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年賀状

2019-11-28 22:40:35 | 日記
新聞に新刊本の広告が載っていた。内容の一部が紹介されていて、そこに「年賀状を書くバカ」とあった。たしかにほとんど意味のない年賀状もある。特に若い頃はそうだった。50代の人間同士が「御健康と御活躍をお祈り申し上げます」と記したハガキを読み合っても仕方ない。

70を過ぎると年賀状が少なくなって来る。先輩達が亡くなっていくのだ。それと、「年賀状は今年で終わりにします」なんて書かれたものが届くようになる。齢をとると面倒になるのだろうか。その辺はわからない。

私は年賀状を出す。面倒臭くはない。ザラ紙にボールペンで自分の近況を書くだけで、あとは娘がパソコンで作ってくれる。だから、たとえば、娘が海外勤務になったら私の年賀状は終わるかもしれないし、それでも孫たちに頼んで続けようとするかである。とにかく自分では、ザラ紙にボールペン…しかできないのだ。

年賀状をもらうのも楽しい。テレビに、「あいつ、いま何してる?」という番組があって、家人が時々観ているようだが、賀状のおもしろさのひとつは、「あいつ、いま」であるだろう。もうひとつは、あの1枚のハガキが生存証明であることだ。私は、2年続けて賀状が来なくなった人間を死者にカウントすることにしている。70を過ぎるとこの想像は9割の確率で当たる。

ネット時代の年賀状は、どうなっているのだろうか。スマホでの往復でもOKというところなのか。私にはわからないが、ボクちゃんは、たとえば学校の先生に何かを書いて送るのかと考えてみるのは楽しい。いや、ボクちゃんはまだ小学校2年生だったなぁ。

生活が楽になる

2019-11-28 22:34:19 | 日記
「遠藤に勝つと生活が楽になる」と笑ったのは安美錦だった。安美錦関は今場所、十両にもその名が無かったから、引退したのか、その辺はわからない。以前から行っているように私は大相撲のことは詳しくない。前述の言葉は安美錦関が幕の内でとっていた頃の話であって、遠藤関との取組には永谷園などの懸賞が6,7本懸かっているからという意味である。相撲の懸賞は1本につき6万円で、そのうちのはんぶんがキャッシュで力士に入る。7本ならば21万円になる。それを、生活が楽になると言ったわけで、なかなかにユーモアのある、上手いセリフだと思った。

私がお迎えの車に乗ったら、家人が楽になる。生活が楽になる。現在の家人は、主婦であり介護士であり薬剤師である。私は自分では何もできない。家人が用意してくれた着衣を身につけ、家人が作ってくれた食事を摂り、家人が整えたベッドに寝る。医療費がかかる。服用薬があり、週2回の指圧治療があり、デイケアサロンの送迎も要る。入浴も家人に手伝ってもらう。湯上りには腰部に湿布を貼る。まだあるだろうが、とにかく家人は私のために、1人3役、4役を務めねばならない。

私が旅立てば家人はどうなるか。「晴れた空 そよぐ風」である。大いなる自由が来る。家人の友人には未亡人が多いから、その人たちの自由さを充分に見ている。娘との2人暮らしである。女2人だから家の中が清潔になる。そんなことよりは、安心して旅行できるのが大きい。憧れのハワイが、憧れではなく現実になる。お迎えの車はまだか。もう近くまで来ている気はするのだが。

11月24日

2019-11-28 22:29:27 | 日記
金曜日にデイケアサロンで麻雀を打ち、帰宅してすぐに重田名人の治療を受け、酒を呑んで眠るので、土曜日は腰がラクになると思いきや、その逆で、朝から痛みが強かった。そして、今朝はうんとラクになった。理屈はわからないが、腰も気まぐれである。

大阪で誘拐された少女が栃木で自力で逃げ出して無事保護されたというニュースがあった。誘拐者と少女はSNSで知り合ったのだそうだ。ネット社会の怖さというのか、時代は変わったというのか。

久しぶりに妹と電話で話した。この前よりは声がキレイになった。声ほど、その人の元気度をあらわすものはないから嬉しくなる。今日は彼女の誕生日であって、この日はケネディ大統領暗殺(昭和38年11月22日)、三島由紀夫油研(昭和45年11月25日)に挟まれているからおぼえやすい。

