中学2年のとき私が休み時間にトイレに行き、その間に竹製の物差しで誰かが椅子をこすり、煙が出て、それを知ったクラス担任が怒って、誰のいたずらかを私に訊いた。私はその場にいなかったので、知らぬ存ぜぬで通したが、その間の、私のふてくされた態度に激怒した担任が、平手打ちをした。という話は以前に書いた。もし、その教師が何もせずに「今後は気をつけろよ」とでもいい残して、その場をオワリにしたら、それは教育ではないと書いた。別の言い方をすれば、そのときの平手打ちは教師の情熱であると書いた。
小・中学校時代からの友人であったC君が、東京理科大を出て中学校の教師になった。C君は理系の人間であるが、読書家でもあった。麻雀は下手だったが、人づきあいのいい奴だった。野球部では名捕手だった。何事にも一所懸命という感じがあった。要するに、熱のある好い男だった。教師になって何年目だったか、生徒を殴って別の学校に異動になったと聞いた。私は、Cはやっとホンモノの先生になったと思った。あのCが怒った。生徒を叩いたというのだから、よくよくのことであると思った。
私達の小学校高学年から中学生時代は、教師の暴力は当たり前だった。バカ教師が何か(たとえば自分の家庭不和)の腹いせに生徒を殴ったりしていた。それは現在なら即刻クビになっておかしくないレベルだった。ダメ学校のダメ教師の暴力が無くなったのは、昭和30年近くになってからではなかったか。
今日では、教師の体罰禁止は法文化されているようだ。もちろん情熱先生のビンタも教育委員会ですぐに問題になるだろう。教育とは、何か。教師におけるイの一番の必要は何か。それは情熱であると多くの人は思っているはずだが、それと体罰の関係は?
小・中学校時代からの友人であったC君が、東京理科大を出て中学校の教師になった。C君は理系の人間であるが、読書家でもあった。麻雀は下手だったが、人づきあいのいい奴だった。野球部では名捕手だった。何事にも一所懸命という感じがあった。要するに、熱のある好い男だった。教師になって何年目だったか、生徒を殴って別の学校に異動になったと聞いた。私は、Cはやっとホンモノの先生になったと思った。あのCが怒った。生徒を叩いたというのだから、よくよくのことであると思った。
私達の小学校高学年から中学生時代は、教師の暴力は当たり前だった。バカ教師が何か(たとえば自分の家庭不和)の腹いせに生徒を殴ったりしていた。それは現在なら即刻クビになっておかしくないレベルだった。ダメ学校のダメ教師の暴力が無くなったのは、昭和30年近くになってからではなかったか。
今日では、教師の体罰禁止は法文化されているようだ。もちろん情熱先生のビンタも教育委員会ですぐに問題になるだろう。教育とは、何か。教師におけるイの一番の必要は何か。それは情熱であると多くの人は思っているはずだが、それと体罰の関係は?