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1月28日

2018-01-28 18:25:10 | 日記
朝、目覚めからベッドを離れるまでの約1時間を暖房無しで過ごせたのは久しぶりだった。といっても、私は、寝るときも少し厚手の布地で作られたトックリ型のシャツを着ている、寒がり老人である。祖父が現在の私と同じ年齢の頃、肩が凝るからと言って軽装で寝ていたのを思い出す。

昼食に、味噌煮込みうどんを作ってもらう。これ、好物の一つである。主治医であるK師から、貧血気味だから肉を食べるように言われているが、味噌うどんでの豚肉は旨い。不思議なのは、○○屋の味噌煮込みうどんが旨かったという記憶がないことだ。

大相撲は昨日栃ノ心の優勝が決まった。場所前の私の優勝予想は高安だった。栃ノ心の優勝は専門家の誰もが予想できなかったと思う。競馬で言えば大穴であり、超万馬券である。

競馬は根岸S。8番のサンライズノヴァの連軸は連単は堅く、相手と配当を考えながら、買うべき枚数だけを決めているうちに7点になってしまった。結果は8・14で、配当は20.1倍。少ない儲けでもアタリはアタリ。

我が慶應高校がセンバツで9年ぶりに行けることになった。前回出場のときは白村という好投手がいて、有力校の5本の指に数えられていたが、1回戦敗退だったかと思う。高校野球のおもしろさの1つに、クジ運がある。1回戦で大阪桐蔭や智辯和歌山なんかと当たらないとよいのだが。


リハビリに替わってデイサロンサービスに通うようになっても、腰痛の軽重に変化はない。今朝の血圧は125-80。

老人世界

2018-01-28 10:53:40 | 日記
65歳からが老人、とされていた時期があって、その年齢のときの私には、少なからぬ先輩がいた。仕事関係の先輩、同好会の先輩、親戚にも年上がいた。脳梗塞で入院したときは2人部屋だったら、83歳の大老と一緒になった。75歳の後期高齢になった。その前年に胸部大動脈瘤で死の淵から生還していた。それから、いつのまにか7年が過ぎた。多くの場所で最年長である。親族を見ても最高齢である。

昨年の12月からデイサービスサロンへ、週一度通うようになった。そこでの私は真ん中あたりの年齢ではないかとおもっている。託老されている善男善女は(私の行く金曜日に限って言えば)約20人である。もちろん一人一人の年齢を訊くことはできない。わかっているのは、93歳の老男、91歳の男女一人ずつだけである。年齢を訊いてはいけないような雰囲気がある。私は誰に対しても「僕は昭和10年の生まれです」と言っているが。

サロンへ行った最初の日と次の週と、91歳のおじいちゃん、おばあちゃんと打ったことは前に書いた。おばあちゃんの方が、麻雀上達法の本を抱えていることも書いた。その老女が3週目以後、プッツリと姿を見せなくなった。寒くて外出は無理なのかと思う。風邪でもひいたのではとも思う。もちろんスタッフの皆さんはその欠席理由をご存じだろう。スタッフの皆さんは、そろって元気がいい。性格明朗の印象がある。しかし、「Mさんはどうなさいましたか?」とは訊けない。訊かないのが礼儀であるような気がする。老人世界のマナーであるような気がする。

紹介

2018-01-27 11:42:03 | 日記
「たとえ親友であっても、金銭などの絡む保証人になってはいけない」と祖父が繰り返し言っていた。20歳になった頃の私への教えだった。私はそれを守り、自分の子供以外の人間の保証人になったことはない。保証と似たものに、紹介がある。紹介は多くの場面で見られる。ちょっとした紹介で知り合った人物が生涯の友になることもある。配偶者がみつかることもある。もちろん、紹介はアタリばかりではない。「アイツに紹介された箱根の宿へ行ったら、全然ダメだった。酒も料理も不味いし、従業員の教育もできていない」という場合だってある。

私は学生時代から肩凝り症だった。銭湯へ行って、流しを頼み、背中をトントンとやってもらうと、そばにいる老人たちに「なんだよ、若造のくせに」という目で睨まれた。温泉旅行の大きな楽しみに、上手いマッサージ師との出会いがあったが、アタリは少なかった。

