではなく、私はそもそもタバコの味をそれほどは知らなかった。愛煙家ではなかった。外食を減らした。ラーメンを注文してスープを残せば、中華屋の親父は怒るだろう。塩分摂取を減らすには外食しないのが最良の方法だった。それに私は薄味が嫌いではない。薬の服用も習慣になって、血圧やコレステロールの数値は3カ月で改善された。先輩や友人たち、そしてドクターからも褒められた。一病息災だと言われた。それから20年が経った。その間に大動脈瘤が破裂したり、脊柱管狭窄症に悩まされたりしたが、両方とも名医に出会って手術が成功した。
現在も一病がある。病名はついていないが、腰痛がある。左右の腰の筋肉が痛む。腰の周囲が衰えている。ヒザも弱っている。それらを強化するためにリハビリを繰り返すのだが、それが再び腰痛を呼ぶ。運動不足は⒑年以上になるから、何もかもが当然の結果であるだろう。病名のない腰痛は本当に、ステッキ1本で鎌倉プリンスホテルに行けるまでに回復するのだろうか。ホテルのバーで、オールドパーの水割りが呑める日が来るのだろうか。歩行器を眺めながら考えている。