老夫婦は猫を飼うといいと言われているが、その通りであって、我が家の猫もボケ防止に役立つ。特にリャンピンは早朝から走る、全力で走る。見ているだけで気持ちが好い。足音を聞くだけで気分が明るくなる。

競馬はジャパンカップ。1着賞金が3億円であるのに、外国からの参戦が無い。2・5・8を中心に買ったが、結果は5・1・2。こういうのをカンが悪いというのだろう。今朝の血圧は143-82。

腕時計

2019-11-28 22:22:27 | 日記
学生時代における腕時計は半分は質草としての役目だった。私が持っていたのは馴染みの質店なら千円が借りられた。昭和30年前後、1回のデートは千円札1枚で足りた。映画を観て喫茶店に寄るかラーメン店に入るか、といった程度のデートならば、なんとか足りた。私は2個の腕時計を持っていて、1つは高校転入学のときの合格祝いで買ったものであり、もう1つは祖父からもらった古い品で、後者は質草価値は無かった。

南京虫と呼ばれていた婦人用の腕時計があった。たしか18金で出来ていて、六角形だったと思う。若い女性達に人気だ。それをリストに着けていることが、恰好の好い流行になっていた。外国製だったが、スイスだったかどうか、それがなぜ南京虫と言われるようになったのかについては憶えていない。結婚前の家人もそれを持っていた。「月賦で買ったのよ」と言っていた。

仕事の関係で知り合ったSさんは私より2年先輩で、なかなかのおしゃれだった。仕事中は(私がいたのは自動車部品製造の世界だったので)作業服姿であるが、たまに夕方に仕事を終えて背広に着替えてから夜のキャバレーに繰り出すときは、おっと驚くほど恰好の好くなる人がいるもので、Sさんがその典型だった。おしゃれが巧いというか、身についているのだ。Sさんは見るからに高級そうな腕時計をしていた。袖口からちらっと見えるだけでもそれがわかった。ウチの会社の、その方面に詳しい男にきいてみても、「あれはスイス製だ」としか言わなかった。わからなかった。Sさんは小規模の精密加工会社の2代目だったから、金はあったのだろう。やがて噂が伝わってきて、Sさんのリストウォッチは30蔓延だということがわかった。当時、私が使っていたのが1万2千円であったのを憶えている。

老嬢と貴族

2019-11-28 22:14:43 | 日記
老嬢と書いて何と読むか?ああアレかとすぐに頷く方は後期高齢者であると思う。老嬢はオールドミスと読む。和英語に漢字を当てたものだが、この当て字は巧いと思う。終戦前の日本では女性の結婚適齢期はとても低かった。たとえば27歳では遅かった。27歳で独身というのはすでに老齢だった。オールドミスであった。

戦争が終わってオールドミスは死語となった。結婚適齢期という言葉もあまり耳にしなくなった。代わりに出て来たのが貴族である。独身貴族なる語である。27歳で未婚の女性は独身貴族であることが多い。もちろん35歳、45歳、あるいは50歳過ぎでも独身貴族はザラにいる。

独身貴族の女性が貴族であるためにはいくつかの条件があるが、その第一に、自分に合った、自分の好きな仕事を持っていることだと思う。そこからいろいろな枝葉が広がって来る。結婚して子育てや家事に追われるなんてバカバカしいと思うのではない。そういう人生を選ぶ女性がいるのも当然だと思う。しかし、それは自分には合わないかもしれない。その辺は、選択の問題だ。

私のリハビリの先生だったC子さんは、井上真央ちゃんに似た美人だった。大学の体育学部を出て理学療法士の資格をとって、病院に就職し、訪問リハビリの担当になった。週に2回、手取り足取りの教えを受けた。60分のリハビリのあとはお茶を飲みながら雑談した。いかにも現在の仕事(人助け)が大好きだという感じがした。口では「結婚しなくちゃ」と言っていたが、独身の楽しさを充分に味わっていることがわかった。私が「独身貴族には自由の喜びがある。時間も財布も恋愛も自由」と言うと大声で笑った。私がリハビリを教わり始めたのは彼女が24歳のときで、現在は32歳か。年に3度か4度、健診のために、C子さんの勤める病院へ行って、たまたま出会うことがあるが、美人ぶりは変わらない。続独身貴族を楽しんでいるようだ。