3年前、指圧の名人である重田さんに出会った。最初に施術を受けたとき、すぐにこれだ!とわかった。大当たりだと思った。60年かけて、やっとホンモノに出会えた喜びがあった。重田名人はKEIROWという全国に展開する治療グループの一員である。私の友人にも肩や腰の不調に悩む男女は多い。しかし、重田さんを頼める場所に住んでいない。「上手い人がいるんだけどなぁ」と、埼玉、茨城の友人と電話で話すだけになる。

重田名人の腕を褒めると、「これは相性ですから」と返される。つまり、名人の手にも合わない患者が存在するのかもしれないのだ。名人に付き添って来るオーナーのIさんが、私がデイサービスサロンに通い出したのを知って、「サロンで宣伝してください」と言うので、少しは役に立ちたいと思っている。でも、この紹介はどうなのだろうか。名人の指技はかなり強い。それを私のように最高の快感と受け取れる人間は10人に9人いるのか、それとも5,6人しかいないのか。その辺はわからない。

○×式

2018-01-27 11:33:39 | 日記
私達は○×式のテストが多かった。○×式世代なんていう言葉もあった。中学の頃、数学と英語を除いては、そういう設問の試験に馴れていた。ただ、正しいものに○を、誤っているものに×をつけよ、だけではない。それに加えて(  )モノもあった。「以下の文の中で、誤っているものに×をつけ、( )内にその理由を述べよ」といった具合である。この種のテストというのは、まず正答を知っていれば、何の問題もないのが当然だが、時として正答を知らなくてもカンで当たる場合があるのがおもしろかった。ゲーム感覚があるのが楽しかった。

富士五湖はすべて山梨県にある~という問いがあった。たしか中学2年の地理のテストの○×モノの第一問だったと思う。地理の教師はHという若い女性だった。授業は主として日本の各地の産業を紹介するものであり、教科書の目的もそこにあった。したがって、「富士五湖なんて教科書にあったっけ?」程度のことである。テスト用紙が配られると、2,3分間は教室がザワつく。「1つか2つは静岡県にあるんじゃねぇか」と誰かが小声で言う。私も正解を知らなかった。カンに頼るしかなかった。H先生ははっきりとした性格である。テキパキした感じがあり、多少ユーモアもある。私は彼女の人柄から推理して、この第一問は一種のサービスであると判断した。答えは○だと思った。たしかに、5つのうちの1つぐらいは静岡サイドとも考えられるが、H先生なら、第一問は授業でやっていないおもしろクイズで、だから○のものにしようと考えるはずだと見た。私のヨミは当たった。

平成4年に宅建の国家試験を受けた。全50問を2時間で解く。マークシート方式であって、4者択一法だった。これも、いわば○×式の延長線上にある。民法だけは自信があったが、他の宅建業法などはシンドかった。カンで答えたのが5問以上あったと思うが、なんとか合格した。中学時代の○×に対するカンが残っていたのかもしれない。

本命

2018-01-27 11:27:04 | 日記
競馬では時々絶対的本命とか不動の本命といった言葉が使われる。実績、近況、騎手、距離適性…などから考えて、とにかく負けることが考えにくいといった馬がいることがある。したがってその馬の単勝を買っても配当は1.1倍である。それを買う人がもちろんいる。3カ月間競馬を我慢して10万円貯めて、その本命馬を買う。当たって1万円の利益が出る。我慢が報われたのである。それも1つの競馬のやり方だと思う。もっと言えば1つの人生だと思う。私にはそれは出来ない。おもしろいとは思わない。愉しくもない。そういう人生は好まない。

茨城の高校1年生のとき、隣家の1つ年下のY子と時々夜の映画に行った。Y子の父親は近村の小学校の校長先生だったが、怒られたりすることはなかった。Y子から見て私は隣のお兄ちゃんであって、危険人物ではない。私もY子に下心を持っていない。童謡の歌詞を借りれば、「隣りのミヨちゃん」である。高校2年生になって、東京に転居してからも似たことが起こる。やはり隣家の1歳下のK子と映画へ行ったり、野球見物に行ったりするようになる。深い仲にはならない。海水浴に例えれば、2人で危険な沖の方へ泳いで行くといったことはない。

私にとってはY子もK子も本命ではなかった。Y子とK子にとっても、私は本命ではなかった。隣同士の兄ちゃんとミヨちゃんだった。やがて、誰にも本命ができる。恋人らしい男性と歩くK子と道玄坂で出会うなんてこともあった。私も本命をみつけて、まもなく結婚した。